真白の世界に佇む彼の人は…
ぼんやりと縁側に座った半蔵は、見事なまでに白い雪景色を眺めていた。
「雪が…好きなのか?」
不意に横に座っていた幸村に訊ねられ、半蔵はようやくその存在を思い出した。
もっとも彼が容易にそんな様子を気取らせるわけはない。
それにもしそんな様子をおくびにでも出せば、幸村が簡単に不貞腐れるのは目に見えていただろう。
「さあ…どうだろうな…」
白い息と共に答えになっていない返事をした半蔵に対して、幸村もそれ以上何も言わず、しばし二人して何をするでもなく外を眺める。
この何でもないような時間がとても貴重なのだと、以前半蔵が言っていた言葉を幸村はようやく分かり始めた気がしていた。
それでも手を重ねるくらいなら…と、ささやかな下心を込めて半蔵の手をちらちらと見ていたら
「好きかもしれぬ…」
幸村の耳に小さくそんな声が聞こえてきた。
「わ、私が!?」
「いや、雪が」
思わず叫んだ幸村に対しても、素早いツッコミで返す。
そりゃそうだと、先走った自分が恥ずかしくなった幸村に
「仕事が、しやすくなる」
小さな声のまま更に現実感溢れる言葉を投げかけた。
「音が…聞こえにくくなるから…か?」
半蔵の言葉に対し、雪の日の深々とした情景に思いを馳せながら口に出すと、頷きながら半蔵は口を開く。
「それにこのような雪の中、人間が潜んでいると思うか?」
「……思わぬ」
そんなことをしたら間違いなく凍えてしまうだろう。
だが、半蔵のような生業をしている者は、そのようなことを言っていられないのだ。
「油断している。だから仕事はしやすい」
ここにきてようやく幸村は思い至った。
普段、半蔵は仕事の話を進んですることはない。
今を逃したら、彼の影の部分は知らないままかもしれない。
そう思った幸村の行動は早かった。
「…だが、辺りが白いと…そなたの忍び装束では目立たぬか?」
問いを重ねることによって、少しでも話を長引かせようとする姿勢に気付いた半蔵は、やや躊躇った後ではあるが
「無論…逆に目立つが…必ず陰の部分はある…」
その僅かな陰を辿って、足跡も残さずに目的を遂行する。
光の当たり具合やそれによって出来る陰影、人の目線の行き方などを熟知している者だからこそ活動できる。
「なるほど!雪の日に活動できるのは、余程の玄人というわけか!」
納得したのかしていないのか、よく分からないが尊敬に近い眼差しを向けられた半蔵は、圧倒されて身を引いた。
「…そういう…ことも言えるかもしれぬ」
取り合えず悪い気はしない半蔵はそう返し、笑みを浮かべたままの幸村から庭に視線を転じる。
すると何を思ったのか、一面の雪景色の中へ幸村は急に裸足のまま飛び出した。
止めようと思っても止められるような勢いではなかったが、反射的に止めようとした半蔵は腰を浮かす。
だが、直ぐに諦めて溜息をついた後、手拭を取りに部屋の中へ引っ込んだ。
次に縁側に戻った半蔵が見たのは、仲良く縁側に腰掛けている犬と兎だった。
いや、正確には幸村と雪兎だったのだが。
暫く幸村の茶色い目と雪兎の赤い目を見比べていたが、盛大な溜息をつくと、真っ赤になった幸村の手や足の水分を丁寧に拭き取る。
「入るぞ」
それから半蔵が手を引いて室内へ誘導しても、幸村は一向に動かない。
「あげよう」
それどころかそう言って雪兎を空いた手で指差すものだから、しばし半蔵は雪兎と見詰め合ってしまった。
徐々に幸村の性格を把握してきた半蔵は、この男は動かないと諦めて再び腰を下ろす。
とりあえず手だけでも温めてやろうとしているのか、武士らしい手を握り締めたままだ。
幸村の訳の分からない行動など日常茶飯事だが、流石に気にはなるらしく半蔵は渋々問い掛けた。
「…いきなり何を…」
「雪が好きなのだろう?」
真っ直ぐに微笑みかけられ一瞬たじろぐが、そのあまりの素直さに、不安のような暗い感情が半蔵の中に渦巻く。
「おぬし…拙者が好きだと言えば何でも寄越すのか?」
「ああ」
その柔らかな笑みに、半蔵の焦燥は増していくばかりだ。
「………ならば…欲しい物があるのだが」
試すように告げた半蔵に、寂しげな微笑を浮かべた幸村は直ぐに反応を示した。
「…お館様の首か?」
「違う」
「…私の首か?」
「違う」
「ならば…」
他の武田家の重臣の顔が思い浮かんでは消えていくが、半蔵がそこまで執着するような人物はいないだろう。
考え込んだ幸村の耳に、消え入りそうな小さな声が飛び込んできた。
「好きかもしれぬ…」
今までの会話の中で、それに該当するようなものが思いつかず
「…何が…?」
そう訊ね返す幸村から視線を逸らした半蔵は、可愛らしい雪兎に優しく撫でるように触れ
「愛い兎を作ってくれる者が」
その言葉を理解した瞬間、夢中で幸村は目の前の体を、己の腕の中に閉じ込めていた。
外は再び雪が降ってきたようで、強い風の音が聞こえているが、布団の中だけは温もりが途切れることはなかった。
相手がまだ寝ていないことを知っている半蔵は、己の頭の下にある腕に触れながら口を開く。
「月は…何色だ?」
「ん?月か…?月は…白だな」
天井を見上げていた視線を外の方へ向けた後、そう断言した幸村をまじまじと見た半蔵は
「黄色ではなく?」
「ああ…黄色とか金色とか…人によって色々と思うらしいが…」
仰向けていた体を半蔵の方に向け、更に空いていた手を半蔵の背に回すようにして抱きしめると
「でも私は白だと……そう言う半蔵は?」
「…拙者も…白だと…」
「おお!!ならば同じ色を見ているのだな!!」
嬉しそうに微笑んで抱きしめる幸村に、半蔵は少しだけ泣きそうな笑みを浮かべた。
「雪の色は…月の色だ」
どちらともなく呟いて重なったのは、外の寒さをものともしないほどの熱を孕む唇。
翌朝、兎は月へ帰っていた。
表門