ずっと、待っていた。

下手したら一時間くらいそうして上がり框で立っていたかもしれない。

元親に「一時間後に来い」と連絡してから、元就はずっと待っていた。

目の前のドアを睨みつける元就の後方で、もう一度インターフォンの呼び出し音が響いた。

いきなり出て行けば、ここでずっと待っていたことに気付かれるかもしれないと思った元就は、三度目の呼び出し音で漸くドアを開けた。

「…よく来たな」

「おう!お前が家に呼んでくれるなんて珍しいな」

いつもはなし崩しのように元親のマンションに連れ込まれる元就は、その言葉に微かに眉根を寄せた。

もちろん元親は嫌味で言ったわけでもないが、今の元就にとっては彼の言葉全てが気に入らない。

以前訪れた時と、何か変わっていないかと部屋を物色している元親にコーヒーを入れてやる。

「サンキュ」

たったそれだけのことなのに、嬉しそうにカップを受け取る姿に、元就の決心は揺らいだ。

一度もはっきりと言ったことは無いが、気が付けば元親の全てを好きになっていたのだ。

だが、このままではいけないとも、思った。

砂糖も牛乳も入れて甘くしたコーヒーを一口飲んで、乾いた唇を潤しつつ震えそうな喉を宥めてから、平然を装う。

「今日…女と歩いていたな」

「え…?」

「セミロング…というのか?そのくらいの髪の長さで茶色の髪…あの制服からして近場の女学園の女か?」

「なっ!?え!?何でそのこと!?」

政宗が言いやがったのか!?などと混乱している様子から、どうやら間違いはなさそうだ。

ここで元就なら上手い具合に嘘をつけるだろうが、素直な元親には到底出来ない相談だ。

無論、それを知っていてこそ、あのように逃げ場を無くすような問い掛けをしたわけだが。

元就がキッチンのカウンターに、まだ中身の残っているカップを置く音だけがやけに響いた。

「別れよう」

「は…?」

「男同士ではいつか限界が来る」

「…ちょ…おい」

「今がその時なのかもしれぬ。丁度良い機会ではないか」

元親に一切の発言権を与えないまま、元就は己に言い聞かせるように淡々と告げた。

言うべきことは言い切ったのか、黙り込む元就の耳に、唸り声のようなものが聞こえたかと思うと

「…お前は…いっつもそんなことを考えていたのか…?」

「ならば聞くが…お前は我と添い遂げようとでも思っていたのか?」

「当たり前だろうが。お前は違うってのかよ…」

「無論。必ず終わると思っていた」

「…てめぇ…それマジで言ってんのか?」

ドスのきいた声とはこのようなことを言うのか、と他人事のように思った元就はあっさり頷いた。

「ああ、本気だ」

「…っ…そうかよ…」

いつもならここで素直に感情を顕にする男が、急に場違いなほど楽しげに笑い出した。

それもいつものような快活な笑いではなく、何かを押し殺すような笑い。

「なら、もう遠慮はいらねぇよな?」

「遠慮…だと……?────くっ!!」

元親はいつの間にカップを置いていたのか、それと同じ手で素早く元就の手首を掴み、そのまま荷物を投げ捨てるように床に放り投げた。

支点が手首だけという無理な力に抗えず、あっさりと痩身は冷たいフローリングに叩き付けられる。

「き、貴様っ!!」

その痛みを凌駕するほどの、圧し掛かってくる元親への恐怖を覚えつつ、気丈にも睨み上げるが

(これは…誰だ…?)

見上げた先にあった男の顔に、元就は息を呑む。

恐らく元就に対して、元親が見せたことの無いほど冷徹な表情。

噂でしか聞いたことの無い、元親の凶暴性を垣間見てしまったのだろう。

「もと、ち…か…?」

「んだぁ?さっきまでの威勢はどうしたよ?ん?」

声だけは優しげだが、口元を彩る嘲笑に元就は酷く胸を締め付けられる気がした。

それはまだ、心が元親に縋り付いている証拠でもある。

動きの止まった元就の手首を、これ幸いとばかりに手早く一纏めに押さえつけ衣服に手を掛ける。

「ま、待て…!!」

「待てっかよ………どれだけ我慢してきたと思ってんだ…」

最後の方に呟かれたぼやきを問おうとした元就だが、忙しなく動く元親の手は器用に服を剥いでいく。

多少強引ながら、短時間で全ての服を取り去られた元就は動揺を隠せない。

「止め…っっ!?」

「やめねぇ」

そう告げながら元就の目を見据えた元親は、徐々に視線をずらしていく。

余す所無く全身を嘗め回すように見つめていることに気付き、羞恥心から元就はぎゅっと目を瞑った。

不本意ながら元親から与えられる快楽に慣れてしまった元就の体は、たったそれだけのことにも反応する。

閉じた足を膝で器用に開かせて、それっきり何もしない元親に元就は非難の視線を向けた。

「なんだ…お前だってソノ気なんじゃねぇか」

馬鹿にしたように鼻で笑った元親の視線の先には、徐々に形を変えつつある元就自身があった。

「ぁ……っん…!!」

触れるか触れないかの強さで、白い腿を撫で上げただけで、甘い声を漏らした元就を嘲笑う。

「良かったな。ここのマンション…」

まるで挿入時のように上体を倒しながら

「防音で」

耳元で意地悪く囁かれた言葉は、確かに元就の住むマンションの宣伝文句でもあった。

誰かに助けを求める気など、更々無かった元就だが、その一言で己が完全に逃げられないことを改めて認識させられた。

「好きなだけ啼けよ」

追い討ちをかけるように楽しげに告げた元親は、臀部の奥まった部分にいきなり指を押し当てる。

潤いも何も無いその場所は、当然の如く元親の指を拒んだ。

いや、数週間前ならば、そこは元親の指を貪欲に取り込もうと蠢いていたかもしれない。

「力抜いた方がいいんじゃねぇ?」

「ゃ…っ!?…いた……っぅ…」

忠告めいたことを言いながら、元就が力を抜くことなど期待していないようで、無理矢理指を押し進める。

痛みに足をばたつかせる元就を鬱陶しげに見下ろした元親は、指を引き抜くとそのまま遠慮無しに元就の頬を叩いた。

「………え…?」

幼い頃からの付き合いで、見かけによらず元親は大人だと元就は知っている。

今まで一度もそういう風に己の感情のままに元就に手を上げたりしたことはなかった。

呆然と見上げる元就の目に映る男は、元親だと信じたくなかったのだろう。

その男が、大人しくなった元就に満足気な笑みを浮かべた途端、急に猛然と暴れだした。

「た、すけっ……助けて!!」

「誰も助けにこねぇよ!!」

怒鳴りながら再び頬を叩くが、今度は余計に抵抗が強まった。

「ひ…ぃっ!!たす…て…っ!!」

「ちっ!!いい加減、大人しくし…」

「もとちか!!」

その言葉に元親は動きを止めざるを得なかった。

元就の手を押さえていた力が緩むと、赤くなってしまった手首がそこから逃れる。

体はまだ元親に押さえられていて身動きはとれないようだが、逃れたその腕で頭を抱えている。

「も、とち、か…ぁ……たすけ…て…」

壊れてしまったかのように泣きじゃくり、元親に助けを求める元就を、元親は呆然と見下ろすしかない。

「…元就?」

漸く出た声は震えていて、酷く滑稽ではあったのだが二人ともそれどころではなかった。

「…元、親……も…と、ちか…っ…」

ひたすら己を呼び続ける元就に、一瞬どこか怯えたような表情をした元親は、意を決したようにゆっくり上体を倒す。

「っ…ゃ…やぁ…!!」

むずがる子供のような元就の背に腕をまわすと、先程よりもゆっくりとした動作で抱き起こす。

己に縋らせるようにして座った元親に逆らわず、元就はぎゅっと元親に抱きついた。

安堵の溜息を漏らした元親も、座りやすいように微調整した後、元就を抱き締めた。





暫く背を擦ったりしていると、これ以上のことに及ばないと気付いた元就も落ち着いてきたらしい。

子供をあやすように前後に揺れながら、元親は口を開いた。

「ごめんな」

「…馬鹿者」

「ああ、そうだな」

ごめんな。

もう一度、吐息のように告げると、まだ収まらない呼吸のまま元就が呟いた。

「……怖かった」

「ん。悪ぃ…」

抱き締める腕の力を強めると、元就も更に強く抱きついてきた。

不謹慎かもしれないと思いつつ、どこか浮かれた気分で

「なぁ…もしかして、とは思うんだけどよ……妬いてくれたのか?」

まさかな…と思いつつ、元親はちょっと期待してしまっていた。

すると肩にある元就の頭が、微かにだがこっくりと頷く感覚があった。

その素直さにも、罪悪感を煽られる。

「…マジごめん」

「………女がいいなら…最初からそう言えばいい」

「違ぇって…その……お前があまりにもヤらせてくれねぇから…つい…」

「…そうか…我のせいか…」

「いや、そうじゃねぇ……そうじゃねぇよな…」

己を責めるような口調の元就に、改めて己の愚かしさを知った元親は、腕の中の痩身を掻き抱いた。

「本気で悪いと思っているのか?」

「ああ、もう絶対ぇに浮気はしない」

「…そうか…そこまで言うなら…次に女に現を抜かしてみろ…」

顔がぼやけて見える距離で、元親の顔を覗き込む元就の涙に濡れた鳶色の眼は、間違いなく元親だけを映している。

「お前を閉じ込めてどこにも出さぬぞ」

「…分かった。お前も…浮気とかすんなよ?」

「馬鹿者…お前以外となど…」

考えられん。

再び肩に頭を押し付けた元就の声は消えそうだったが、元親の耳にはしっかり届いた。

普段は元親のことなど何とも思っていない風の元就だったが、その想いは元親より深いものかもしれない。

それに気付いてしまった元親は、万感の想いを込めて抱き締める腕に力を入れ

「ごめんな」

「もう良い」

「でも…どうすればいいか分かんねぇ…」

元就が良いと言っても、元親の気分は収まらない。

せめて何か償いをと思っている元親に凭れ掛かったまま、ちょっと躊躇いがちに元就は呟いた。

「…こうしていてくれれば…もう…いい…」

言葉にならなかった元親の答えは、もう二度と離さないと言わんばかりの、きつい抱擁だった。





幸せかもしれない、と思う。

(ごめんな)

本当の名も知らないままの彼女へ、ひっそりと元親は謝った。