それまでの忙しさが嘘だったかのように、急に訪れた安息。
戦いでしか自分が生きていることを実感できなかったのに…
それが、朝起きて食事をして…
そんな当たり前のことの中に、『生きている』ことを発見していた。
倒したい相手だったはずの自由人の優しさ。
その息子の全てを赦すような笑顔。
まだ、それらに苛まれていた、あの頃。
勝手に居着いたタイガーに、嫌な顔もせず自由人親子は接していた。
タイガーに『ずっと前からここにいたような』錯覚さえ覚えさせるほどに。
そんなある日、子供に尻尾で遊ばせている虎に、父である男は珍しく歯切れの悪い口調で声をかける。
「なぁ…タイガー…その…バード、のところに見舞いに行ってくれないか?」
「…………怒る」
決闘の最中とはいえ、雷で落としたのだ。
鳥にとって『空から落とされる』ということはかなりの屈辱だったろうと、獣人のタイガーでも薄々分かっている。
それに、ただでさえプライドの高そうな鳥だったわけだし…
……今、会えば…本当に生皮を剥ぎ取られかねない。
「いや…あれから大分、時間も経ってるし…大丈夫だと…」
「パーパが行けばいい」
現に今までだって、シンタローが行っていたのだ。
今更、自分が行く理由など、タイガーには思いつかなかった。
「この野郎!!俺とヒーローたんとの時間を奪う気かっ!?」
…つまりはそういうこと。
「たまにはヒーローと二人っきりにしてくれぇえぇぇぇ〜」
泣き崩れるシンタローに、タイガーは頬を引きつらせた。
(邪魔ってことか…)
殺す勢いでやって来たくせに、どうして今ここにいるかといえば…
「あぶー」
小さな…それでも尊い命の側に、いたいから。
あとは息子に関すること以外には、寛容な自由人のお陰か…
「ほら。ヒーローも『いってらっしゃい』って言ってるぞ」
ヒーローは両手を伸ばして、タイガーの尾を掴もうとしている。
どう考えても、そう言っているようには見えないが…
「…分かった」
重い腰を上げたタイガーは、シンタローに教えられた家へ向かった。
こじんまりとした家は、男の一人暮らしという割には可愛らしい。
ノックをしかけては、手を下ろすという動作を何度か繰り返した後、ようやくタイガーは扉を叩いた。
「──ッッ!!…はいは〜い…っと」
扉の向こうから、痛みによるものか、やや呼吸を乱した声が聞こえた。
だが、それもすぐに消え去り、その男のつよさが垣間見えた気がした。
「俺様は只今、怪我の療養中だ。飯なら他をあたっ…」
そう言って服のボタンを留めながら、扉を開けた青い鳥は、目の前に現れた人物を虎だと認識すると
「どの面下げて来やがった。このバカ虎。怪我人を襲おうたぁいい度胸だ。いや、こんな怪我なんざへでもねぇ。おめぇにゃこのくらいのハンデがあって丁度いいくらいだ。今度は空なんか飛びゃしねぇかんな。覚悟しとけこのウスノ…」
「……これ」
タイガーはマシンガントークに気圧されつつも、行きがけにシンタローに持たされたバスケットを差し出す。
あまりにも滔々と話す彼の言葉に、言い返したいことも多々あったが、まずは自分の使命を優先させたようだ。
「…んあ?」
すると警戒心の欠片も見せず、バードは目の前に差し出されたバスケットと、タイガーの顔を交互に見る。
「パーパから…」
バスケットの中身について聞かされてはいないが、匂いからして何かの料理だろう。
途中で何度か覗いてみたい衝動に駆られたが、それをしてしまっては理性が飛んでしまう。
タイガーの足をもってして、ここに辿り着くのにこれだけ時間がかかったのは、それなりの葛藤の結果だった。
「……あ〜…そういや…あいつの作ったスープが食いたいって言ったんだっけ…」
今までの口ぶりが嘘のように、バツが悪そうにバードは黙った。
「…ん」
タイガーは無言で、バスケットを押し付けるように渡そうとする。
しかし、バードは相変わらず不機嫌なままで、ゆっくりと腕を組む。
受け取る気配も見せない。
なかなか受け取らない=家に帰れない=ヒーローに会えない。
簡単な式が頭を瞬時によぎり、少し焦りを見せ始めたタイガーに、バードは重い口を開いた。
「他にあいつ…シンタローが何か言ってなかったか?」
「…いや…渡して来いって…」
「……っち…面倒なこと押し付けやがって…」
あからさまな舌打ちをしたバードは、腕組みをしたままタイガーに背を向ける。
「おい…!」
バスケットだけを置いていっても良かったが、渡して来いと言われたからには、きちんと受け取ってもらうのが筋だろう。
妙なところで律儀な虎に、バードはようやく振り返って顎をしゃくる。
「とりあえず…入れよ」
入れとは…家に入れということなのだろう。
許可も出たことだし、そうでもしないと受け取る気はないのだろうと予測したタイガーは、恐る恐る足を踏み入れる。
掃除の行き届いている整然とした家の中は、タイガーにとってはあまり居心地のいいものではなかった。
「座れ」
命令口調にムッとしたが、彼にとってはそれが普通なのだと思い、タイガーは大人しく腰を下ろす。
テーブルを挟んだ向かい側に、バードも少し顔を顰めつつゆっくりと座る。
そのゆったりとした動作が、自分の与えた傷のせいだと否応にも気付いてしまい、タイガーも渋面を浮かべる。
よく見れば着ているシャツの隙間から、白い包帯が見え隠れしていた。
初めて会った時は上半身裸だったから、彼も自分と同じくあれが通常なのだろう。
それでも服を着ているということは…
「なぁに見てんだよ」
溜息をつきながら、バードはシャツの胸元のボタンをきっちりと締める。
そうすれば、傷を負っていると一目では分からない。
「……痛いか?」
「てめぇがその質問をすんのかよ」
皮肉げな笑みでもなく、ただバードは小さく苦く笑う。
そう言われればタイガーは何も言い返すことが出来ず、ただ俯くだけだった。
その拍子に目に入ったバスケットを、今度はテーブルに乗せて相手の方に押しやる。
「ああ…ありがとな」
今まで拒絶していたのが嘘のように、あっさりとバードは受け取った。
「じゃあ…俺帰る」
立ち上がろうとするタイガーに、バードは問い掛ける。
「…何か忘れてねぇか?」
タイガーは考えを巡らすも、ここに来たのはそのバスケットを渡すだけで…
「あともう少しなんだけどなぁ…」
そう呟いて考える仕草をしているバードに、立ち上がるタイミングを逃したタイガーは再び座る。
だが、やはり居心地の悪さが先立ってしまい、帰ろうと立ち上がったその瞬間。
「───ッッ!!」
いきなり、バードが胸を押さえて呻きだした。
傍らにあったベッドに凭れるようにして、荒い呼吸を繰り返している。
「どうしたっ!?」
慌てて駆け寄って力加減も考えずその肩を掴むと、バードの呻きは更に酷くなった。
「誰か…誰か呼ばないとっ!!───ッッ!?」
今にも家を飛び出そうとしていたタイガーは、それ以上動けなくなってしまった。
…何故なら、タイガーの尻尾をバードが掴んでいたから。
「こんな時に何を…離せっ!」
しかし、怪我人相手に無理矢理引き剥がすこともできず、それでもどうにかしようとタイガーがバードの手に触れた途端
「何か…言うことねぇか?」
低い声が聞こえ、引き剥がそうとした手もそのままに、バードの顔を見る。
その宝石のような目に映る顔は、とても不安そうな表情をしていた。
痛みに顔を顰める姿に、自分までも痛いと感じていた。
「あ…」
何故、シンタローがタイガーに見舞いに来させたのか。
まぁ…息子と二人きりになりたいというのも、あながち間違いではなかったが…
何故、執拗にバードがタイガーを引き止めたのか。
まぁ…個人的にこの虎が気になり始めたというのも、それほど見当違いのことではなかったが…
それは…
「“今”のお前なら…分かるだろ?」
自分の価値を自分で見出せないから…
みっともないほど焦って…
周りのもの全てに、当り散らして…
自分が虚勢を張るためだけに…
痛い思いをさせて…
「……ごめんなさい…」
足りない言葉があったからだ。
「…よしっ。お前にしちゃ上出来だな」
今まで痛がっていたのが嘘のように──事実嘘だったのだが──バードは笑った。
「まぁ今回のは、俺も勝負を受けて立ったわけだし…痛み分けってことで」
苦笑いでバードは掴んでいたタイガーの尻尾を離すが、タイガーは一向にバードの手を離す気はないらしい。
「おい…」
その力の強さに、振り払うこともできないままバードが声をかけると
「何とも…ないのか?」
どこか呆然としたタイガーが口を開いた。
穴が開くほど見つめられ、それが自らの体調の事を心配しての質問だと気付いたバードが
「あ?あ、あぁ…いや…騙して悪かったな…」
どこかくすぐったそうにそう呟くと、大きな溜息と共にタイガーがその場にへたり込む。
「お、おい!!」
これにはバードも驚いて、俯いたタイガーを下から覗き込む。
その表情は、心底安心したといった感じで、バードの中に罪悪感が芽生えた。
「…悪かったよ」
騙したりして。
ぶっきらぼうに謝るバードに、タイガーは首を振って
「何ともないならいい」
以前見た時と随分違う印象の声や仕草に、バードは戸惑うばかりだった。
ふと目に飛び込んできたバスケットに手を伸ばす為に、タイガーの手をそっとのける。
今度は脱力しきっているためか、あっさり離れていった。
「知ってるか?あいつの料理って結構うまいんだぜ〜」
離された手を所在無げに彷徨わせていたタイガーは頷く。
「…知ってる」
「あ、そっか。お前、シンタローんとこに世話になってんだよな…」
でもまぁ、俺ほど美味くはないけどな。
そう続けたバードは、手元のバスケットを覗き込んで
「…成る程…」
そう呟いて急に笑い出した。
「どうした?」
タイガーもバスケットの中身を覗き込むと、そこには…
「あいつ…やっぱ最初からそのつもりだったか…」
二人分のパンとスープが入った壷。
「…これは…?」
「見ての通りだ」
壷を両手に持ったバードは、台所へ向かいながら訊ねる。
「…食ってくだろ?」
「………ガウ」
バードの羽の青さに、タイガーは眩しそうに目を細めた。
翌日
「あれ?タイガー…どこ行くんだ?」
「バードのところ」
「は?昨日はあんなに嫌がってただろ…?」
「昨日、帰りに綺麗な花畑見つけた」
「…で?」
「その花、バードに持って行く」
「はぁ…」
「行ってくる」
「あ、ああ。気をつけて行けよ」
虎がもう振り返らないことを確認してから
「これは長丁場になりそうだ…」
腕に抱えた、夢の中の息子に語りかけるように呟いた。
言葉と裏腹に、その表情には不快感は微塵もない。
(二人とも不器用で、鈍いからなぁ…)
これからの騒動を予期して、シンタローは苦笑いを浮かべた。
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