店仕舞いの準備に入ろうとしていた『奥州』に、スーツ姿の男性客がやって来た。
「いらっしゃいませ」
嫌な顔一つしない小十郎の声に反応した男は、一度だけ相手を見るがすぐに目の前の陳列棚に視線を戻した。
閉店間際の店にやって来て、仏頂面のままとはあまりいい感じではない。
(…あれって…?)
だがそれよりも、その一度だけ上げた顔に見覚えがあった幸村は、その人物がこのような店にいることの違和感に首を傾げる。
「あら?もしかして…先生?」
幸村と同じことを思っていたらしい稲が声を掛けると、その男はじっと稲を見た後、微かにだが眉を顰めた。
「何故、ここに?」
怒っているわけではないのだろうが、低い声は威圧感に溢れている。
「…アルバイト、です」
歯切れの悪い稲の答えは、威圧されたと言うよりもその問い自体にぎくりとしたからだろう。
「…父上の許可は?」
「……どうにか得てます」
「そうか」
稲の言葉を信じて納得したのか、それ以上何も言わずにまた陳列棚に視線を転じる。
その隙にこっそりと小十郎が、男に聞こえない程度の声で稲に訊ねた。
「あの方…学校の先生なんですか…?」
「ええ。服部半蔵先生です」
そのやりとりに、幸村はやはり自分が思っていた通りの人物だったことを確信した。
そして同じ学校に通っているからこその話題を振ってみる。
「本多さんも服部先生に…?」
「はい。国語を…」
小声の幸村につられるように小声で返した稲は、ふと思いついたのか再び半蔵に声を掛ける。
「ところで…どうして半蔵先生がここに?」
その言葉に動きを止めたのは、二人。
「……菓子を買いに…」
いつも以上に低い声で答える姿は、不気味以外の何ものでもないのだが、生憎とそんなことを気にするような人間はここにはいない。
「まあそうでしたか」
朗らかに相槌を打っている稲に
「ほほほ本多さん…今…“半蔵”先生と…」
「え?」
不必要なまでに震える声に振り返れば、強張った笑みの幸村がいる。
これには流石の稲も引いた。
「ど、どうしたんですか…幸村さん?」
「幸村…?」
そこでようやく半蔵は幸村の存在に気付いたらしい。
「…ああ…真田か…」
「先生…気付いていらっしゃらなかったんですか…」
がっくりと肩を落とした幸村に対する半蔵の返事は、無言。
それは肯定を表していた。
この国語担当の服部先生、とにかく余計なことは全くと言っていいほど喋らない。
そしてどう見ても真っ当な職業の人間とは思えないくらい、その眼光は鋭い…鋭すぎる。
早い話、教師と言う立場にありながら、近寄りがたいことこの上ないのだ。
「服部先生かっこいい〜!!」
なんて叫べるのは、一部のマニアな女子生徒くらいだろう。
ちなみにそう叫んだところで、睨まれるわけでもないが、国語の成績が上がるわけでもない。
叫び損である。
そんな半蔵と幸村の接点とは、唯一「幸村が国語を苦手としているので補習授業を受けている」という点だけである。
ただ幸村の救いと言えば、補習授業は週に一度だけであることと、まあまあ先生と話せるようになったことくらいである。
だがその恐怖の服部先生がいるのだ。
実はさっきから幸村の緊張の針は振り切れそうだった。
それなのに稲はにこにこと半蔵に話しかけているではないか。
「本多さんは…その…服部先生とは……よく話したりするんですか…?」
「え?あ、はい。父が親しくして頂いていて…小さい頃は遊んでもらったこともあるんですよ」
その意外な答えに納得した幸村が半蔵を見ると、目が合ってしまった。
だが、さり気なく目を逸らした半蔵は、いつの間にか客の側に移動していた店主に一言二言告げている。
「はい。『おやじスペシャル』ですね」
爽やかな笑みの小十郎に、無言のまま頷いている姿はどう見ても20代後半。
その詰め合わせ名が相応しい年代とは思えなかった。
だが幸村としてはそれよりも気になることがある。
「せ、先生…甘いもの……お好きなんですか…?」
恐怖よりも好奇心が勝った結果の問いに、明らかに半蔵は黙り込んでしまった。
そんな半蔵の代わりとでも言おうか稲が口を開く。
「ええ。半蔵先生は甘いものに目がなくて…」
「余計なことは言わなくていい」
珍しく焦ったように、やや大きめの声で制止をかけ
「これは徳川先生に頼まれたものだ」
「あら…そういえば…徳川先生も甘いものお好きでしたね」
にこにことそう言う稲の言葉に、歴史担当のちょっとぽっちゃりした笑顔が幸村の脳裏をよぎる。
「そう…なんですか…」
何の気なしに相槌を打った幸村だが、すぐに
「あ、でしたら今度の補習授業の時に、こっそり何か持って行きます」
自分でも不思議なくらい自然に言ってしまった。
かなりの葛藤があったのだろう半蔵は、しばし黙ったままだったが、いつも真面目な生徒に向かって小さく頷く。
やはり甘いもの好きと言うのも嘘ではないようだ。
「お待たせしました」
箱詰めした菓子を受け取った半蔵の視線は、小十郎が差し出す袋に釘付けだった。
代金を払って去っていく背中に、思わず幸村は声をかける。
「また来週…お願いします」
立ち止まった半蔵は、少しだけ振り返ると「…楽しみにしている」と小声で答えた。
苦手だった補習授業が、初めて楽しみになってきていることに、まだ幸村は気付いていなかった。
戻
言い訳
やっとサナハンっぽく…
ちょっと焦りすぎた気もしますが…
あのままだといつまで経っても進まないので(^^;)
いつ終わってしまうか分からないシリーズなので、出来るだけ早め早めにサナハンを…
…そして恐らく次は…
あの方が暴走して下さるかと思います(笑)