ドアを開けた瞬間に吹き込んだ冷風に、思い切り眉を顰めた政宗だが、すぐにドアの向こう側にいた人物へ笑みを向けた。
それに満面の笑みを返した幸村は、走ってきたらしく外気温と不釣合いなほど汗だくだ。
「走って来たのか…?」
「早く…お会いしたかったので…」
照れ臭そうに笑う幸村を抱き締めたいと伸ばした手は、思い直したようにその肩に落とされる。
「政宗殿?」
普段なら汗だくだろうが抱き締めたいと思えば抱き締める政宗の行動を、幸村は不思議そうに見上げる。
「…早く入れよ…冷えるぞ?」
室内に招き入れ先導するようにリビングへ行った政宗は、彼なりにわざとらしくならないように
「…しかし…佐助がよく許したな…」
「何を…でござるか?」
「あ…いや……外泊…を…」
乙女もびっくりするぐらいの恥じらい方をしながら呟かれた政宗の言葉に、小首を傾げた幸村ははっきりと告げた。
「佐助には『8時までに帰って来てね』と言われてますが…?」
「Damn it!そういうオチか!!」
夕食を共に食べるのだから、そのまま泊まるのだと思い込んでいたらしい。
だがそれをオカンが許すはずもなく、高校生の門限とは思えない8時という時間を提示してきた。
床に膝を着いてまで悔しがる政宗の様子に、思い切り幸村は引いてしまう。
「ど、どうされましたか…?」
しかし、放置という選択肢を選べない彼は、恐る恐る(正直あまり関わりたくなかったが)声を掛ける。
その声に我に返ったのか、すっと立ち上がった政宗はぎこちないが笑みを見せた。
その笑みは、さしずめ「クールじゃねぇよ俺」とでも思っているらしく、かなり引き攣っていて不気味だ。
「ま、政宗殿…?」
「…何でもねぇ…とりあえず…今から飯作るから…」
現在の時刻を確認すると6時を少し回った頃。
それから計算すると、食事を作り終えると単純計算でも7時をちょっと過ぎる。
二人でのんびり食べて、少し話をしたらサヨナラである。
イチャつける時間は一時間もないだろう。
(夕食の手を抜いて…っち…俺にはできねぇ!!)
変な料理人魂のせいで、手の込んだものしか作れない政宗に、それは酷というものである。
(ん?しかも“8時までに”ってことは…ここから幸村ん家までの帰る時間も含んでるってことか!?)
つまり更に30分強、共に過ごす時間が削られることになる。
オカン佐助の見事な時間配分に、改めて政宗はがっくりと肩を落とす。
(寝室の片付けなんかするんじゃなかった…)
かなり気合が入っていたらしいが、結局使いもしない部屋を延々と掃除していたということになる。
こんなことなら料理の下拵えを優先すべきだったと、今更思っても後の祭りだ。
「ご気分でも悪いのですか?」
「NO…心配すんな。それより…シャワー浴びて来いよ」
「かたじけない!」
このやり取りもすっかり慣れてしまったもので、今ではタオルの位置などわざわざ聞くこともなくなっていた。
それどころか、幸村専用の着替えが入ったタンスまで誂える始末。
(…何だかなぁ…)
肝心のことは進展していないのに、こういう環境だけは整ってしまっているらしい。
早く作り終わってしまおうと、無心に料理を作っていた政宗だが、浴室に続くドアが開いた音に我に返った。
「髪拭いたか?」
ドアを開いた途端に、佐助のようなことを言われた幸村は少し目を見開く。
「今から拭くとこでござる」
しかし、すぐに肩に掛けていたタオルを軽く持ち上げ苦笑した。
普段自分は髪を濡らしたままにしているくせに、幸村のこととなると途端に過保護になる。
その自覚はあるらしく、政宗も苦笑しながら幸村にスープを入れたマグカップを渡した。
「あと少しで出来る…腹減っただろ?これでも飲んどけ」
「いただきます!!」
出されたものを何の疑いも無く口にする様子は、佐助でなくとも不安を抱かずにいられないだろう。
しかも両手でマグカップを包み込み、息を吹きかけている様子は彼を幼く見せた。
(かわいい…)
思わずそんなことを思って見つめていた政宗だが、首を振ってその考えを吹き飛ばしてからキッチンに戻っていく。
そんな政宗の背に、あまり馴染みのない味に疑問を抱いたらしく
「…これは?」
「ああ、お前が持って来てくれた野菜で thick soup 作ってみたんだよ」
「そ、それは…」
「あ〜…ポタージュスープ…ってやつだ」
「なるほど!!」
元親には「なんちゃって外国人」とからかわれている政宗だが、実は英語に馴染みすぎたあまり、逆に日本語の語彙で迷うことがある。
「カブとニンジンとジャガイモとタマネギ…が入っていて、とても健康的でござる!!」
材料を言い当てられた政宗は危うくフライパンをひっくり返してしまうところだった。
何故なら、材料をミキサーで細かくしたのは彼であり、マグカップの中には野菜を偲ばせるものはほぼ残っていないことも知っている。
「な、なんで…分かった…?」
「味で」
「へ、へぇ…」
あっさりと答える幸村の舌の確かさを知ってしまった政宗は、いつもよりぎこちない手つきで料理を仕上げた。
何を口にしても美味しそうな表情をする幸村を見ていると、政宗の自信は確かなものとなった。
穏やかなまま食事の時間は過ぎていく。
今までほとんど一人で食事をとってきた政宗には、まだこの時間が現実とは思えない時がある。
子供の頃は、父が死ぬまでは父と二人で、父が死んでからは小十朗と二人での食事がほとんどだった。
だが、父にも小十朗にも仕事があったので、共に食事をしたことは実は数えるほどしかない。
自分の作った料理を、美味しそうに食べる幸村の存在は、恋人という言葉で表せるものではなかった。
後片付けは後回しにして、食事を終えた幸村をリビングに引っ張っていく。
珍しくやや強引な政宗に違和を感じたらしい幸村だが、大人しく引っ張られるままついていった。
「美味かったか?」
「はい、とても!!」
座り込んだ途端の問い掛けに、反射的に幸村は答えていた。
「…俺の嫁に来るか?」
「へ?」
「…悪い…忘れろよ…」
馬鹿なことを言ったと思っているらしく、政宗の表情は苦々しさでいっぱいだ。
だが、忘れろと言われて忘れられるものではなく、加えて幸村は割と気になったことは解決しなければ気の済まない性格だ。
「…この場合…政宗殿が嫁になるのでは?」
暫し思案していたかと思うと、そんなことをあっけらかんと言い放つ。
驚いたのは政宗の方で、今まで誰にも見せた事のないほどぽかんとした表情をしていた。
しかし、すぐに口元を押さえると俯く。
慌てた幸村が政宗の肩に手を置くと、微かに振動が伝わってきた。
不審に思って幸村が覗き込むと、どうやら政宗は必死に笑いを堪えているらしい。
「…や…やっぱお前…」
言葉にならないほど笑い続けていた政宗は、ちょっとムッとした幸村を抱き締めた。
子供がじゃれ付くような抱擁は初めてだった幸村が固まったのをいいことに、政宗は更に腕に力を込める。
「だったらよ…結婚しようぜ。どっちが嫁とか関係なく…」
「…はい。そうすれば…政宗殿とずっと一緒にいられるのですな?」
「……ああ。まあ俺はお前を手放すつもりはねぇけどな…O.K.?」
「お、オーケーでござる」
言葉に含まれた独占欲に気付いた様子もなく、幸村はぎこちなく頷いた。
それが愛しくて、政宗は再び抱き締める。
「そうだ…歩いて来たんだよな?」
「走って…でござる」
補習の帰りに伊達のマンションにやって来た幸村は、普段から徒歩で高校に通っている。
暫し思案していた政宗は、玄関の方へ行ったかと思うとすぐに戻ってきて、幸村に向かって何かを放り投げた。
「チャリ貸してやるよ」
慌てて受け取ってみれば、それは確かに自転車の鍵らしい。
それを見た幸村は、隣に腰を下ろした政宗が大学へ自転車で通っていることを思い出し
「しかし…それでは政宗殿が明日…」
「別に大学には歩いてでも行ける。だから…」
続きは口にしなくても伝わったようで、満面の笑みを浮かべた幸村は控えめに政宗に体重を預ける。
「では…お借りします」
「ああ」
余裕のない手つきで肩を抱き寄せる政宗に疑問を抱いた幸村は、間近の憂色を滲ませた端整な横顔ををちらりと伺い見た。
そして、政宗が隻眼でじっと時計を見つめていることに気付く。
更に残りの時間が僅かだということにも。
「…もうちょっと…こうしていたいでござる…」
「……OK…あと、五分だけな…」
喉元へ擦り寄ってくる温もりを腕の中に閉じ込めた政宗は、ふわふわと頬に当たる髪の柔らかさに、蕩けそうな笑みを浮かべる。
再び時計へ視線を向けた政宗の表情は翳ったが、そっと目を閉じると腕の力を強めた。
名残惜しげに政宗の家を後にした幸村は、瞬発力や体力や根性を遺憾なく発揮した結果、7時55分には下宿先に戻っていた。
鬼気迫った表情の幸村を見た佐助は、危うく「門限伸ばそうか?」と言いそうになってしまう。
しかし、急いでその言葉を飲み込んで、代わりに「おかえり」と口にする。
どんな状況でも甘やかさない、それが佐助の子育て術だ。
「ただいま帰りました」
いつの間にか呼吸を整えていた幸村が、いつものようにそう言って笑った時、ふと違和を感じる。
どこか悲しげな幸村の目に、巣立ちの気配を見出してしまった佐助は、少し寂しそうに微笑んだ。
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