しっかりとした椅子に腰掛け、やけに真剣な表情を浮かべてロイは呟く。
「知っているかね?人は生まれる時、泣く」
「知ってるに決まってんだろ。それに…出産に立ち会ったことだってあるんだぜ」
どこか得意げに言うエドを暫く見据えたロイは、おもむろに口を開いた。
「……そんな話…聞いていないぞ?」
「報告するまでもない…か、な…と…思っ…て?」
ロイの機嫌がすこぶる悪そうになっていくのが目に見えて分かるので、エドは少したじろいだ。
視線の力を少し緩めたロイは、椅子に背を預けると大きな溜息をついた。
椅子の軋む音にも負けないほどの、わざとらしいまでの大きな溜息。
「報告だけでなく、君の話ならいくらでも聞きたいものなのだが?」
「…そんな無駄な時間過ごせるかってんだ」
溜息混じりの答えに、ロイの機嫌は更に降下していく。
しかし、それを感じさせないようにと、大人の意地だけで平静を装う。
「では、いつか暇な時に話してくれたまえ」
「な〜にが“話してくれたまえ”だ。暇な時なんかない」
結構、頑固に拒否するエドに、さすがのロイもそれ以上言う気が失せたようだ。
「別にいいじゃないか、減るものでもないだろうに……本当につれないねぇ…」
ロイの機嫌は下がった上に、声のトーンや雰囲気まで沈みこんでしまった。
「あ〜もうっ!!…分かったよ…今度話すから…で?」
エドは意外と面倒見の良い兄であるため、そういう風に落ち込まれるのを酷く嫌っていた。
どうしても気にかけてしまうから。
「約束…だぞ?」
立派に成長した大人のくせに、どこか子供のような事を言うロイに大きく溜息をついて
「ああ。約束だ」
ロイが満足そうに頷く姿に、また溜息が漏れそうになったがエドはそれを抑えて再度訊ねる。
「で?何が言いたかったんだ?」
「ん?」
「人が生まれる時…とか何とか言ってただろ?」
「…ああ…そうだったかな?」
「忘れたのかよ!?」
これだから年寄りはっ!!
続いて飛び出しかけた言葉を、エドは慌てて呑み込む。
これ以上、機嫌を損ねるのは得策ではないだろう。
「それはまた今度でいい。大した話じゃないからね…」
「なんだそりゃ…じゃもう用事はないな」
エドがそう言って躊躇うことなく背中を向けると、ロイは珍しく焦ったようで勢いよく椅子から立ち上がる。
「待ちたまえ!」
「何だよ!話は終わったんだろ!?」
はっきりしないロイに、やや短気なところのあるエドは大声で返す。
「話しなさい」
主語の抜けた命令に似た言葉に、エドは立ち尽くす。
「は?何を?」
いつもならその言葉の裏まで考えるエドにしては珍しく、声をかけてきた本人にすぐに聞き返す。
「旅の話を」
「はぁ!?今から!?」
帰る気マンマンだったエドは、驚きと腹立たしさがない交ぜになったような表情でロイを見る。
「そうだ」
さも当然だと言わんばかりにロイは頷く。
「わっがまま〜」
これ以上ないほど顔をしかめたエドの言葉を、ロイはさらりと流し更に言葉を重ねる。
「あとアルフォンス君を連れて来なさい。君だけだと所々隠して話すだろうからね」
「げ」
エドの表情を楽しげに見た後、ロイは机の上を整頓し始める。
「…仕事は終わったのかよ…?」
「もちろん終わったさ。そうだ…私の家にでも来るかね?」
「家?」
エドは驚いたような表情を浮かべた後、暫く考えこむ様子を見せる。
家に行った後のことを考えているのだろうか。
その眉間には深い皺が刻まれている。
どんな要求を突きつけられるか…とか。
だが、結局は好奇心が勝ったようだ。
「じゃあアル呼んでくる!!」
今まで渋っていたのが嘘のように、エドは勢いよく弟を呼びに向かった。
「やれやれ…」
思わずこぼれる笑みを抑えることなくロイは呟く。
そして、机の上の先ほど整頓した“未決済の”書類を眺めて苦笑いを浮かべる。
「…明日中に終わるのだろうか……」
ロイは二人がやって来るまでの間、優秀な部下の目を掻い潜って逃げ帰る算段を考えていた。
BACK