中央。
あの人がいたところ。
新しいこの人の居場所。
二人は本当に、久しぶりに会った。
二人が離れていたその間に、起こった出来事。
それに関して、目の前の男が慰めの言葉を必要としないことを、エドは知っていた。
そして、それだけの言葉を、自分が持っていないことも。
「よお、大佐。中央ご栄転オメデトウゴザイマス」
心にもないといった口調のエドに気付いたロイは、以前と何ら変わりない表情を見せた。
「やあ、鋼の。まだ生きていたのか」
「そっちこそ」
物騒極まりない話をする二人に、周りの人間はぎょっとする。
しかし、その二人にしては穏やかな空気が流れていることにも気付く。
だから結局、詮索することも二人の会話に加わることも出来ないのだ。
夕刻が近いので、空の色が徐々に変わり、少し薄暗く感じる。
広い部屋で、たった二人だけというのも、何だかバランスが悪いような気がする。
そして、部屋の真ん中に鎮座する一対の大きめのソファ。
その一対の片割れに、二人がちょこんと座っているのも、何だかバランスが悪いような気がする。
大きめのソファなのに、あえてエドの隣に座りたがるロイは、見ようによっては健気だろう。
だがエドは少しでも距離を開けたくて、じりじり離れていく。
「いつ君が死んでしまうか、毎日冷や冷やしているよ」
心配そうに囁くロイは、確信犯的な笑顔を浮かべてエドの手を捕まえている。
「あ〜はいはい」
エドはどうせ逃げられないと諦めて、密着した状態のまま大人しくすることにした。
もう少し言い方を変えれば、愛を囁く言葉にだって変えられるだろう。
この男にとっては造作もないことだろうに、あえてそれをしないのは…
「やはりこれは俗に言う“恋”なのだろうか?」
君の事を誰よりも大事に想っている自信はあるのだけれど…
どう思う?鋼の?
そんな表情で聞かれても、ロイの心境なんかエドには分かるはずもない。
「…やっぱ俺の方が先に死にそう」
大佐が原因のストレスで。
言葉には出さなかったが、恨みがましい目線にロイは気付いていた。
溜息をついたエドの、真っ赤に染まった顔は夕日で誤魔化せるだろうか。
「おや?君は存外長生きしそうだが…?」
「あんたほどじゃねぇ…」
目の前の男の、親バカな親友の顔が思い浮かぶと同時に、最期に聞いた言葉も思い浮かぶ。
“憎まれっ子世にはばかる”
どこか痛みを伴った笑みを浮かべたエドに、興味を引かれたのか
「何がおかしいんだね?」
エドの顔を覗き込むようにして、ロイは訊ねる。
それが小さな子供が物事を訊ねる仕草にあまりにも似ている為、エドは不謹慎とは思いつつ噴出してしまった。
「そんなにおかしい顔かい?」
自らの容姿に少なからず自信を持っている男は、思い切り顔を顰めた。
「いや…そういうわけじゃねぇけど…」
機嫌を損ねてはまずいと、エドは笑いを堪えながら告げる。
「本当に…中佐は大佐のことよく知ってんだなって…」
そう言ってからエドは、急に自分の胸が痛んだことに気付いた。
(そうだ…何も知らない…俺は…何も…知らない…)
「…ヒューズ…?」
震える声を抑えようとして、結局は抑え切れなかった声でロイは呟く。
エドはあまりの痛々しさに、ロイを見ることが出来ず俯いていた。
「あいつは…何を…言っていたんだい?」
その言葉に弾かれるようにエドが顔を上げると、いつもよりも優しい笑顔を浮かべたロイがいた。
ただ、あまりにも優しすぎて、儚いとも言えるほど淡かった。
「…憎まれっ子…世にはばかる…って…」
何故だか告げたくなかったのに、言わなければロイが消えてしまうとエドは感じた。
きっとそれは、ただの恐怖。
「……おい」
脱力したように溜息をついたロイは、暫く俯いていた。
しかし、急に顔を上げると、今度はどこか晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。
「ならば…生き抜いてみるか…」
そう呟いたロイに、エドの胸がまた痛んだ。
エドの表情がくるくると変わるのを見て、ロイは苦笑した。
「残念ながら…あいつの死に目には会えなかったわけだが…」
死の間際に、最も近かったのだけれど。
悲しみがないわけではないだろうに、エドの目を見つめるロイの眼差しは悲しみを感じさせなかった。
「約束は…覚えているだろうね?」
「一応な」
あんたの最期の言葉を、この心に。
俺の最期の言葉を、その耳に。
…届ける。
「守ってもらうよ?」
エドはロイの瞳に、縋りつくような色を見出した。
「バーカ」
図体ばかりが大人になって、何かを置き去りにしたかのような後悔を垣間見せる。
この男は要するにまだ子供のようなものなのだ。
何に縋ってもいいか分かっているだけ、本物の子供の方が素直で可愛らしい。
「当然だろ?」
居た堪れない思いを、笑って誤魔化す。
「鋼の…」
ロイはその笑顔に、少し困ったように笑みを返す。
そしてどこか躊躇いがちに、口を開いた。
「…形で…残して欲しいんだ」
「…形?」
「そう」
「例えば?」
「…指輪とか?」
何か…何かを通じてでも、自分を思い出して欲しい。
珍しく可愛らしい我侭を、エドは真剣な表情で拒絶した。
「銀時計で十分だろ?」
要するにあんたは縛り付けたいんだ。
吐息のように呟かれた言葉は、二人しかいない部屋に思いのほか響いた。
あんたを、俺の足枷にしたくない。
俺は、あんたの足枷になるつもりもない。
エドの雄弁な瞳から、堪えられなくなったのかロイは視線を逸らす。
「…そうか…そうだな…」
納得していないのに、納得したかのように頷く。
曖昧な笑みを浮かべさえして。
これ以上、自分が傷付くのが嫌で、相手に合わせる。
ずるくて、臆病で、賢い大人。
この大人に、理想的な大人像を求めていなかったエドには、どうでもいいことだったのだけれど。
それでもそんな姿を見ても、エドは失望を感じたりしなかった。
自分の中でのこの大人の地位は、もう既に高いところで確立しているのかもしれない。
エドはそんなことを考えながら、夕日に染まる男を見る。
夕日の変化から、かなりの時間が経っていると予想するのは難くない。
そして、ロイがエドに視線を向けた時に、漸く。
弟を待たせていることを、思い出した。
今度はエドが視線を逸らして、舌打ちした。
「俺…行くな?」
立ち上がっても、ロイはもうその手を掴んだりしなかった。
「ああ…行って来なさい」
舌打ちの意味も何もかもを、深く訊ねずにロイは微笑んだ。
名残惜しそうに見つめる視線に気付いたのか、エドはドアに手を掛けた格好で、立ち止まる。
「なあ…大佐」
「何だね?」
「今度さ…大佐と中佐の昔話…聞かせてくれよ」
ロイに背中を向けたままなので、エドにロイの表情は見えなかった。
驚きに彩られたその表情は、普段の彼からは絶対に想像すら出来ないほどの崩れ具合だった。
「…は、鋼の?」
「俺の知らないあんた達が…知りたい」
ロイ限定ではないところが、この少年らしい。
それでもロイは、自分に興味を持たれたことが嬉しいらしく声を弾ませる。
「ああ…いつでも話そう」
その自然に浮かんだ笑顔は、エドに目撃されることとなる。
そして、それはエドの笑顔を生む要因となった。
「約束だぞ?」
そう言って静かに閉ざされたドアを見つめたまま、ロイはまだ微笑んでいた。
鋼のに何から話そうか?
そういえばあの内乱の時は、お前とはあまり話すことも出来なかったな。
それに、これはあの子には出来れば話したくないし…
ああ…そういえばあんなこともあったな…
昔…ほんの少しの昔に…
私の当時の恋人が、別れを告げた後にいきなり殴り込みに来て、それをお前が宥めてくれて…
それをお前の当時の恋人…ああ、今はお前の妻だな…に運悪く見られて…色々誤解されて…
私のことそっちのけで………修羅場に…
…ま、まあ色々と聞かれちゃまずいこともあるが…
もう、時効だよな?
お前は結局、惚れ倒した女性と結婚できたわけだし。
可愛い子供もいる。
あれからどれくらいの月日が流れた?
私もお前も、無茶をするのにはもう若くないだろう。
もっともお前は、いつだって無茶をしていたが。
私達は、どれだけ一緒にいた?
これは私の性格のせいかもしれないが、お前しか友人がいなかったな。
昔を思い出す度、お前の笑顔しか思い浮かばないんだ。
一体、いくつの言葉を交わした?
喧嘩もしたな。
殴り合いがあまりなかったのが、理性的な証拠だと思いたいよ。
私は、どれほどお前に救われた?
他の人間との軋轢を生じやすい私を、お前はいつも心配してくれていた。
でもこれ以外の生き方を、私は見つけられなかった。
楽しかった…そうだ、楽しかったんだ。
お前との時間は、ひどく、ぬるいんだ。
花の香り、暖かな風のそよぎ、お前の…笑顔。
だから…話したいんだ。
一番、穏やかだった日々を。
私の一番大事な人に。
なあ…話してもいいだろう?
なあ…ヒューズ。
勝手にしろよ…ロイ。
一筋だけ、光ったのは。
ひとしずくだけ、零れ落ちたのは。
手向けの、花。
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