前回訪ねた時同様、合戦時とは別人のように困ったような笑みを浮かべながら幸村が口を開く。

「叔父上…何度来て頂いてもお返事変わりませぬ…」

「幸村よ…今度はちょっと違うぞ」

嬉しい気持ちを隠しきれない叔父の様子に、つられるように幸村も笑みを浮かべる。

「…といいますと?」

「今度は信濃一国でお取立てだ!!」

「…そう…でございますか」

だが、母親似の秀麗な顔を俯かせ何事か考えていた幸村は、すぐに顔を上げると

「いえ。謹んで辞退させて頂きたく存じます」

思いもかけない返事に、言葉もなく幸村を見つめる信尹に、一言一言はっきりと告げる。

「例え日本国の半分でお取立て下さったとしても、翻意いたしかねます」

甥の意志がそこまで固いことに、ここで信尹はようやく気付いた。

かの鬼半蔵が仄めかしていたように、それでもこちら側につかないのだと。

「約束は…重いものでございます」

それが“誰”との約束か、信尹にははっきりと分からないが、よほど大事なものなのだとは分かった。

「きっと亡き父も、大御所に立ち向かうを望むでしょう」

だが、幸村の父──それは信尹の兄でもある──との約束ではないようだ。

やはり兄の息子も兄に似て頑固で一途なのだと、信尹は苦笑いを浮かべた。

こうなれば、叔父として信尹がしてやれることは一つだけだ。

「そうか…ならば、己が道を全うするがいい」

「…ありがとうございます。叔父上も…息災で」

「…ああ」

戦場に赴くにしては優しすぎる甥の言葉が、信尹の胸を締め付けた。







出掛ける時よりも、何か吹っ切れたような信尹の表情で、家康には全て分かってしまった。

「やはり…無理、か…」

「申し訳ございませぬ。やはり幸村の意志は固いようで…」

「よいよい。実はな後藤又兵衛にも使者を使わしたのだがな…」

「あの又兵衛殿に!?」

その豪放磊落な性格ゆえか主を転々とし、かつその行く先々で上げた功績は大きい。

もしかするとその武名は幸村よりも響き渡っているかもしれない。

「うむ。だが、答えは幸村と変わらなんだ」

「まだお若いのに立派な心がけで…」

思わず漏れ出た本音に、慌てて信尹は口を塞ぐ。

「はっはっ…構わん。近頃の若いのにしてはなかなか…」

それは家康も感じていたことで、だからこそ自軍に引き込みたかったのだ。

何故なら家康は、自軍の勝ちを信じて疑っていなかったから。

正確に言えば大阪方の浪人達も、同じ事を思っていたのだが。

「惜しいことだ…」

そう呟く家康が、信尹にはかつてないほど人間味溢れているように見えた。







「半蔵…近う…ほれ、もそっと近う…」

まるで子供でも呼び寄せているような家康の声に、素直に従った半蔵は音もなく近寄っていく。

手の届く距離まで来た半蔵の手を、自然な仕草で掴むと

「懐かしいな」

そう呟いて、軽く己の方に引っ張る。

主の上に倒れこまないようにはしたが、引き寄せられるままに半蔵は膝をついた。

表情の変わらない半蔵に構わず、家康は目の前にある相手の鳩尾辺りに額を擦り付ける。

これは幼い時よくやっていたことで、懐かしさに二人とも目を細めていた。

「だが、おなごの方が良いのう…」

「……申し訳ございませぬ」

「ははっ、お主は生真面目すぎるぞ」

「……は…」

そうして昔のように躊躇いがちに半蔵の手が家康の背を撫ぜた。

「うむ。やはり半蔵が良い」

幼い頃と変わらない家康に、嬉しさからか自然と半蔵の頬も緩む。

「半蔵…」

「は」

低く力強い声は腹から出しているようで、その振動は家康にも伝わっていた。

「わしの側で天下を支えよ」

「御意」

力強い返事に、自然と家康の頬が緩んでいく。

そしてその笑みは、半蔵の最も好む表情だった。











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