大々的な政略結婚であった割に、嫁入りした稲姫に付き従ってきた侍女達はあまりいなかった。

噂によると稲姫が「見知らぬ土地へ行くのは心細かろう」と、希望者のみを厳選したらしい。

その代わりのように暫くの間、半蔵が上田に残ることとなった。





微妙な関係のまま離れていくことだけは避けられ、安堵していた幸村だが、逆に生じる問題もある。

ぼんやりと縁側に腰かけ、庭を見るでもなくただ眺めているその様は、隠居した老人のようでもあった。

(私は…半蔵をどうしたいのだろう…)

それはまさに幸村の今の悶々とした気持ちを表すような、的を射た疑問だった。

だが、それ以上を考えるのは半蔵を汚す気がして気が引けたらしい。

すぐに激しく頭を振り、邪念を晴らそうとした。

「な〜にやってんですか〜?」

「…考え事だ」

いきなり現れたくのいちに対して、無意識のうちに返事をする幸村は心ここにあらず。

(で、では…義兄弟…に…?だがあの半蔵が果たして…)

「やれやれ…半蔵なんか槍の練習しちゃってるってのに…」

主の怠けぶりを非難するつもりの言葉は、残念ながら幸村の耳に素直に入っていかなかった。

「半蔵、が…槍の…?」

戦場で対峙した時の鎖鎌を扱う姿しか見た事がないため、それはとても奇妙なことに聞こえる。

噂でその槍捌きは見事なものだと聞いたことはあるが、無意識にやはり噂は噂でしかないと決め込んでいたようだ。

だがそんなことよりも、すぐに「見てみたい」という気持ちが勝ったらしく

「どこでだ?」

「は?…もちろん離れでだけど?」

侍女ではないので嫁入りした稲姫と共に暮らすわけにもいかない半蔵の為に、離れをまるまる貸し出している。

やましいことはないだろうが、疑われる要素を極力減らそうとしているらしく、半蔵はあまりそこから出ない。

その代わりとでも言おうか、半蔵の部下と思われる忍が闇夜に紛れて頻繁に出入りしている。

草の者からの報告で昌幸もそのことを知っていたが、敢えて不問にしていた。

それが余計に半蔵の行動を制限することを知っているからだ。

家康の情報網をほぼ一手に引き受けていると言っても過言ではない彼が、未だにここにいる。

それは警戒すべきことであると同時に、人質としての意味合いも含まれている。

よほどこの駆け引きに自信があるのか、昌幸は半蔵に対して特に行動を制限するような言動はしなかった。







「ほんとに行くんですかぁ〜?」

「ここまで来て何を言う」

呆れたように問い掛けるくのいちに、これまた呆れたような表情で幸村は答える。

「あたし…あまり半蔵に会いたくないなぁ〜…なんちって」

珍しく元気のないくのいちの様子に、やけに不安になって

「まさかそなた…半蔵に何かしたのではあるまいな?」

「まっさか!!違いますよ〜」

「…では…そんなに半蔵と仲が悪かったか…?」

「仲が悪いとかって問題じゃなくて〜…」

どもるくのいちに、幸村の頭の中では色々と仮説が立っているらしい。

しかもかなりとんちんかんな。

どんどん悪くなっていく幸村の顔色に、被害を最小限に抑える為くのいちは素直に白状することにした。

「ほら…半蔵って説教くさいじゃないですかぁ」

「は?……まあ…そうかもしれぬな…」

「会う度に説教されるから…」

そこまで言ってようやく幸村は理解できたらしい。

「身から出た錆だ。素直に聞けばいいだろう?」

「……幸村様は半蔵のお説教くらいたい?」

「……む………それは…」

「ほら」

くのいちはしたり顔でそう言って

「じゃ、そういうわけで…」

にっこり笑ったかと思うと、その姿はすぐに掻き消えた。







くのいちとの会話で、何やら自分も説教されるのでは…と心配になった幸村は少々重い足取りでやってきた。

しかし、覗き込んだ光景にその思考は停止する。

幸村でさえ扱えるか分からない長さの槍を軽々と扱う半蔵の様子に、ただ呆然と見入る。

槍が重いのか、それを振るう半蔵の槍捌きが鋭いのか、風を切る音が離れた場所に立っている幸村の耳にもしっかりと聞こえた。

「もののふ…?」

こちらを振り向きもしないで呟かれた言葉で、あっさりと気取られたこと気付く。

仕方なく半蔵のもとへ歩いていく幸村の足取りは、やはりここへ来る時のように重かった。

先の行為は覗き見以外の何ものでもないと知っている幸村は、必死に言い訳を考える。

「あ、その…」

「丁度いい」

「へ?」

「相手を頼む」

そう言うと半蔵は傍らに転がっていた別の槍を拾い、無造作に幸村に投げた。

「うわっ!!」

どうにか受け取った幸村に半蔵は槍を構える。

構えられれば無意識のうちに自らも構えてしまい、幸村がしまったと思った時には既に半蔵の槍先は動いていた。

慌ててそれを下から払い上げると、そのまま相手に突きつける。

半蔵もそれを予測していたようで軽く身を引くと、跳ね上げられた槍先を真っ直ぐ下ろす。

それを絡め取るように幸村が槍を動かせば、半蔵はすぐに槍を引く。

まさに一進一退で、どちらも決定打を出せないまま、相手の出方を伺う。

戦場での殺気とは違い、程よい緊張感を消すのが惜しいという感覚だけが二人を動かしていた。





それから数刻経っても勝負はつかず、日が落ちる頃には二人の息も上がりきっていた。

どちらともなく槍を引き、その場に腰を下ろす。

初めて見た見事な腕前に、幸村が感嘆の声を上げた。

「噂には聞いていたが…」

「…気が晴れたか?」

だが、幸村の声を遮るように、やや息の上がった声で半蔵が問い掛ける。

ここ最近、悩みを抱えていたこと気付かれていたらしい。

もっともその悩みというのは、目の前の人物に関わることなのだが。

「あ…それは…」

はっきりと口に出せるほど熟考したわけでもない。

ましてや、半蔵にはそれを言ってはいけない気がする。

どう誤魔化そうかと幸村が考え込んでいると、唐突に風が吹き抜けたかのような感覚を唇に感じた。

「拙者の気は晴れた」

そう言って微かに笑う半蔵に、見惚れてしまったらしく幸村は微動だにしない。

瞬きすら忘れた幸村を見て、半蔵は苦笑しながら離れへと戻っていく。

だが幸村は、まだ他人の体温が触れた唇に意識が集中しているらしく、暫く座り込んだままだった。