少年達はいつものように、定期的に報告をするために訪れる。
東へ。
彼のもとへ。
弟は先に書庫に向かい、兄は重厚な扉の中に向かった。
「やあ…」
ゆったりとした椅子に腰を掛けていた男は、ペンを持っていない方の手を上げて子供に笑いかける。
「ん」
子供はその男に近付くと、無造作に紙の束を渡す。
「…ああ。報告書かね?」
それを受け取って、傍らの書類の山に乗せ
「では、後ほど確認しよう。修正が必要な箇所があればまた宿にでも連絡を…」
「早く見てくれよ。直すところがあったら今直すから…」
どこか不機嫌そうに言う子供に
「こちらが優先だ」
男はそう言って手元の書類を指差した。
「あ〜…はいはい」
「私も忙しいのだよ?」
これでもね。と続けた男はまた書類に目を落とす。
「ど〜だか…」
肩をすくめて背を向けた子供に、男は視線を上げないまま声をかける。
「どうだ?ここに腰を落ち着ける気はないか?」
「なんで?」
振り向いた子供が見たのは、先程と変わらない姿勢の男。
「…ここにいた方が情報が確実に入ってくるかもしれないだろう?」
「東の…だけだろ?中央とか、ましてや西の情報は遅れるんじゃねぇ?」
「だが、いつまでもふらふらしているわけにはいかんだろう?」
今までにも幾度と無くあった誘いに、子供は拒否を示した。
「…断る。どうせもとの体に戻ったら、あんたとも軍ともおさらばだ」
「そういうことはもとの体に戻ってから言うんだな」
相変わらずの言葉の応酬。
確かに調べ物も芳しくなくて、やや疲れ気味だった子供の素朴な疑問。
「あんたさぁ…優しくしてやろうとかいう気はないわけ?」
子供は男の答えが予測できる程には、知り合いだと思っていた。
きっと食えない彼はこう言うはずだ
「当たり前だ。なんだ?優しくして欲しいのか?」
どこか呆れたように、確実に馬鹿にしたように。
すると、驚いた顔をうまく隠した後、男はこう言った。
「縛り付けなくても、ここに戻るなら…考えなくもないさ」
そして子供の真っ直ぐな視線から逃れるように俯き、椅子をくるりと回し窓の外へ向く。
完全に子供の視界から逃れた。
前言撤回。
やはりこの男は食えないどころの話ではない。
予測不可能。
男の姿が見えなくなったのが不満なのか、子供は椅子の向こう側を覗き込もうと近付いていく。
「何言ってんの?」
折角逃れた子供の視線に、またもや捕らわれた男は眉間に皺を寄せる。
暫く黙っていたが、子供も譲る気はないらしく黙って答えを待っている。
溜息をつきながら男は、窓の外を眺めたまま再び口を開いた。
「優しくしたら…いつまでたってもここに顔を出さないだろう?」
定期報告も電話で済ませようとするだろうからね。
そんな自分が容易に思い浮かんだようで、子供は気まずそうに視線を逸らした。
「…甘えんな…ってことかよ」
誰かに甘えたくなっていた自分に、子供は気付いていた。
何故この男にかは分からなかったが、少しだけ期待もしていたようだ。
しかし男は否定の言葉を口にした。
「いや。甘えてくれるなら、それはそれで構わない。ただ…」
ふいに男の言葉が途切れた。
その続きが気になって子供が顔を上げると、苦笑を浮かべた男の横顔が目に入ってきた。
「君に甘くすると…際限なく甘やかしてしまいそうでね」
「はぁ?」
子供の反応を気にせず、男は椅子ごと子供に向き合う。
「君が…弟と自らがもとの体に早く戻りたいが為に、この場所に寄り付かなくなっても…」
男は自然な仕草で、無防備な子供の右手を静かに掴まえた。
「それが君の希望なら…叶えてやりたくなる」
見つめる男の目が真剣で、子供はその手を振り払えなかった。
そして男は慣れた仕草でその手の甲に唇を静かに押し当てた。
男は微かな金属音を立てるその手を、名残惜しそうに離した。
「だから…この手に確実に戻ってくるなら…優しくしないでもない」
「はぁ…?」
子供に大人の男の言葉──しかもどうやら男の我侭が込められていそうな言葉──が理解できるはずも無く。
特にこの我侭を言えない子供には、見当もつかないようで。
訝しげに男の顔を覗き込み、まだ詳しい説明を欲している。
「はぁ…なんと言えば伝わるのやら」
男は額に手を当てて思案する。
暫くして男は子供に視線を向けて、両手を広げた。
「…何のまねだよ?」
抱きつくのを待っているかのような格好に、子供は眉根を寄せる。
滅多に見れない男のあたたかな微笑みに、子供は不審そうな表情を浮かべた。
「さあ…」
男は笑顔を深め、甘く低い柔らかな声で再び子供を呼ぶ。
そして…どうしてだろう…
子供はあっけなく引き寄せられた。
「この手に戻ってくるなら…」
きつく抱き締めながら男がうわ言のように呟く。
子供は久しぶりの人のぬくもりに溺れそうになりながら、躊躇いがちに男の服にしがみついた。
「まぁ…考えておいてやるよ」
分かったのか分からなかったのか…
曖昧な子供の返事に、男は陰のある微笑を浮かべた。
厳しさで縛り付けて…
それで本気で束縛できると思っている大人。
優しさを微かに求めて…
それが本当に得られると期待している子供。
いつまでたっても…
不器用な二人。
2004/02/25
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