実は幸村は今のこの状況を把握し切れていない。

襖など全て開け放してある上、そろそろ涼しい時間帯でもあるので熱気はない。

だが、この人口密度の高さはどうだろう。

目の前には何故か、慶次や孫市や阿国や五右衛門や政宗や小十朗がいる。

同じ陣営につくだろう慶次は分かるとして、傭兵である孫市がいるのもまあ分かるとして…

五右衛門や神出鬼没な阿国に関しては、何も言うまい。

それより何故、明らかに陣営が違うであろう政宗や小十朗が、当然のようにここにいるのか。

しかも考え込んでいる幸村になどお構い無しに、政宗の眼帯についてくのいちと揉めている様だ。

右往左往しているのは小十朗だけで、あとの者は完全に傍観者を決め込んでいる。

「おチビちゃん見せて〜」

「チビと言うな!馬鹿め!!……断る!!」

「にゃんで〜?」

「…見て面白いものではなかろう」

「そんなの見てみなきゃ分かんないっしょ?」

仮にも一国の城主にこの言葉遣い。

呆然としている間に、それにつっこみを入れるタイミングを逃したらしい。

ずっとこの調子なので、あまり気が長いとは言えない政宗の堪忍袋の緒はあっさり切れた。

「そこまで言うなら見せてやるわ!!」

そう言い放つと、政宗は立ち上がり無造作に眼帯を毟り取った。

「あひゃあぁ…すっっげぇ〜…」

思わず口から漏れたくのいちの声はその場に居合わせた者の思っていたことを代弁していた。

「ふん。これで満足か」

いつものような尊大な物言いは、苦々しさに満ちていた。

その傷は、目を背けたくなるほど酷い傷だった。

微かにだが発疹による小さな穴が残っており、更に瞼と思われる皮膚が捩れたまま癒着している。

目を矢で射抜かれた者でもこれほどにはなるまいという傷だった。

憮然とした表情からは、本当にその眼帯の下を見せたくなかったのだと分かる。

子供っぽい口論の末でのことでもあるから、恐らくは自らに対しても苛立ちを持っているのだろう。

だが今更その傷を隠したところで、それは先程の口論に屈したことになる。

妙なところで負けず嫌いらしく、表情はそのままに竜の隻眼は辺りを睨むように見渡した。

「…痛いですか?」

その傷からその時の政宗の痛みを想像してしまったのか、幸村は眉を顰めながら尋ねた。

「馬鹿め!今も痛いわけがなかろう!」

もっともな突っ込みに困ったように幸村は笑った。

そして何より、今“も”ということは、その時は痛かったということに他ならない。

政宗は自ら確認するかのように、もう無い右目の上に手を這わせながら吐き捨てるように

「相変わらず醜い傷だ」

そう呟かれた言葉に、側に控えていた小十朗の肩が揺れた。

幸村は黙って腰をかがめ、ほぼ同じ高さになった政宗の目を真っ直ぐ見つめる。

整った顔が眼前にあることと、あまりにも真摯すぎる瞳にさすがの政宗もたじろいだ。

「かように言うものではありませぬ」

怒っているわけでもないだろうに、その声は窘めるような響きを持っていた。

「戦いで付いた傷に、醜いものなどありません」

戦場での自信に満ちた瞳と同じ強さで、幸村は微笑む。

「誇りになさいませ」

「違う!!」

何をムキになっているか政宗本人も分からなかった。

「これは病によるものだ!!戦でではないわっ!!」

その剣幕に一瞬きょとんとした幸村だが、すぐに声を立てて笑い始める。

らしくない幸村の行動に、孫市たちは顔を見合わせる。

割と笑顔でいることが多い幸村だが、相手を挑発するようなタイミングで笑ったりはしない。

一気に不機嫌になった政宗は、きびすを返して立ち去ろうとした。

それに気付いた幸村は、猫の仔を掴むようにその襟首をがっしりと掴み

「すみません」

政宗が苦しそうに息を詰めたのに気付きながらも、全く悪びれた様子もない。

それがまた政宗の神経を逆撫でしているのだが、幸村は知ってか知らずかまだ笑っている。

「馬鹿め!!離さぬかっ!!」

しかし幸村には離す気配はなく、それどころか政宗の肩を掴んで再び己の方へ向けさせる。

「貴様…!!」

怒りの沸点が低い政宗が、まさに殴りつけようとした時

「誇りになさいませ」

やけに落ち着いた声で幸村はその言葉を繰り返した。

「だから、これは…」

「戦った痕にございます」

言い募ろうとした政宗の口は、開いたまま言葉を発せない。

「病と戦ったのではないのですか?」

側に控えていた小十朗達が微かに息をのむ。

「そしてそれに討ち勝った痕にございます」

無骨だが長い指が慈しむように、もう無い右目の上に触れる。

「誇りになさいませ」

政宗は知っている。

武将は誰しもそれなりに傷を負っていることを。

それはこの幸村とて例外ではなくて、顔にこそ傷は残っていないが体には無数の傷痕があるのだろう。

「私のこの傷も…誇りでございます」

普段はあまり外さない鉢巻を取ると、額に一文字の傷跡があった。

(いや…顔にも傷は残っておったか…)

そう認識を改めた政宗は、じっとその額を見詰め、疑問を口にした。

「…誰だ?」

正確には「誰が幸村に傷を残せたか?」ということを聞きたい。

それほどの腕前の者がいるとは、俄かには信じがたいものがある。

「…これは…共に過ごした者があった…その証の傷にございます」

幸村は困ったように笑って曖昧な言い方をした。

「迷いから生まれた傷ですが…今では己のことばかり考えていた私への戒めでもあります」

あの時、半蔵の槍先を受けてしまったのは、やはり迷いがあったからかもしれない。

死ねば、永遠に、残る、かもしれない、と。

「愚かなことと気付きました。だから、私はあの人を放した」

お互いに忘れられない傷を残して。

少し逡巡して告げられた言葉に、政宗は微かに息を呑んだ。

実際に“生きているのに離れなければならない”といった体験をしたことは無い。

だが、想像だけでもそれはかなりの葛藤の結果だと見て間違いないだろう。

(ふん…その傷と同じと言うか…)

何ごとか思案するように腕を組んだ政宗は、視線を小十朗に向けると急に微笑んだ。

「…言われずとも…」

そして肩を小刻みに揺らして嗚咽を噛み殺している小十朗に近寄ると

「長居した。戻るぞ、小十朗」

眼帯をしながらそう告げ、悠々と歩いていった。

それに続くように、深々と頭を下げた小十朗も部屋から出て行った。





廊下を歩く足音も完全に消えた頃

「ふ〜ん…なるほどねぇ〜」

意味深に笑うくのいちに、眉を顰めながら

「…何だ?」

「だから幸村様は、傷なんて気にしないんだぁ…」

“誰の”とは言わなかったが、心当たりは十分にあるらしく、一瞬にして幸村の顔に朱が差す。

「にゃはは〜♪」

さもおかしそうに笑った後

「でも幸村様。気をつけて下さいね?」

妙に静かにくのいちはそう呟いた。

「何だ?急に…」

「あのお子様…鋭いから勘づいちゃうかもしれませんよ?」

「…構わぬ」

驚いたように目を見開くくのいちに、困ったような笑みを浮かべて



「いずれ…隠せなくなる」



その言葉を的確に理解できたのはくのいちだけで、後の面々は顔を見合わせ首を傾げていた。