思った以上には粘ったが、物量の前に北条は潰えた。

あとの細々したことは権力者に委ねて、特に被害の無いまま大名達は各々陣払いをし始めていた。

早々に領地に戻って、政に力を入れたいのだ。

そんなざわついた空気の中、ひたすら幸村は半蔵に会う為に歩いていた。

あの夜以来度々会えることもあったが、元々が役目の違う二人であるため、そうそう会えるものではない。

これを逃したら、また会えなくなる。

本能的にそう悟った幸村は、くのいちが止めるのも聞かずに一人で歩き出した。

実を言うと彼がどこにいるかも知らないし、まだ小田原に留まっているとも限らない。

それでも僅かな望みを捨てきれず、徳川が詰めているであろう方面へと黙々と歩いていた。





誰かに所在を聞こうとも思ったが、慌しい空気にたじろぐ。

しかも迂闊に半蔵の名を出して訊ねれば、邪推される可能性の方が高い。

改めて勢いだけで来たことに後悔し始めていると、急に影が出来たと同時に低い声が頭上から降ってきた。

「幸村殿ではないか?」

「忠勝殿!?」

振り向いた先に兄の義父がいた。

あの目立つ兜は被っていないが、威圧感だけで充分にその人だと分かる。

しかし、その威圧感が急に和らいだと思うと、有無を言わせず物陰に幸村の腕を引っ張って行った。

はっきりと喋る印象のある忠勝が、少し言い辛そうに

「あ〜…その…稲は…」

「義姉上ならお元気ですよ」

厳しく育てたつもりだろうが、傍から見たら親バカとしか言いようが無い。

それが分かっているからこそ、敢えてみなまで言わせず、恐らく彼の聞きたかったであろうことを口にした。

「そ、そういうわけでは……」

「家中の者も義姉上の気立ての良さを褒めております」

実を言うとまだ稲を警戒している者もいるが、そのうち彼女の魅力に気付いていくことだろう。

そして何より、兄が彼女を守っていくことははっきりしている。

だから、幸村は自信を持ってそう答えることが出来た。

「…かたじけない」

一番気がかりだったことを、何の衒いも無く言う幸村に軽く頭を下げた忠勝は、よほど不安だったのか今は珍しく穏やかな表情だ。

「…それよりどうしてここへ?」

もう陣払いが済んだのかと驚きの表情の忠勝に、苦笑いを浮かべて

「その…半蔵、殿は……」

「半蔵…?」

訝しげな表情で見下ろされ、更に幸村の笑みが苦くなる。

自身も長身な為、あまり見下ろされることに慣れていない幸村は、少しこの状況に困惑気味だ。

その表情を見つめていた忠勝は、幸村が半蔵に用があるという不自然さを解決しようとしていた。

「呼んで来よう」

だが答えが出たわけでもないだろうが、特に追及することなく「暫し待て」と言い残して立ち去る。

後にして思えば、あれほどの猛将に取次ぎさせるとは何事だ、とも思ったがこの時の幸村はそれどころではない。

直立不動で忠勝の言う通り待っていると、驚きに弾んだ声が聞こえた。

「もののふ…?」

昼間であることと兵達と共に帰るためか、いつもの忍び装束ではなく具足を纏っていた。

それをまじまじと見ていると、溜息が聞こえる。

「どうした?」

「いや…また…暫く会えないかと思って…」

素直に寂しさを表す幸村に、子供に言い聞かせるような調子で

「また会いに行ってやるから」

だが幸村は子供とはいえない年齢で、確実な次の約束を求める。

「どこへ?」

「どこが良い?」

次男という微妙な立場にいる幸村は、自分がどこの城へ行くかまだ分かっていない。

それを知っているからこその半蔵の問いは、そう感じさせないほど軽いものだった。

「……逢引に相応しい場所」

その一言で改めて自分達の関係を意識したのか、半蔵の頬が朱に染まった。

「…山中に…古い屋敷がある」

微かに聞き取れるかと言った程度の声音で呟いた後

「今度、案内する」

待っておれ。

更に聞き取れないほどの小さな声で言った後、俊足を遺憾なく発揮して去っていった。

いつの間にか、彼の声なら聞き漏らさない自信がついていた幸村は、今回も一字一句聞き漏らさなかった。

赤面した半蔵にちょっとした罪悪感を覚えつつも、幸村は自分の頬も赤くなっていることに気付く。

我ながら初々しいなぁ…などと暢気に考えている幸村の表情は緩みっぱなしだ。

来る時の思いつめたような表情とは打って変わって、帰りは擦れ違う人間が不審に思うくらいの笑みだった。