甘い香りに誘われるように覗き込んだキッチンで、006は003を目撃した。
「003?」
001のミルクでも作っているのだろうかと思い呼びかける。
だがミルクを作るだけでこんなに甘い香りがするだろうか?
「あら006…今からここ使うの?」
「いやいや。今から仕事ネ」
「まぁ。お疲れ様」
ねぎらいの言葉に笑顔を浮かべると、先程からの疑問を口にする。
「何してるネ?」
「ここ最近、特に事件もないから…ちょっと作ってみたくなっちゃったの」
003が移動すると、その影から綺麗にクリームが塗られたスポンジが見えた。
「お料理はちょっと自信ないけど、ケーキだったら上手に作れる自信があるのよ」
照れくさそうに笑う003は、年相応の少女だった。
「あいやあ!店に売ってあるようネ!」
お世辞なのか本気なのか…
006がそう言うと、003は少しはにかんでお礼を言った。
「でも…やっぱりケーキだけじゃだめよね」
その瞳が、誰かを想って揺れたのを006は見逃さなかった。
「そんなことないアル。ワテ料理作る。でもケーキ作るの苦手ネ」
「まぁ…名料理人にも苦手なものがあるのね?」
「そうアル。あ、でも食べるの得意ネ。ものすごく」
ケーキは嫌いではないことを必死に主張する006に、思わず003の顔には笑みが広がる。
「良かったわ。楽しみにしていて」
どうやら食いっぱぐれはないことを確信して、006は安堵の溜息をついた。
しばらく003の手元を食い入るようにして見ていた006が、不意に口を開いた。
「世界とケーキは似ているネ」
「え?…そう…かしら?」
思いがけない006の言葉に、003はイチゴを乗せる手を一度休めて聞き返す。
「そうアル。世界は丸いアル」
「丸というか、球じゃないかしら…?」
「まあ、実際はそうアル。でも今は黙って聞いてネ」
006が太い人差し指を立てて横に揺らす仕草に、003は微笑んで頷く。
「はい」
その答えに満足したのか、006は軽く咳払いをして
「例えば…ケーキを皆で食べる時、まずどうするアルか?」
「え?…切り分ける…かしら?」
「そうヨ!でも、切ったくらいではまだケーキは丸いアルね?」
「ええ。ちょっといびつだけど…」
003の最後の呟きを聞かなかったかのように、006はなおも語る。
「でも、食べると欠けるアル。それはもう丸ではないね」
ピース(欠片)が一つ欠けたケーキ。
「完全な丸。完全な世界」
ピース(欠片)が欠ける前のケーキ。
「ワテにとってのケーキのピース…それはきっと皆の事ね。それが欠けたら、それはもうワテにとっての完全な丸ではなくなるアルね」
苦笑いに近い笑みを浮かべて006はそう言い切った。
「それがワテの世界観ね」
いつだったか、神々と名乗る者達と戦った時と同様に、006の思想が垣間見えた気がした。
思考の海に入りかけていた003を引き止めるように、006は微笑んで呟く。
「でもまぁ…ケーキは欠けても美味いアルよ。例えることは出来ても、本物と同じではないから難しいネ」
ケーキはどこが欠けてもケーキであることには変わりない。
「そうね。でも、なんとなくだけど…言いたいこと…少しは分かるわ」
世界もどこが欠けても世界であることには変わりない。
…でも……
──もしかしたら、私の世界も『そう』なのかもしれない。
「そうか。それは嬉しいアル。おっと…ワテは仕事に行って来るネ」
時計をちらりと見てから、006は歩き出した。
そして、一度振り返り
「……………ごちそうさま」
006がにこりと笑って立ち去るのを、003は不思議そうに見ていた。
「ごちそうさま」とは一体何のことだろうか?
003がケーキに乗っていたはずのイチゴが減っているのに気付くまで、あと2.6秒。
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