稲に謝罪の意味も込めて電話をしようと立ち上がった幸村だが

「───ぃっ!?」

いきなり兄が幸村の携帯電話を思い切り掴んだ。

そうすると当然、幸村の指も思い切り挟まれるわけで…

「あ、兄上!?ちょ…手っ…手を、離して下さいっっ!!」

思いのほか強い握力に、兄よりも体格のいいはずの幸村が泣きそうになる。

だがそんな幸村の声には全く反応せず、急に今まで黙っていた兄が立ち上がった。

いつも優雅とも言える所作をする信幸には珍しく、椅子を蹴倒す勢いで。

「あ、兄上…?」

母も父も姉も驚いたらしいが、それよりいつも以上に眩い笑みを向けられた幸村が最も困惑していた。

「ちょっと…話がある」

いつも通りの穏やかな声と掴む手の力がアンバランスすぎて、幸村の背に冷たいものが流れた。

「ああああああにうえ…?」

怯える幸村に更に柔らかな笑みを見せた信幸は、そのまま弟の手を引っ張って二階へと連行した。

残された家族は顔を見合わせていたが、ただ姉だけは何かに気付いていたようだ。





結局、行き着いたのは信幸の部屋だった。

ここ最近は研究室で寝泊りしているらしく、あまり家に帰ってこない信幸の自室はわりと整理整頓されたままだ。

専門書が山積みになっているが、そのほとんどが図書館から借りてきている。

返却期限を守っているのだろうかと、幸村は現実逃避にも近いことを考えていた。

久々の兄の部屋に、興味を示す幸村の手を離すと

「そこに直れ」

風を切る勢いで床を指差す。

その時の兄の顔は無表情で、兄の笑顔を見慣れた幸村に恐怖を与えるには充分だった。

言われた通りに座った幸村は、無意識のうちに正座をしていた。

床には絨毯が敷かれていたので寒くはなかったが、どうしても背筋を走る悪寒だけは止まらない。

「…さて…お前には二,三聞きたいことがある」

椅子に腰掛け「どこのモデルさんですか?」と問い掛けたくなるほど、気だるげにその長い足を組む。

「は…は、い…」

口の中が乾燥しているらしく幸村の声は乾いていたが、それ以上に兄の態度の方が乾いていた。

「先程の話だが…」

「えと…本多さん、の…こと…ですか?」

彼女の名が出た途端、兄の視線が鋭くなる。

まるでメデューサに睨まれたかのように、幸村の体が強張った。

「……付き合っているのか?」

「え?……え!?ち、違います!!本多さんとはただのバイト仲間で…」

「…本当か?」

「は、はい!!何もやましいことは…!!」

そこまで言って、ようやく幸村は兄が腹を立てていることに気付いたらしい。

「まままままさか!!兄上より先に私が彼女を作ることが気に入らないのでは…!!」

「いや…そういうわけでは…」

それはやや惜しいといったところだ。

「在り得ません!!兄上より先に女性と付き合うなどと…っ!!」

「そ、そういうわけではなく…」

「決して兄上より先に結婚は致さぬと決めております!!」

「そ…そう…か…」

何だか話が逸れてきたことに気付いた信幸だが、弟の暴走を止められないのは今までの経験で嫌というほど知っている。

とりあえず弟が落ち着くまで喋らせることにして、それまで聞き流そうとしていたが

「それ故、昔から兄上よりも女性に告白されることが多くとも、全て断ってきたのです!!」

「…お前…喧嘩売ってる?買うぞ?」

幸村が本気で言っていることは一目瞭然だが、敢えて信幸は確認をとる。

「滅相もない!!」

やはり自分の弟はそういう奴だと思っていた信幸は、少し弟の将来が気になってきた。

だが、今はそれどころではない。

「いいか?幸村…私が気に食わないのは…」

そこまで言った信幸の視線が、先程まで幸村の掌に収まっていた直方体の機械を捉えた。

同様に幸村もそれに視線を落とし、今回の元凶を思い出したようだ。

「ほ、本多さん以外の女性のアドレスなどは入っておりません…」

言い訳を口にした幸村だが、それは明らかに火に油を注ぐもの。

しかも燻りかけていた火を、再び燃え上がらせるものに他ならなかった。

「ほう…彼女以外には…ねぇ…」

信幸だって知っているのだ、後輩の孫市とは正反対に幸村の携帯電話には女性のアドレスなど皆無だったということを。

それなのに唯一、彼女のアドレスは入っている。

それはどことなく特別な関係を示唆しているように思えた。

ちなみに兄も弟同様、思い込みが激しく天然ボケが入っているので、どんどんまずい方向に逸れていっている。

どんな言葉を口にしても兄を不機嫌にしている事に気付いた幸村はかなり慌てて

(な、何がいけなかったんだ…?)

兄の様子を伺いながら取りとめのないことを考えているうちに、急に幸村は閃いた。

(そうか!!そういうことか!!)

ただし彼の思いつきは、ずれている可能性が高い。

「申し訳ありません!!」

いきなり土下座する相手に、不機嫌だったのも忘れて信幸は呆然とした。

「敬愛する兄上といえども、私はその想いに答えることは…っっ!!」

やや怯えた表情で後ずさりする弟を不審気に見ていた信幸だが、幸村の言動を振り返りようやく合点がいったらしい。

それはまるで「弟を女に取られたくない嫉妬に狂った兄に、襲われかかって怯えている弟の図」のようではないか。

“稲に”ヤキモチを妬いているなど、在り得ない…というより…

「誰が己の弟なぞに手を出すかぁっっ!!」

「うわああぁぁっ!!破廉恥ぃぃっ!!」

「あら?出さないの?つまんないわぁ…」

いつの間にいたのか、村松がドアの隙間からひょっこり顔を出している。

「「姉上…?」」

「何か怒鳴り声とか聞こえたから…初!兄弟喧嘩記念!でも撮っておこうかと…」

そう言う彼女の手には、確かにカメラ(携帯電話の)がスタンバイされていた。

「でも何か…禁断の愛を激写しそうだし…やめるわ」

溜息と共にパタンと手元の機械を閉じると

「続けないの?」

分かっていてわざと訊ねる辺り、本当に彼女は弟達をいじめるのが楽しいのだろう。

しかし、パニックに陥っているらしい幸村には、彼女が救いの女神に見えたらしい。

「たたたた助けて下さい!姉上!兄上が私に不埒なことを…っっ!!」

「待て待て待て待て!!今の間だけでお前どれだけ妄想してるんだ!?」

流石にここまでいくと、そう叫ぶ信幸が不憫に思えたのか、自らに飛び掛らんばかりに突進する幸村を軽くいなすと

「あんた達二人だったら話が続かないようね…」

下の弟の錯乱具合に引きつつも、手助けをすることにする。

何だかんだ言っても、やはり弟は可愛いのだろう。





どうにか幸村の誤解は解けたようだが、あまりの勘違いっぷりに恥ずかしさが隠せないらしい。

先程からずっと、隠れられるわけもないのに姉の後ろに隠れるようにしている。

子供の頃は姉の方が身長が高かったので、よく幸村はこうして隠れていたのだが。

「もう…」

この年になって…という言葉は、村松の胸のうちに秘められた。

「で?何がいけないわけ?」

単刀直入に訊ねられ、一瞬言葉に詰まった信幸だが、これ以上の騒ぎにしたくないと素直に口を開いた。

「…幸村が本多さんと親しくしていることです」

「し、親しくなど…!!」

「ならば何故、携帯電話の番号を知っている」

「そ、それは連絡を取りあう必要が…」

「本当に必要があるのか?」

そんな風に改めて聞かれると、一瞬だけ考え込んでしまう。

胸を張って「有る」と答えればいいものを、その一瞬の迷いが幸村を窮地に陥れる。

「…それに…お前だけに何故、教える」

「そ、そんなこと…って…小十郎さんも知ってますよ!?」

ついうっかり本当のことを言ってしまった幸村から視線を逸らすと

「小十郎…だと?」

新たに出てきた男の名前に、信幸の形相は更に険しくなる。

まるで親の仇の名を口にするかのような口振りに、もしかしたらとんでもない事を言ってしまったのでは、と幸村は後悔した。

まあ後悔は先に立たないものだ。

「…小十郎…か…」

確認などしなくとも幸村が知っている小十郎は、あの小十郎しかいない。

もちろん村松や信幸とて同じことだ。

「ふっ…まあいい…」

何かを企んでいるかのように喉の奥で笑う兄など、幸村は18年間一度も見たことはなかった。

当然、村松も見たことはなかったようで先程から口数が減っている上、微かにその笑みは引き攣っている。

「幸村…覚悟しておけよ…」

この時、幸村はもう二度と兄に逆らわないことを誓ったとか。

この時、村松は上の弟をからかう時のボーダーラインを決めたとか。

それでもからかう事を止めない姉は、まだまだこれからも家庭内での『最強』の称号を守り続けるだろう。

















言い訳

ちょっと大惨事の輪郭が見えてきたかと思います。

↑まだ引っ掻き回すつもりか…

こっちのゆっきーにも「破廉恥!!」って叫ばせたかったのが7割4分あります(多)

しかし…あまりバイオレンスではないですね…

…この兄弟で、殴り合いとか成立しないので…まあ精神的なものですかね…

↑たち悪い(笑)