遠くから抑え気味の足音が聞こえる。
完全に音が消せないのは、忍ではないということ。
案の定、急いでやって来たであろう真田信尹が姿を現した。
「真田信尹…参りました」
「ここへ」
「はっ」
この真田一族の特徴なのか、信尹もその言動に隙はない。
それを好ましく思いながらも、昌幸や幸村のことを思い出すと、未だに背筋の凍る思いがする。
「いきなりで悪いが…お主の甥御を説得してはくれぬか?」
「甥…と申しますと…幸村のことで…?」
兄の信之は家康に付き従っているので、今更に説得などと言いはしまい。
「うむ。敵ながら天晴れな戦いぶり。その力を是非に、と」
倒すのが難しいならば、こちらに引き摺り込めばいいだけのこと。
…それ以降はどうするか、まだ考えてはいないが。
「承知致しました…ですが…」
きっちりとした礼をした後、何か思いついたのか、急に信尹の挙動が怪しくなる。
「なんだ?何なりと申せ」
「…あの甥は…昔から意固地でして…その…素直に従うとは思えませぬ…」
「…それもそうだな…ではこうしよう」
肉親の情で動くならば、兄の信之が説得に当たったほうがいいだろう。
もっとも、それで動かないことは関が原で実証されているが。
情以外で武将を動かすには、それなりの何かを与えねばならない。
「こちら側につけば、三万石で取り立てる…そう伝えよ」
「…三万!?よ、良いのですか…?そこまで甥を取り立てていただいても…」
「構わぬ。それで駄目なら次は十万石…そう伝えよ」
「ほ…本当によろしいのですね?」
在り得ないほどの破格の扱いに、信尹の目の色が変わった。
「二言は無い。行け」
「…はっ」
直ぐさま去って行った信尹の様子なら、真剣に話し合いを行ってくれるだろう。
一仕事終えた思いで家康は大きく息をつく。
「流石の幸村もこれで…」
「無理かと…」
いつの間にいたのか、普段の忍び装束ではない半蔵が、家康の斜め後ろに控えていた。
「…何故?」
「……恩賞などに心動かされる男にござりませぬ」
「お主がそう言うのなら…そうなのだろうな」
別段深い意味で言ったわけではないが、一瞬だけ半蔵の肩が跳ねた。
もちろんそれは、前を向いている家康には見えなかったし、見えていたとしても苦笑するしかないであろう。
「だが、正直に言ってあの男は脅威じゃ」
無意識のうちに爪を噛みながら、家康は低い声で呟いた。
「どうにかして、あちら側から離れさせねば…」
その時の半蔵の表情はいつも以上に“無”で、内なる感情を抑えているようでもあった。
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