やけに心地よい夢を見ていた気がする。

そんなことを思いながら、目を覚ました半蔵が最初に見たものは、清潔な白だった。

頬に当たる感触で、それが布団であることに思い至った時、おそるおそる声が降ってきた。

「起きたか…?」

うつ伏せの体は思うように起こせないので、視線だけを巡らす。

「私だ…」

そう言いながら半蔵の視界に入るように移動してきたのは幸村だった。

「父上と兄上を」

控えの者にそう告げた後、睨んでいるわけではないが体勢の為、睨み上げているように見える半蔵が口を開いた。

「…ここは?」

「ん?ああ、ここか?ここは…私の自室だ」

何だかよく分からないままに助けられたことに気付き、やや半蔵は眉をしかめた。

「それより、背は痛むか…?」

あまり痛みを訴えない背中に意識を集中させてみると、布を巻かれていることにようやく気付いた。

布団は上半身にはかけられていないようで、やや肌寒さは感じたがやはり痛みはあまりなかった。

「…いや」

酷い傷であるほど体の防衛本能が働くのか痛みはほとんどなく、ただ縫合したと思われる糸の引きつる感触しかない。

「まことか?痛いなら痛いと言ってくれ…」

困ったような幸村の表情から察するに、かなり酷い傷だったのだろう。

半蔵としては、致命的にならないように、かつ傍から見ても分からぬ程度に身を引いたつもりだったのだが。

「…痛くないものを痛いとは言えぬ」

憮然とした半蔵の様子で、本当に痛くないのだとようやく信じた幸村は安心したように微笑んだ。

今のところは敵である相手に、心底穏やかな笑みを浮かべる幸村に半蔵は微かに眉を顰める。

演技か本当か見極めようとしていたが、そんなに器用な相手にも見えなかった為、すぐに考えることを放棄した。

「失礼」

部屋の外からそう声を掛け襖を開けたのが昌幸だと気付いた半蔵は、すぐに体を起こそうとする。

慌てて室内へ入ってきた昌幸は、場所を開けた幸村のいた場所へ座ると、そっと剥き出しの半蔵の肩を押さえた。

「どうぞそのまま…」

正直に言って、体を起こすのは億劫だった半蔵は、素直に厚意に甘えることにした。

「…先日はご無礼を…」

畏まって告げられたその言葉に、半蔵は一日眠り続けていたことを知る。

「いえ…身から出た錆でござる」

実際、斬りかかってきた男に心当たりがあるわけではない。

ただ男の言うことに心当たりが全くないわけでもないので、そうお茶を濁すことしかできない。

「誠に申し訳なく…厳重な処分を致す所存にございます……信幸」

そう呼びかける昌幸の陰に、長男の信幸がいたらしく、半蔵の視界に凛々しい若者が入ってきた。

「はっ…明日か明後日にでも…」

「お待ちを…」

起き上がろうとすると昌幸がまた肩に手を置こうとしたが、半蔵はそれをやんわりと拒絶した。

止めても無駄だと分かったのか、幸村は起きあがるのを手伝う。

「…すまぬ」

「…いや」

戦場ではいがみ合うことしかなかった為か、二人とも違和感ばかり抱いていた。

上半身をはだけていた小袖を直し、布団の上ながら姿勢を正す。

「今暫くお待ちを…恐らくあの方の行動は、あの場にいた皆様と同じお気持ち…」

怪我人だというのに、力強い視線に三人は怯みそうになった。

「いきなり敵を信用しろと言うのが無理なこと。特にあの方のように忠誠心厚い方なら尚更にござる」

しっかりと昌幸の目を見据えた半蔵は、更に言い募る。

「厳罰はなりませぬ。臣下のお心、離れまするぞ」

「…それでは……許せ、と…?」

「いかにも」

昌幸は人の言葉の裏に隠された真実を見出すことに長けていた。

それゆえ今、半蔵の言葉に対してかなり動揺している。

敵方からの客人を傷つけたということに対して、罰を与えて解決することは容易い。

そのことで徳川方に、今回の不祥事のけじめもつけられよう。

確かに半蔵の言う通り、家臣達から非難が出るかもしれないが、それはごく少数派であろうと予測できる。

あの場の人間から見ても「半蔵は抵抗していない」のだから、全面的に斬りつけた家臣の罪になる。

そこに例え、半蔵…いや徳川に対する恨みがあったとしてもだ。

だが、半蔵はその容易な解決方法をやんわり拒み、昌幸の出方を伺った。

家臣達が納得し、かつ今後このようなことが起こらぬよう、徳川に対する反発の抑制を求めた。

それでいて、本当に半蔵の言った通り斬りつけた家臣を何らかの形ででも罰せねば、それは徳川に対する不義となる。

「……承知致しました。服部殿のご恩情、確かに」

深々と頭を垂れた昌幸の顔は、苦々しげだった。





思案顔の昌幸と信幸が去っても、幸村はその場に居座っていた。

そこが彼の部屋であることを考えれば当然のことなのだが。

「…半蔵…ど、の……いや、服部殿…かたじけない」

畏まった声で呟く幸村へと、視線だけを向けた半蔵に

「その…庇ってくれて…」

「庇う…?」

「半蔵が…殿…その…は、服部殿が庇ってくれた家臣には…恩があるのだ」

「……そうか」

半蔵の言葉を素直に捉えたらしい若者に、心なしかバツの悪い表情を浮かべ、それを誤魔化すように

「よいか。拙者ここにいらぬ波風を立てに来たわけではない」

「う、うむ。実は疑っていて…すまなかった」

「…いや……それよりも手早い処置に手厚い看護…礼を言う」

「当然のことをしたまで。それよりも半蔵の…ど、の…服部殿…」

「待て。先程からぎこちない呼び方だな」

「あ、ああ…その…いつもは…」

戦場で「半蔵!!」と大声で呼び捨てにされていたことを思い出し

「呼び易い呼び方をせよ」

「いや…客人であるわけだし…」

「中途半端で不快だ」

はっきりとそう言われてしまっては幸村にはどうしようもなかった。

「では、半蔵。そなたのお陰であやつの首が飛ばずに済んだ。本当に…かたじけない」

「……当然のことをしたまで」

そうつっけどんに言ってみても、幸村の笑みに悪い気がしないのも事実だった。