手厚い看護の賜物か、傷が癒えるのは思ったよりも早かった。

とりあえず家康には「疲労」による滞在期間の延期を伝え、許可もとってある。

もっとも家康とてその話の裏を知ってはいるが、今は事を荒立てるのは得策ではないと判断し大人しくしているだけだ。

普段通りに動けるようになってから、半蔵はようやく当初の目的を果たすことができた。

「本田忠勝が娘…小松姫との婚儀の話、ご深慮願いたく…」

「ほう…で?信幸ですかな?幸村ですかな?」

「…ご嫡男の信幸殿との…」

「それはいい。どうだ?信幸?」

ことごとく半蔵の言葉を遮った昌幸の問い掛けへ

「それはもう喜んで」

その答えはまさに快諾。

少しはにかみながら答える信幸に、昌幸も満足気に笑っている。

昌幸の方でも考えていたのかというくらい、直ぐに話はまとまった。

ただ少し条件をつけられたが、それは家康の予想の範囲内に納まっていたので全面的に受け入れた。





宛がわれた離れの部屋ではなく、いつの間にか入り浸っていた幸村の部屋の縁側で半蔵は座り込んでいた。

まだ風は少し肌寒いが日差しは暖かな為、二人はどちらから誘うでもなく縁側でぼんやりとする。

「…まさかここまで話が上手くいくとは…」

「はは…半蔵の手腕だな」

茶を入れながらそんなことをさらっと言ってしまう幸村に、思わず苦笑が浮かぶ。

「おぬし…意外に口がうまいな」

だが幸村といえば苦笑する半蔵から視線が離せなくなっていた。

「何だ?」

「今…笑った…?」

「笑ってはならぬか?」

「あ、違う…その…」

入れた茶を半蔵へ渡しながら、再びじっとその顔を見つめる。

「そなた…良い男だな」

「は?」

危うく茶をこぼしそうになった半蔵に構わず

「今までそんな風に見たことがないから気付かなかったが…」

どんな風だ、とツッコミを入れることも出来ない半蔵は、まじまじと見る視線に耐えられなかったらしく顔を逸らす。

「やはり…良い男だ」

「おぬしは…」

自分で言った言葉に一人で納得しているらしい幸村に、思い切り半蔵は溜息をついた。

「…本当に…口がうまい」

「そうか?そのように言われたのは初めてだが…」

ならば無自覚でタラシなのだろう。

そう結論付けた半蔵も、幸村の顔をまじまじと見て意趣返しを謀ることにした。

「おぬしの方が良い男だが?」

「かような冗談…っ!!」

今まであまり言われたことがないのか、一気に幸村の顔が赤くなる。

ころころ表情の変わる相手が面白かったのか、半蔵は声を殺して笑った。

この数ヶ月で、彼がこうして半蔵にからかわれることは珍しくない光景となっていた。

最初の頃はお互いがお互いに、相手を生真面目すぎると思っていてどことなく緊張していたのだが。

「わ、笑わずとも…」

「すまぬ」

情けない表情の幸村にそう告げる半蔵の顔は、それでもどこか笑みが残っている。

今ではまるで友人のように言葉を交わせるまでになっていた。

くのいちに言わせれば「ありえない」だそうだ。



暫く他愛のない話をしていたが、まるで冬の終わりを感じさせるような暖かい風が急に吹く。

「春が近いようだな」

「…ああ」

思ったよりも強い風だったのか、それによって舞い上がった砂塵が半蔵の目に飛び込んだ。

「…っ」

「ああ、擦るな。今、水を持って…」

それに気付いて立ち上がろうとした幸村の小袖の裾を軽く引っ張り

「いや…構わぬ…」

そう言って掌で目を覆う半蔵は、どうやら涙で押し流そうとしているらしい。

暫くそうしている半蔵を見ていた幸村は、無意識のうちに行動を起こしてしまった。

目の痛みなど忘れてしまうくらい驚きに見開いた半蔵の目に、逃げるようにして去っていく広い背が見える。



再び風が吹いたが今度は砂塵は舞い上がらず、ただ他人の温もりが触れた半蔵の唇を、微かに撫でていった。