穢多崎砦を落とし、緒戦は勝利したと言えよう。
その後の今福村や鴫野村あたりでの野戦は、やや押されていたらしいが、勝負は付かなかったようだ。
そして翌日の戦いで、大阪方が籠城のため城へ引き上げていった。
最初は割と安心して報告を聞いていた家康だが、徐々に顔が強張っているのが見て取れる。
これといった戦いがあったわけでもないし、大阪方が不利な状況も変わってはいない。
唯一、誤算だったのは…
「やはり…昌幸が死したと聞いて安堵するには、まだ早かったか…」
かの智将の死を聞いて、心のどこかに油断があったのかもしれない。
その次男、幸村の奮迅もさることながら、父親譲りの知略ぶりにも舌を巻く。
「厄介な…」
たかが小さな領国の食えぬ男でしかないと、昌幸を侮っていたことは認めざるを得ない。
そしてその次男のことも、父親の陰に隠れるか隠れないか程度の認識しかしていなかった。
よもや後々、このようなことになるとは…
「どうすればあの幸村を討ち取れるのやら…」
「…それは難しいかと存じます」
突如として降ってきた耳に馴染む低音に、家康は驚いた様子もなく腕を組んだ。
振り返らなくとも、いつもその声を聞いてきた家康には誰がそこにいるか分かっている。
部屋の片隅の闇の中に、いつの間にか片膝を付いた半蔵がいた。
「むぅ…お主でも…良い案が浮かばぬか…」
その“半蔵ならどうにかできる”という、やけに期待が掛けられていたような言葉に、下を向いたまま半蔵が唇を噛む。
そして家康はといえば、自らの発した言葉が、ここ数年秘めてきた部下への疑惑に満ちていたことに気付いたらしい。
今更かとは思いつつも、言い訳めいた言葉を口に上らせた。
「お主なら幸村のこと、よう知っていると…風の便りに聞いたのでな」
振り向いて半蔵の姿を視界に入れた家康の笑みは、どこか相手を伺うようなものだった。
よもや家康が振り返っているとは思いもしなかったのか、半蔵にしては珍しく思い切り表情を顰めている。
「そのような醜聞……っ…!!」
そして頭を上げた時に、主と目が合ってしまい息を呑む。
どこかバツの悪そうな表情は、言われたことに対して何かしら後ろめたいものがある証拠だろう。
今まで影に生きてきた友の、初めて見せた戸惑いに、家康は確信を深めた。
「そうか…それほどまでに…」
「ご、誤解でござる。拙者…」
少しだけでも、どもる半蔵など家康はついぞ見たことはない。
「構わん…」
これ以上、自分の知らない友の一面を…それも現状ではあまり好ましくない感情を抱いている友を、見たくはなかった。
それは嫉妬に近いものだったのかもしれない。
「使者を…」
まるで独り言のように呟かれた言葉に、半蔵の表情がいつものものへと戻っていく。
それと同時に、家康の淀んでいた気持ちも、徐々に先のことへと向かっていった。
「…そうだな。信尹を…真田信尹をこれへ…」
「…承知」
再び深々と頭を垂れた半蔵は、いつの間にか音も無く消えていた。
一人になった空間で、埒もないことを、考えてしまった。
「自分はとても残酷なことをしているのではないか」などと。
それを考えること自体、埒もないことであろうに。
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