急に楽しみになった補習授業に向かう幸村の足取りは軽い。

途中ですれ違ったくのいちに声を掛けられたが、彼はそれを無視してまで急いでいた。

その手に大事そうに抱えられた風呂敷の中には、小十郎が持たせてくれた新作和菓子が包まれている。

準備室のドアを開くのも軽やかに、足が準備室内に入るより前に口を開いていた。

「先生!約束通り持ってきましたよ〜!!」

「…ああ…そこへ…」

相変わらず暗い準備室の奥から、この部屋に見合った微かな声が聞こえてきた。

「何してるんですか?」

大量の本の山に阻まれた幸村が、声だけを奥に向けると

「茶の用意」

申し訳程度に棚の影から顔を出した半蔵は、確かに急須を手にしていた。





緑茶を二人分用意した半蔵が椅子に腰掛けるのを待ってから、幸村はうきうきと風呂敷を広げる。

しかも、それを食い入るように半蔵が見つめている。

不思議な光景だ。

だがそれを客観的に見れる人物は、今この場にはいない。

「今の時期なので、紫陽花です!!」

「ほう…これはまた見事な…」

赤みがかった紫陽花と青みがかった紫陽花は、どこか抽象的であるのに、その可憐な萼は丁寧に作りこまれている。

これを作ったであろう小十郎の細やかな気配りが感じ取れる。

しげしげと眺めていた半蔵は、ふと何かを思いついたらしく

「紫陽花…か…」

そうぶつぶつと呟いていたかと思うと、幸村を見据えてこう言い放った。

「よし。来週までに紫陽花に関する歌を5つほど探して来い」

「…へ?」

それは俗に言う“宿題”ではあるのだが、どこか命令にしか聞こえない。

一瞬、かぐや姫に無理難題を吹っかけられた男達の気分が味わえた。

「歌…ですか…?」

「短歌俳句和歌川柳…何でも構わぬ。出来れば古いものが好ましいが…現代のものでもよい」

最後の方が投げ遣りだったのは、彼の視線は小ぶりな紫陽花に釘付けだったから。

「では頂くか」

「え?あ、はい」

よく見ると小十郎は菓子を二人分用意してくれたらしい。

気付けば幸村の目の前、いつもはテキストとノートがあるはずの位置に、茶と紫陽花がスタンバイしていた。

「「頂きます」」

何故かハモった声にお互い顔を見合わせるが、特に気にせずに紫陽花に手を伸ばす。

真剣な表情で丁寧に紫陽花を切り崩す半蔵を窺い見た幸村は、その無表情に滲み出る喜びを感じ取る。

よく見ていれば、意外と半蔵の表情の僅かな違いが分かってくるものだ。

幸村も半蔵につられるように、丁寧に紫陽花を切りながら、笑みを浮かべていた。





結局ほとんど、和菓子についての雑談となって授業の終了時刻が近付いていた。

ふと、大分前に父や姉に薦められた“補習”が頭をよぎる。

「あの…先生のお時間さえよろしければ…その…授業とは別に…補習というか…」

無理を言っているという自覚があるのか、いつものようなはきはきした喋り方ができない。

それをもどかしく思いながら、どうにか意志を伝えようとする。

(やはり父上に頼めばよかったかもしれない…)

幸村が後悔し始めた時、それまで黙っていた半蔵が水を向ける。

「個別の補習なら…放課後でよいか?」

「いいんですか!?」

「無論。それが仕事だ」

幸村は決まった部活に所属していない為、バイトがない日はいつでも空いている。

やけにあっさり決まって拍子抜けしてしまった幸村に、半蔵は淡々と曜日と時間だけを告げた。

幸村はといえば緊張していた反動か、気がつけば教室に戻っているという有様だった。







帰り支度をして玄関へ向かう間も、どうやって準備室から帰って来たかを思い出そうとしていた。

だがどうしても思い出せず、ただ「何か失礼な態度をとっていないか」ばかりが気にかかる。

そんなことで思い悩んでいるとは知らないくのいちは、いつもの調子で幸村に飛びついた。

「今日は一緒に帰るって約束しませんでしたっけ〜?」

「まままままままままさか!!そんな約束!?」

半蔵のことしか考えていなかった幸村の慌てっぷりに、くのいちは訝しげな視線を向ける。

その目で漸く我に返った幸村は、わざとらしく一つ咳をして

「すまない。忘れていた」

「…も〜…帰りましょ?」

勘が鋭い彼女は、それでも何も言わずに歩き始めた。





徐々にいつもの幸村に戻ってきたことに安堵していたくのいちだが、校門のすぐ側にとまっている黒塗りの車に嫌な予感がした。

「そういえば…幸村様…噂…聞いてます…?」

「噂とは…?」

全くもって噂話に疎い幸村が問い返すと、どこから情報を仕入れるのかくのいちは「未確認なんですけどね」と前置きして口を開く。

彼女の話をまとめるとこうなる。

留学していた生徒が、近日中に学園に帰ってくる。

その生徒の実家(といっても血の繋がりはないらしい)は、かなりの資産家らしい。

その生徒は容姿端麗ではあるが性格がきつく、大抵の者は敬遠しがちだそうだ。

そして、どうやら幸村と同じクラスになる可能性が高い。

「…何か問題があるのか?」

噂だけでその人物を判断しない幸村には、彼女が何を危惧しているか分からない。

「問題っていうか…」

普通はそんな、皆が口を揃えて性格がきついという人間と、好き好んで関わりあいになりたいと思わないだろう。

だが、くのいちは唐突に理解した。

彼女としてはちょっと「幸村様が虐められたらヤだなぁ」といった気持ちがあったのだが。

「何だ、幸村様だし…」

問題なんてないじゃん。

そう呟いたくのいちの真意を量りかねて、問い質したい幸村だったが、うまく質問できずにうやむやになる。

「大丈夫ですよ。虐められたら私に言って下さいね!!」

「虐められるわけがないだろう…」

漸く彼女が心配してくれていたことに気付き、しかもその内容が内容だけに幸村は苦笑いしか出来なかった。

そんなこんなで校門に近付くと、黒塗りの車の側にいる直立不動の男が、強面に似合った鋭い一瞥を幸村に投げかける。

その様子に更に嫌な予感を募らせたくのいちだが、当の本人は全く気付いていないので、自分も気にしないことにしたようだ。

後手後手に回るのは嫌だったが、ここでいらぬ騒ぎを起こす必要はないと判断したらしい。

後から思えば、彼女一人の力でどうこうできる問題ではなかったのだ。

厄介ごとが待ち構えている気配を察しつつ、今夜は真田家で夕食を御馳走になることに、全ての意識を向けることにした。


















言い訳

…ようやく、学校での話…に…?

でも、結局サナハンにもっていけない…

やはり憎み合う者同士でなければ…(笑)

2の発売に伴って登場キャラを増やさねば!!

察しのいい方は文中の人物が誰かお分かりかと…

義…の三人が…大暴れ…の予定(^^;)