くのいちに揶揄されたように、まるで妻訪いの如く半蔵のもとへ訪ねて行く。

その微妙な立場ゆえ半蔵はあまり外へ出ないので、幸村が行かなければ会えないのだ。

信之と稲姫の結婚が無ければ、人質として扱われてもおかしくなかった。





どうしても話しておきたいことがあった幸村は、やや強引な手を打った。

「少し…行かぬか?」

もう既に馬を二匹引き連れた状態の幸村とくのいちを前にして、無碍に断るほど半蔵も鬼ではない。

「暫し待て」

呆れたような表情を浮かべたかと思うと、そう告げるとすぐに着替える。

直立不動で待っていたらしい幸村に再び呆れたような目を向けると、くのいちから手綱を受け取る。

その時、彼女が去り際に見せた表情は、呆れているようにも怒っているようにもとれる複雑なものだった。







久しぶりの遠乗りに、僅かだが半蔵の表情が明るく見えた。

それが自分の思い込みではないと確信した幸村は、ほっと胸をなで下ろす。

暫く走り続けて馬が疲れてきているのを感じ取った二人は、どちらともなく川へ向かっていった。

馬を休ませ傍にある木に繋ぐと、幸村は草の上に仰向けに転がる。

それにつられるように半蔵がその横に座ると

「すぐではないが…私は上田を出ねばならぬ…」

半蔵が腰を落ち着けるのを待ってから、独り言のように口を開いた。

「兄が嫁をもらったからな…」

これまでもほぼ確定していたことだが、確実に家督は長男が継ぐだろう。

いつまでも兄の世話になりたくはない。

「その時は、そなたも家康殿のもとへ戻れよう」

嘘をつくのが下手な幸村は、そう言って悲しげに微笑んだ。

それから目を逸らした半蔵も「そうか」と言って苦笑した。

言いたいことを言い終わった幸村は、急に黙り込んでしまう。

いや、本当は言いたいことは別にあるのだが、どうしても二の足を踏んでしまう。

「もののふ…実は言い忘れたことがある」

「な、何だ?」

内心、どきどきしながら「それは私が先に言うべきでは…」などと考えていた幸村に

「実は、今日は雨が降る」

「へ?」

まるで天気の話をするように──と言っても、実際に天気の話だが──半蔵はさらりと言った。

「しかし今は晴れているではないか」

自分の思っていたことがとんだ見当違いだったことも忘れて、自分達の真上を見上げる。

「…そうか……雨に降られても、知らぬぞ?」

その困ったような笑みに、それが形だけの問い掛けだと気付いた幸村は

「……それは好都合」

そう呟くと、不敵に笑った。

少しでも長い時間を共に過ごしたいのは、お互いの共通の思いだったようだ。







どうやら半蔵が予測していたよりも早く雨が降ってきたらしい。

慌てて雨をしのげそうな小屋を探すと、それは思ったよりあっさりと見つかった。

予めこの場所を知っていたのでは、と幸村が半蔵を見るが、半蔵はさっさと馬を繋ぐと小屋へ入っている。

同様に幸村が小屋へ入っていくと、既に半蔵は火を起こしているところだった。

「脱げ」

「は、半蔵っ!?」

あらぬ事を想像してしまったらしく、幸村の顔に朱がのぼる。

もちろんそれに半蔵が気付かないはずはない。

「…襲いはせぬ」

呆れたように幸村を見遣る半蔵は、てきぱきと濡れた衣服を脱いでいる。

慌てて背を向けた幸村だが後ろを振り向きたくてしょうがないようだ。

「…もののふ」

呼ばれて振り向いてしまった幸村の目に、上半身を晒した半蔵が写る。

いきなりのことに目を見開いたまま、幸村は黙り込んでしまった。

そんな幸村にも構わず手招きをしている半蔵に、ふらふらと近付いていく幸村は、視線を彷徨わせていて不自然すぎる。

「風邪を引く」

そう言うと服を脱ごうとしない幸村の帯に手を掛けた。

「じじじじ自分でやる!!」

流石にそこまでされては、色々と困る。

大人しく着衣を脱いでいくものの、どうしても逸る気持ちを隠せない。

だが半蔵はというと、全くそんなことには頓着せず、薪をくべたりしていた。

あまり日に焼けていない肌が炎に照らされるのを、何かにとり憑かれたかのように凝視する。

「もののふ?」

上半身だけを肌蹴たまま、呆然と突っ立っている幸村に気付いた半蔵が首を傾げて呼びかけた。

その炎によって揺らぐ瞳に見据えられた瞬間

「半蔵!!」

叫ぶように名を呼ぶと、幸村は冷えた床へその体を引き倒した。

その胸元へ額をこすりつけるようにすれば、自分の顔がどれだけ赤くなっているか容易に想像がつく。

思わず押し倒してしまった相手の心音を聞こうと耳を当てれば、やや速い鼓動が伝わってきた。

背後の気配でさえ感じ取れる半蔵が、驚いたということは余り考えられない。

となると、もしかしたら己と同じ気持ちなのでは、と幸村は期待していた。

「…どうした?」

だが分かっているだろうに、敢えて口に出す半蔵に抗議をしようと幸村が身を起こすと

「寒いか?」

半蔵はそう言いながら、ぎこちなく幸村の頬を撫でたり髪を梳いたりしている。

そして、少し苦しげに幸村を見つめていた。

その視線に半蔵の迷いや柵を見てしまった幸村は、それ以上のことに及べなかった。

完全に拒絶されなかったことで、余裕が出てきたのだろう。

ただ再び半蔵の上に圧し掛かり

「寒い」

と呟き、抱きしめる。

急に大人しくなった幸村の様子で、己の葛藤を見抜かれたことに気付いた半蔵は目を見開いた。

しかし、すぐに自らよりも大柄な子供を抱きしめ、温もりを分け合う。



いっそ雨など止まなくてもいいと、思っていた。