夕日
練習終了後、いつものように猿野と獅子川と牛尾の三人は残って練習をしていた。
「よし。今日はここまでにしよう。二人ともお疲れ様」
さわやかキャプスマイル。
汗を拭きながら牛尾が言うと、早く帰りたいのか獅子川と猿野は一目散に帰る支度に向かった。
しかし、途中まで走っていた猿野が、急に方向転換して牛尾に近付いて来る。
「どうしたんだい?」
いつもの笑顔を浮かべてトンボで素振りを始めようと、それを手にした牛尾の動きが止まった。
猿野は暫く逡巡した後、口を開いた。
「いや…その…華武との練習試合はどうでしたか?」
牛尾は、持ち上げていたトンボを丁寧に地面に下ろすと呟くように言った。
「あんなものは…野球と認めたくないな」
その表情には感情というものは見当たらなかった。
慣れない牛尾の表情にに猿野がたじろぐ。
その様子を見て、牛尾はその場を取り繕うように、にっこり笑って
「大丈夫。ちゃんとした野球でなら次は勝てるよ」
そう言ってまたトンボを手にしようとして、真剣な猿野と目が合った。
真剣と言うより、どことなく怒ったような表情だった。
しばらくして、牛尾が折れた。
溜息をつくと、俯いて口を開いた。
「…屑桐無涯……彼の球を打ちたかった…」
猿野は何も言わずに、牛尾の言葉に耳を傾けている。
「猿野君。本当はね…君が彼の球を最初にファールした時…」
そこまで話すと、牛尾は顔を上げ猿野の目を睨み付けるように見た。
「無性に……打ってほしくなかったんだ…」
「キャプテン…」
真剣な表情で何かを言いかけた猿野を、軽く片手を上げることで制し
「ごめんね。変なことを言った…忘れてくれ」
苦笑を浮かべた牛尾に、猿野は同じように苦笑して声をかけた。
「俺…何となくっすけど…分かります」
驚いた牛尾の顔を見ないよう、深々と頭を下げると
「お疲れ様でした!」
と言って今度はそのまま走り去っていった。
その後姿を見ていると、自然に牛尾の顔に笑みが広がっていた。
コ コ
「ねぇ屑桐君。僕は十二支に来たことを後悔していないよ?」
自らの両手を見ながら、牛尾は呟いた。
夕暮れが近付き、自主練習も終わる。
ふいに屑桐はグラウンドを振り返った。
そこにはサードのベースが…
無意識のうちに屑桐は自分の顔に左手を当てていた。
「屑桐さん?」
動かない屑桐を心配した後輩が声をかける。
「…なんでもない…」
屑桐はそう言って頬に触れていた手を離した。
「俺の選択は…間違っていない」
一度だけ視線の先を睨み付け、目をきつく閉ざすと背を向けた。
思い出は、何故そのままの形で残ってくれないのだろう。
楽しかったはずの思い出さえ、変わっていく。
「勝つのは…」
夕日が沈む速さよりも、ゆっくりと…
その言葉は空気に溶けていった。
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