どこか気楽な次男坊である幸村は、己の為の時間を持つことはできた。

だが、短い逢瀬は、あまり頻繁には行われなかった。

二人の間を隔てる物理的な理由もあったが、大抵は半蔵の都合がつかなかったから。

それを仕方の無いことと言ってしまえるほど、幸村は大人ではなかった。

しかし、嫌われること覚悟で駄々を捏ねられるほど、幸村は子供でもなかった。

どこか宙ぶらりんな感情のせいで、彼の勘は鈍っていたのかもしれない。



半蔵の仕事が忙しいということ。

くのいちが時折、物言いたげな表情を浮かべること。

兄がわざわざ、親徳川の態度を表に出し続けてきたこと。

三成の警告が、具体的かつ重々しくなってきたこと。

左近にそれとなく、有事の際の身の振り方を訊ねられたこと。

兼続から人目を憚るように、忠告混じりの文が届いたこと。

慶次が近いうちに始まるであろう、戦に備えていたこと。



思い返せば、たくさんの兆候はあったのだ。

本当はもっと早くに気付いてもおかしくなかったのかもしれない。

だが、それを無意識のうちに、拒否していたのだろう。

全て割り切ってそれを受け入れられるほど、幸村は大人ではなかった。

しかし、己の立場を顧みずに感情のまま生きられるほど、幸村は子供でもなかった。

本当は、狂ってしまいたかった。

狂うという選択肢を選べるほどの、理性は残っていなかっただけで。







人払いをした父の部屋に向かう。

しんとしている空間には、忍でさえいないのかもしれない。

「おお、来たか」

そう言って手招きをする父に従い、その前に用意されていた円座に座る。

そして、幸村は不意に当たり前のことに気付いてしまった。

いつもならそこにいて微笑んでいるはずの信之が、もう、いなかった。

いや、正確には兄は上田にいる。

いなくなったのは、立ち去ったのは、自分達の方なのだ。

「幸村…分かっているな?」

どこか悔しそうな、それでも決意を遂げようとしている父の眼差し。

それは、これから始まるであろう戦に昂ぶっている証拠。

その視線で、唐突に幸村には理解できてしまった。



事実が、漸く事実として、幸村を攫っていく。





彼の人とは完全に道が別れてしまったという事実が。