「これは遠い所をようこそ…」
労いの言葉をかけながらも、昌幸は油断なく半蔵の様子を窺がっている。
いや、昌幸だけではなく、周りを取り巻く家臣達も半蔵の隙なく挙動を見ていた。
どちらかというと、主の目の前にいる人間が本当にあの“服部半蔵”なのかと疑っているようでもあった。
ここにいる人間は皆、戦場での覆面をした半蔵しか知らないのだから無理もないことだ。
「供もつけず、さぞやお疲れでしょう。…父上、今日は手短にして明日にでもお話を伺っては?」
「ははは。それもそうだな」
今のところは敵である半蔵にも柔らかな態度を崩さない信幸に、もっともだと昌幸も笑う。
実際に疑われる要素は少しでも減らす為に、供をつけずに単身やって来た半蔵を、そうと知って信幸は気遣った。
だがたったそれだけで、先程までの張り詰めていた場の雰囲気が和らいだ気がした。
未だ警戒をとかず、食い入るように半蔵を見ている弟のように『そこにいるだけでも目立つ』という訳ではない。
だが、内に秘めた人の良さのようなものが滲み出ていて、非常に好感が持てた。
(ほぅ…これなら…)
稲姫は半蔵にとっても娘か妹のようなもの。
いくら政略結婚とはいえ、出来ることなら良い人の元に嫁いでもらいたいと思うのは当然だろう。
「それでは今宵は我が屋敷で…」
本当に本題が明日になったことに内心驚きつつも
「お気遣い、痛み入ります」
どうせ監視付ではあろうが、何もやましい事はない半蔵はあっさりと頭を下げた。
「いや…狭いところで申し訳ないが…」
先程までの警戒はどこへやら。
苦笑を浮かべる昌幸に、半蔵は首を横に振って深々と頭を垂れた。
昌幸の合図で小姓が半蔵を屋敷に案内しようと近付いた時、家臣団の末席の方で一人の男が立ち上がる。
「貴様に殺された息子達の恨み!!」
その言葉に半蔵はちらと振り返ったが、すぐに興味を無くしたらしく前を向く。
「覚悟!!」
実際に目では見ていないが、背後で何が起ころうとしているか、半蔵には分かっているはずだと幸村は思っていた。
だがそのまま走りこみながら男が振り下ろした刃は、呆気なく微動だにしない背を斬り裂く。
「くっ…!!」
凶刃を受けた半蔵は、驚くことに微かに呻いただけであった。
「て…手当をっ!!急げそやつを取り押さえい!!」
ようやく事態を把握できた昌幸の指示に、固まっていた家臣達が動き出す。
どうすればいいのか分からず、側でわたわたしている小姓に微かに笑みを向けた後、半蔵はすっくと立ち上がった。
まるで痛みなど感じていないかのような行動に、男を取り押さえてようとしていた家臣達は動きを止めた。
そして何より、傷の深さをその手ごたえから知っている男も驚きを隠せない。
彼は、殺す気で、斬りつけたのだから。
「…これで…貴殿の御子息達は…報われますな?」
かの鬼半蔵が浮かべるには、やけに柔らかな笑みだった。
そこでようやく、斬りかかった家臣は気付いたようだ。
戦場にて命を落とすは、戦国の倣い。
敵味方に分かれても、その境界はとても曖昧なもの。
昨日は仇だった者が、今日いきなり仲間になることだって少なくない。
また、昨日酒を酌み交わした友を、今日斬らねばならないこともある。
そして何より…
どんなに望んでも、死んでしまった者が黄泉返るなど、ありはしないのだ。
抵抗をやめた男に気付き家臣達が急いでその体を拘束する。
それを見届けたかのように、半蔵の体が揺らめいた。
誰よりも早くそれに気付いた幸村は、瞬発力をいかんなく発揮し、その体が畳に叩き付けられるのを防ぐ。
自らを支える力強い腕が、それなりに見知った者だったことに半蔵は驚いた表情を浮かべた。
だが意識を繋ぎ止めることが難しくなったらしく、無防備にも気を失ったようだ。
その部屋に居並ぶのは、歴戦の強者達。
着物を染め上げ続ける赤と、元々の白さを越えたその顔の青白さに、かなり危険であることを悟った。
「薬師を呼べ!」
もちろん幸村とて例外ではなく、いつの間にか側に来ていた強張った表情のくのいちにそう言い放つ。
そしてそのまま半蔵を抱き上げると素早く兄に視線を向ける。
それに頷きで返した信幸は、やや硬い声で呟いた。
「処分は私が…」
その答えに頷いた幸村は、腕の中の体を出来るだけ揺らさないように、部屋へ向かった。
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