見慣れない小姓が自分の身辺をうろうろしているなと思っていたら、実は半蔵からの繋ぎの者だった。

例の古い屋敷への道筋を、分かりやすく丁寧に教えてくれた。

もっとも、半蔵が待っている場所を教えるのが主な仕事だったようだ。

任務は終わったと帰ろうとする少年に、本当に小姓として雇われたのかと聞いてみると、それはあっさり否定する。

ここで幸村の問い掛けに答えてしまうあたり、まだまだ未熟な忍びといったところだろう。

つまり敵の真っ只中で、さも仲間のようにそ知らぬ顔をしていたということ。

不謹慎だが、彼らの腕のよさに感謝していた。





歳若い忍が去ると同時に、くのいちが音も無く現れる。

今までの会話を聞かれていたかもしれないと、内心焦るが一応平静を装った。

「幸村様…追いましょうか?」

「いや。追わなくていい」

「へぇ…な〜んか最近、優しくなりましたね〜」

「…そうか?」

「ま、私はどっちでもいいですけど…」

そう言われてみると、忍び込んだ者に対しての処置としては甘すぎる。

半蔵の使いの者だからといって、信用しすぎではないだろうか。

いや、やはり半蔵の使いの者だからこそ、信用に値するのかもしれない。

(惚れた弱み…だな…)

思い当たった言葉に、少し苦い顔をした幸村に

「で?これからお出かけですかぁ?」

急にいつもの調子に戻ったくのいちに、やはり聞かれていたのかと目を見開く。

そんな幸村に構うことなく、悪戯っ子のような笑みを浮かべて

「早めに帰ってきてくださいね?」

自分が昌幸に不審に思われるから。

しっかり釘をさすことは忘れなかったが、くのいちはあっさりと去っていった。







夜も更けた頃、恐らく己しか知らない抜け道を通って、歳若い忍に教えられた場所へ行く。

誰もいないと思っていると、向こうが幸村の気配を察したのか暗闇の一部が動いた。

まるでその闇が凝り固まったように姿を見せたのは、半蔵だった。

「あの、女忍に…」

それが自分に向けての言葉だと気付くのが遅れた幸村は反応も遅れた。

「…話したか…?」

このことを。

「いや、詳しくは話していないが…」

正確には“話した”ではなく“聞かれた”と言った方が正しい。

だが、そのことであの歳若い忍が処罰を受けるのでは、と思った幸村は黙ることにした。

「…そうか」

そう言ったきり黙りこんでしまった半蔵に、珍しく幸村の勘が働いた。

「まさか…妬いてくれたのか…?」

半蔵は何も言わず、背を向けると歩き始める。

慌てて着いて行く幸村の心臓は、うるさいくらいに昂ぶっていた。







その屋敷は、急に崩れた天気と相まって、全ての者を拒絶するような雰囲気だった。

実際に門には板が打ち付けられて、竹矢来がぐるりと廻らされている。

しかし半蔵はその切れ間を知っているらしく、迷うことなく屋敷内へ入ることが出来た。

不意に一度だけ振り返った幸村の目には、雨に煙る木立が絵のように映った。

空を見上げると雨が叩きつけるように降っている。

森の中だったから雨の力が緩和されていたことに気付くと同時に、雨が降り始めた途端、半蔵が途中で方向転換してこの道を選んだ理由が分かった。

「流石の半蔵も…夕立は分からなかったようだな」

からかい半分の幸村がそう言えば、ちょっとムッとしたような表情で

「…予定より遅くなっただけだ」

それが幸村の足のせいか、自分の足取りの重さのせいかまでは言及しなかった。





誰かが定期的に掃除でもしているのか、屋敷内は不自然なまでに清掃が行き届いていた。

もしかしたら、忍達の使う場所なのかもしれないと思ったが、幸村は思うだけに留めた。

器用に火を起こした半蔵に、いつぞやの遠乗りの日を思い出す。

不意に濡れた小袖もそのままに、幸村は座ったままの半蔵を抱き締めた。

「…風邪を引く」

突然のことに体を強張らせた半蔵だが、すぐにそう呟くと幸村の小袖を脱がそうとする。

「お互い様だ」

そう言って笑った幸村は、明らかに半蔵とは違う意思で相手の帯に手を掛けた。



雨で冷えた体が再び熱を持つのに、そう時間はかからなかった。







人の温もりに夢中になっている幸村には気付けなかった。

いつもはどこか頑なな半蔵が、抵抗らしいものを一切しなかったことに。