人は見かけによらないとは、よく言ったものだと思う。

幸村は隣に座っている、ひょんなことから“恋人”になってしまった、学年が一つ上の男をちらりと見た。

どこからどうみてもガラの悪い男は、意外にも幸村に対しては真摯な態度で接している。

乱暴者だとか我侭だとか手が早いとか、彼に関する噂はあまり良くない。

それでも、こうして幸村の横に座っている男は、どこか穏やかな表情を浮かべていて、噂というものの不確かさを改めて感じる。

元親に「自分の貞操だけは守れるように」と渡された、痴漢撃退用の唐辛子スプレーはずっと鞄の奥だ。

使用期限もあるだろうし、いずれそれは捨てようと思っている。

それを使うような行為をしかけてこない政宗に、使う必要はないだろう。

いくら手が早いと言われていても、それは女性相手のことだけで、男は別なのだろうと幸村は判断していた。

(それはそれで、少し複雑でござる…)

別に体を繋げるだけが全てでは無いけれど、彼は彼なりに不安を抱いている。

いつの間にか俯いて考え込んでしまっていた幸村に、落ち着きの無い政宗の声が掛かった。

「な、なぁ…幸村…」

「なんでござろう?」

見上げる幸村と視線が合った途端、視線を彷徨わせながら、自信のなさそうな小さな声で問い掛ける。

「…あ〜……抱き締めても、いいか?」

「あ…は、はい」

このやり取りを幸村は最初、政宗の言葉に赤くなる自分をからかう為のものなのだと思っていた。

だが、相手の様子を窺うほどの余裕が出来て、気付いてしまったのだ。

そう言って許可を求める政宗の方こそ、照れ臭そうな表情をしていることに。

以前、一度だけ急に幸村を抱き締めた時に、酷く怯えられてしまったのを気にしているのだろう。

それ以来、わざわざこうして恥ずかしい思いをしつつも、許可を取るようになった。

(律儀者…)

そんなところも幸村の気に入っているところなので、出来ればこのままの政宗でいて欲しいと思う。

その一方で、そんな彼をもどかしく思うし、そうさせた自分の経験の無さを責める気持ちもある。

ゆっくりと伸ばされる腕に、せめてもの償いに己の方からも少し寄り添うようにすれば、政宗は嬉しそうな表情をした。

それは無意識の行動らしく、自然でとても柔らかな笑みに、幸村もつられるように微笑む。

しかしその胸に落ち着いた瞬間に、幸村の体が強張った。

ふわりと香った人工的な香りが何であるか、幸村は使わないから詳しくは無いが、知らないわけではない。

「どうした?」

どこか甘い香りは、政宗の付けている香水とは全く違う。

「あ、いえ…」

その香りは、若い女性が身に付けるに相応しいものだった。

「…何でも、ございませぬ」



だから、幸村は困ったように、微笑んだ。







暫く抱き合っていた二人だが、幸村が家にやってきた目的を思い出した政宗が幸村を解放した。

それでも幸村を囲って放さない腕で、政宗はいつも己の臆病さを思い知る。

「…Hey…今日は何を作る約束だ…?」

そんな感情を隠して、いつものようにできるだけ優しい声で訊ねる。

こうして幸村を招いては、得意の料理でもてなすのが、いつの間にか習慣になっていた。

「あ、今日はチョコケーキでござる!!」

「Oh!!そうだったな」

会えることが嬉しすぎて、学校で交わした約束をすっかり忘れてしまっていたらしい。

(失敗だ)

何事にも完璧さを求める傾向のある政宗としては、この失敗は痛い。

だが、幸村はそんなことを気にする人間ではないので、丁度良いバランスなのだろう。

幸村に不審に思われない程度に、家にある材料を思い出し、何とかチョコレートケーキを作れる余裕があることを確認する。

「よし、早速取り掛かるか…ここで待ってろ」

「楽しみにしてます」

本心からの幸村の言葉と笑顔に、政宗は微かに頬を染めた。







結局、甘い香りに誘われてキッチンを覗き込んでいる幸村を、政宗は苦笑して咎めはしなかった。

溶けて崩れてしまいそうに甘い笑顔に、政宗の表情も穏やかだ。

「これで…よし、と」

「お疲れ様です」

とりあえず、後は冷やすだけという段階まで手際よく終えた政宗に、尊敬の眼差しを向けつつ労いの言葉も忘れない。

「ああ。しっかし…キッチン中が甘い香りになっちまったな…」

「良いではござらぬか。それに政宗殿の香りの方が甘…」

「香り…?俺は今日は香水なんざ付けて無…」

慌てて口を抑える幸村に、訝しげな眼差しを向けた政宗は、それが指し示すものに気付いたらしい。

確かに政宗も最初は気になっていたのだ。



甘ったるい“彼女”の香りが。



「……理由…聞かねぇのか?」

恐らく幸村も、その香水が政宗のものではなく、女性からの移り香だと気付いている。

「…はい」

まるで追い詰めるように幸村に近付きつつ、政宗はもう一つ問いを重ねた。

「興味ねぇか?」

「そ、そういうわけでは…!!」

無論、興味が無いわけではない。

どうして女性と一緒にいたのか、それは恋人なのか、自分は恋人ではなかったのか。

頭の中は混乱していて、後退りしつつ目の前の鋭い視線から逃れるので精一杯だった。

「えと…デートというものだったのでござろうか…?」

だが、思ったよりも落ち着いた質問が出たことで、不機嫌そうに政宗の眉がぴくりと動いた。

「…そうだよ。学校を昼からフケて…お前が家に来るまで…な…」

「そ、そうでござったか」

本当は怒鳴ってでも問い質したいのに、自分が傷付くのが怖い幸村はそこで話を打ち切ろうとする。

だが、政宗はそれを許さなかった。

「……今日の女は体の相性も良かったぜ?」

一瞬で距離を詰められたことよりも、その言葉に息を呑んだ幸村だが、すぐに困ったように笑うと黙り込んでしまった。

その態度に、政宗のもやもやした感情が溢れかえる。

「…んで……何で怒らねぇんだよ!!」

「ま、政宗殿…?」

「恋人だと思ってたのは、俺だけか!?」

「それは違…」

「お前は俺がどこで何してようと興味ねぇんだろ!?」

「ち、違っ…」

「俺だけがお前に執着して…さぞや滑稽だと思ってんだろうが!!」

「違う!!」

必死の形相の幸村に、カッとなっていた政宗も圧倒された。

言葉を選んでいるらしい幸村に、まだ言い足りないのか政宗がまた言葉を浴びせようとしたが

「それでも…政宗殿は…」

いつもとは違う、どこか泣き出しそうな雰囲気の声に口を噤んだ。

「某のところに来て下さいましたから…」

「お前…」

強いのだろうか。

こうやって感情を抑え付けて笑える幸村は。

「……悪かった…」

いや、違う。

そうやって己が我慢することで、この関係を終わらせまいとしているだけだ。

「…悪かった…」

確かに幸村は、政宗の全てを受け入れられるほど、懐の深い人物ではある。

だからといって、政宗としては我慢ばかりはさせたくないと思っていた。

「悪かった…」

己の醜いもの全てを打ち明けて、それを含めて包み込んでくれた相手だ。

政宗にとっては、大切で大切でしょうがない。

「…悪かった」

だからこんな表情をさせるなど不本意でしかない。

だが、そうさせたのは間違いなく政宗なのだ。

「悪かった」

何度も謝り続ける政宗だって、この関係をこんな形で終わらせたくはない。

ただひたすら、どうすれば良いかも分からず、謝り続けた。

本当は謝り方だって、彼は知らないのに。

「悪か…」

「政宗殿」

呼びかける声に顔を上げれば、いつの間に泣いていたのか、幸村の頬に涙の痕があった。

それを無意識のうちに拭い取ってやれば、擽ったそうに幸村が笑う。

その笑みに、政宗は赦された事を、知った。

「…明日も…お菓子をお願い致す」

「ああ…お前好みの甘いやつ…作ってやる」

だから…無理して笑わないで、泣かないで、押し隠さないで、嫌わないで…

「…kissしてもいいか?」

「……はい…」

初めて触れ合った臆病者の唇は、優しい甘さだった。

どちらともなく照れ臭くなって離れた後、意を決したように政宗が幸村の肩を掴んだ。

「…なあ…」

「何でござろう?」

「さっきの…体の相性云々ってやつは…」

「あ、ああ…べ、別に、構いませぬ…そっ…某の理解の及ぶところではございませぬし…その…やはり某では役不足でしょうから…」

「ちょっと待てって…今更言っても言い訳にしか聞こえないだろうが…」

真っ赤になってしまった幸村の肩に置いた政宗の手は、どこか縋りついているようにも見えた。

「実は…何もしてねぇんだ…」

「へ?」

「ハッタリだ」

政宗もどうしてあんな嘘が飛び出たのか、深く後悔している。

実はいい雰囲気にまで持ち込めたのだが、幸村の笑顔がちらついてしまい何もできなかったのだ。

(…Shit…いくらなんでも惚れすぎだろ、俺!!)

自分ばかりが相手を好きになってしまって悔しかったのだが、やはり幸村の笑顔はそれを凌ぐようだ。

「信じます」

穏やかにそう言い切った幸村を、思わず抱き締めた。

大きく跳ねた肩に気付いた政宗が、慌てて離れようとすると

「…幸村…!?」

躊躇いがちな力加減ではあったが、幸村が政宗の服を引っ張って引き止めていた。

驚きのあまり静止してしまった政宗は、おそるおそるその背に手を回して、逃げないことを確認する。

「…某…政宗殿が好きで好きで好きで…どうすればいいか分からないでござる…」

くぐもった声は聞き取りにくかったが、政宗にはしっかり聞こえた。

「……お、俺もだ」

心臓の鼓動が聞こえているだろう気恥ずかしさに、どもってしまったが今はそれを恥じる余裕も無い。

「…その…出来れば…これから…その…」

「ちょ…っ!?幸村!?お前がその気なら俺はいつだって…!!」

「へっ!?ちちちちちちちち違うでござるっ!!」

急に押し倒されて突拍子の無い声を出した幸村は、容赦の無い一撃を覆い被さってくる腹に見舞った。

声もなく悶える相手に、上手いことキマってしまったことを知る。

「し、しっかりして下され!!」

「…おま…今、の…マジ、だったろ…」

「申し訳ござらぬ!!」

一切否定せずわたわたと慌てる幸村に、仕方なく視線で続きを促すと、出来るだけ顔を逸らそうとしながら呟く。

「つ、つまり…これから二人で試行錯誤をしていきたいと…」

二人の関係を二人で作り上げようという申し出に、かなり暴走してしまった観のある政宗は項垂れた。

(恥ずっ…)

腹を押さえつつ、それでも嬉しいことは嬉しい政宗は

「O.K.…これからもよろしくな…HONEY…」

役得とばかりに、押し倒した体勢のまま幸村を抱き締めた。

「よ、よろしくでござる…だ、だーりん…殿…?」

発音のなっていないたどたどしい言葉に愛を感じてしまった政宗は、本能を抑え付けるのに必死だった。