あの雨の日から、微かに二人の関係が変わり始めていた。

ただ半蔵はそれを認めたがらない素振りを見せたので、幸村もそれに従い大人しくしていた。

「半蔵。桜が見ごろなのだが…見に来ぬか?」

これほど近くで過ごせるのも残り僅かだと知っているからこそ、やや強引だと思いつつ幸村は二人だけの時間を持とうとしている。

もちろん半蔵も、それを迷惑だと思うはずもなく

「夕刻でよければ…」

「うむ!私の部屋へ後で来てくれ!!」

嬉しそうにそう告げて、足取りも軽く去っていく後姿に、人知れず半蔵は笑みを零していた。







気付けば何度も通い詰めた部屋へ、足早に向かう。

「…遅くなった…」

「いや。忙しいところすまない」

「桜とは…?」

「少し歩くことになるが…」

「構わぬ」

心配そうな表情の幸村に半蔵がそう答えると、直ぐに嬉しそうに表情が綻ぶ。

いそいそと草履を履いて歩き出す幸村に倣って、何も言わず半蔵も歩き出した。







春も終わりに近付いているのだろう。

咲き誇る満開の花と、散ってしまった花びらが一つの空間に同居していた。

その柔らかな桜の色が、最も風景に多く表れる時期だった。

「美しいだろう?」

まるで自分がそうしたとばかりに得意げに言う幸村の様子が、あまりにも可愛らしかったようだ。

「そうだな」

半蔵は腕をしっかり伸ばすと、やっと届くその頭に手を乗せ、思いの外艶やかな髪が乱れぬように丁寧に撫でる。

最初は子供のような扱いに不満気な表情を見せていた幸村だが、徐々にくすぐったそうに笑い始める。

それにつられるように、本人は無意識だろうが半蔵も柔らかな笑みを浮かべていた。

「もう少し、近付こう」

少し赤みの差した頬で、その景色の中へ入ろうとする幸村に異論はないようで半蔵は頷く。

細い指を持つ手を、まるで童のような無邪気さで掴むと、半蔵が振り払う暇を与えないようにすぐに歩き出した。



(このまま、この空間に閉じ込められたら…)



どちらともなくそう思っていた時、温い風が急に二人を包む。

疑問に思う間も無く吹いた突風が、花びらを巻き上げる様に思わず二人とも目を閉じた。

恐らくそれはとても美しい光景だったのだろうが、それよりも人間の反射行動の方が勝る。

最初に目を開いたのは半蔵だったらしく、じっと幸村を見つめていた。

「は、半蔵…?」

「じっとしておれ」

囁くように告げたかと思うと、繋がれていない方の手で、幸村の髪に絡まった花弁を丁寧に取り去っている。



半蔵の視線を独り占めする花弁に嫉妬したのかもしれない。



急に幸村はその手を掴むと、無理矢理己の指を絡める。

両方の手を拘束された形になった半蔵は、さすがにいい顔をしなかった。

どうにかして片方だけでも離させようとするが、幸村は全く力を緩めようとしない。

「半蔵」

不意に聞こえた情けない声に顔を上げた半蔵の目に、その声そのままの表情が映った。

「触れたい」

「……触れておる」

繋がれた手を見ながらの半蔵の言葉に、もどかしそうな表情を浮かべ

「全てに、触れたい」

低い声と熱い吐息を耳に感じた半蔵は、思わず息を詰める。

「半蔵…」

その声につられるように、半蔵の頭が縦に振られた。







(…桜に酔わされたか…?)

彼らしくないことを考えながら、幸村に導かれるまま歩いた。