『放課後になったら、B棟4階の資料室に来てほしい』

そんな一文が書かれたメモを手に、元就は何度目か数えるのも嫌になったため息をつく。

冗談でそんなことを繰り返す生徒ではないと思っているし、なによりも嫌がらせにしては執拗すぎる。

ずっと答えを求めてくる相手が、恐らく本気であることに元就は気付き始めていた。

(…厄介だ)

本当のところは、それよりもここ最近芽生えてきた感情の方が、彼にとっては厄介だったのだが。





それでも、そろそろこんなやり取りを繰り返すのも億劫になってきた元就は、放課後になると静かに職員室から出て行った。

「何だ?このようなところに呼び出して…」

「この間の返事…聞かせてくれよ」

案の定、ずっと待っていたらしい相手の間髪入れずの言葉に、元就は何度もシュミレートした言葉を告げる。

「…何のことだ…下らぬ用なら聞かぬ」

その瞬間、体躯の割には素早い元親の、抱き締めようと伸ばしてきた腕に元就は捕らわれた。

「んで…なんで無かったことにしようとするんだよ…」

「馬鹿者が…このような姿…誰かに見られでもしたら…」

「大丈夫だって…ここは放課後になったら誰も寄りつかねぇ……助けは、来ない…」

「なにを…言っている…?」

「ごめん、先生…俺、もう我慢できねぇんだ…」

唸るような声で告げた元親の顔が近付いて来たことで、その意図することが分かってしまった元就は

「やめよ、長曾我部」

顔を逸らしながらきつい口調で告げ、しっかりと筋肉のついた胸板を押し返す。

その態度が元親の気に触ったようで、突っぱねる手を捕まえるとそのまま足を払って机に押し倒した。

身を捩って受身を取ろうとした元就だが、腕を掴まれている状況では上手くいかず、強か肩を打ちつける。

「っ…!!」

非難するように元親を睨み据えるが、逆に元就の方が怯んでしまうほど元親は真剣な表情を浮かべていた。

一瞬でも元就の抵抗が止んだのに気付くと、元親は手早く細い腕を纏めて掴むと元就の頭上で押さえ付ける。

完全に押さえ付けられた事が分かってしまった元就だが、このまま大人しく食われてやるつもりは毛頭ない。

近付いてくる顔から仰け反るようにして顔を逸らし、頬に触れる手を頭を振ることで振り払う。

思い通りにならないことに苛立ったらしい元親は、舌打ちすると元就の髪を掴んで顔を固定した。

流石に髪を引っ張られると、痛みに動きを止めるしかなく、今度は睨み据えることで元親を拒絶する。

しかし、その濡れた瞳が元親に与えるものは、恐怖ではなくただの劣情でしかない。

誘われるように元就の薄い唇に食いつき思うさま味わう。

反射で微かに開いた隙間を舌で抉じ開けた元親が、もっと奥へと舌を伸ばした瞬間、痛みに思わず顔を引いた。

唇を噛み締める元就の表情で、噛み付かれたのだと気付く。

激情に身を震わせた元親だったが、握り締めた拳を緩々と解くと、冷めた表情で元就の服に手を掛けた。

あっさりと解けたネクタイを、腕の拘束のために使おうとしている元親に気付き、再び元就は身をよじる。

「あんま暴れっと…これ…引き千切るけど?」

ぐい、と引っ張られたワイシャツに、元就の動きが止まる。

そんなことをされては、言い訳もろくにできない。

どう足掻いても打開策など見つかりそうも無い状況に、元就は大きな溜息を吐いて力を抜いた。



異常なまでに元就の肌を撫で擦る元親に、逆に恐怖を抱いた元就だが、大人しく身を預ける。

時折、愛でるように唇で触れられ、元就はますます混乱した。

だからだろうか、廊下から聞こえる足音に気付けなかったのは。

こんな時間に人がいないというのはあながち嘘ではなかったようで、よもや先客がいるとは思っていなかったのだろう。

ノックも何もなく豪快にドアを開けた利家は、ぽかんと二人を見た後、油断無く辺りを視線だけで探り

「何を…しているのだ?」

どこか咎めるような口調で、どちらともなく問い掛けた。

一見すると、うっかり生徒が教師を押し倒しているだけだ。

だが元就の両手首を縛るネクタイや、乱れたワイシャツから覗く白い肌とそれに触れる無骨な手には明らかな意思がある。

そして大きく開かされ小刻みに震える元就の膝と、頬を染めている彼のいつもとは違う様子が利家の直感を裏付けているようだ。

急に人が現れても全く動じることのない元親の目は、忌々しいと言わんばかりに利家を睨み付けた。

「…長曾我部」

思いもかけない光景に直面した利家が、元凶だと判断した人物の名を呼んだ途端

「前田先生」

若干裏返ったような高い声で、元就が利家の声を遮る。

ぎょっとしたのは利家だけではないようで、元親も視線を元就に向けた。

「……これは…我が誘ったのだ…」

その言葉を裏打ちするように、動かせない手の代わりに元親の腰を挟むようにしてお互いの体を近付ける。

「し、しかし…どう見ても…!!」

どう見ても元親の方が優勢のこの体勢、そして日頃他人に興味を示さない元就がそんなことをするとは思えない。

「どうか…誰にも言わないで欲しい」

それでも真摯な表情で告げられる言葉に、利家は大人しく口を噤んだ。

「我らの問題故…どうか…」

とどめのように弱々しい声で告げれば、仕方ないといった風に溜息を吐いた利家は

「承知した」

そう呟いてその部屋にあった機材を重たそうに手に取ると、そっとドアを閉じた。



思わぬ邪魔が入った上、元就の理解不能な行動を気にしないで行為を続けるなど、元親にはできなかった。

それに気付いた元就は先ほどまでの人物とは思えぬほど、淡々とした表情と声で

「前田でよかったな。他の者ではああはいかぬ」

「…何で庇うんだよ…」

「問題になったら困ろう?無論、お互いにな」

素っ気無いほどそう言って、素早く力の抜けた元親の手から逃れ、机の上に座ったまま口を駆使してネクタイを解きにかかった。

「俺は…別に…バレてもよかった。お互い引き返せないほど噂になりゃ…」

ようやく解き終わった元就の手を握って、熱っぽい目で見つめるが

「我が手に入るとでも?馬鹿者め」

心底馬鹿にしたように鼻で笑い、元親の手を乱暴に振り払うと、外されたボタンをリズムよくしめていく。

「なにより…無理矢理というのはいただけないな」

「う…だってよぉ…」

所在無げに彷徨っていた元親の振り払われた掌は、結局持ち主の髪を掻き毟ることになった。

「…少しずつ距離を詰めようとは考えなかったのか?」

「んな悠長な…!!俺、もう三年だぜ!?」

「ああ…そうだな。大学には行くのか?」

「へ?あ…い、行くけど…って話逸らすなよ!!」

「そうか…話を逸らしたつもりはないが?」

「ちょ…なんだよそれ…」

翻弄されてがっくりと肩を落とした元親の耳に、真剣な元就の声が飛び込む。

「こうは考えられぬのか?」

ゆっくりと元就を見つめてみれば、声と同様に真剣な表情の元就が元親を見つめていた。

「この高校さえ卒業すれば、我らの関係に目を光らせる者がいなくなる」

「へ?あ、ああ…そう…かもな…」

「お前は大学生で、我は高校教師…ならばもう対等の関係。在学中はお互いに面倒であろう?」

「そ、それでも俺はいい…」

「馬鹿者。色々とこちら側にも規則がある…我はまだ職を失いたくないのだがな?」

「ご、ごめんなさい…」

冷たい元就の視線に怯んだのか、素直に元親が謝ると

「それにしても…困ったものだ」

手に入らないかもしれないと、焦って行動を起こすまでに想われていたとは。

「計算外よの…」

「へ?」

「だがまぁ悪くない」

「マジ!?」

それが告白の答えであると直感で判断した元親は、普段の飄々とした態度が嘘のように切羽詰っている。

「卒業して…気が変わらなければ…また、言うがいい」

「絶対ぇ変わるもんかよ!!そういうあんたこそ、いきなり結婚したとかなしだからな!!」

「当たり前だ。相手もおらぬのに無茶なことを言うな…」

「…それまでに…返事…考えておいてくれよ」

困ったように笑う表情は見慣れているのに、今は照れが混じって若干いつもより可愛らしくも見える。

「ああ。しっかりと考えておいてやろう」

その時点でもう元就も大分、元親に毒されているのだが彼はまだ気付けていないらしい。

「でも、もう一回だけ言わせてくれよ」

「それは…」

「言うだけだから。な?」

「……いいだろう」

いくら今すぐ答えなくてもいいとはいえ、そう何回も愛の告白を受けるのはむず痒い。

そんな元就の複雑な心境が分かっているのかいないのか、大きく息を吸った元親はしっかりと元就の目を見据え

「俺と、添い遂げて下さい」

躊躇いもなく言い切った。

何度聞いても息を詰めてしまう元就は、不自然にならないように呼吸を整えてから、からかうような呆れた口調を装う。

「…何度聞いても古風よの」

「そうか?まあ独占欲の強い俺としてはこれがかなりしっくりくるんだけど…」

「ほう…独占欲が強いか…」

我とどちらが強いか見ものだな。

辛うじて飲み込んだ言葉に、元就は眉を顰めた。

これではまるで、答えは決まったようなものではないか。

「だってよ…死ぬまで俺と居てくれってことだからな」

しかし、そう言って意外と凛々しい表情を見せた元親に、元就は微かに驚きの表情を浮かべ…



無意識のうちに、高鳴る胸をそっと押さえていた。



卒業まで、残り約4ヶ月。