人の信仰心をあれこれ言うのを好まない元親には、今までずっと気になっていた疑問がある。
それを問い掛けて、確実に答えてくれるとは限らないが、怒られないであろうと思うことにした。
そのくらいには近しい者として想ってくれていると、半ば自分に言い聞かせるようにして口を開いた。
「なぁ…なんでお前は日輪を信仰してんだ?」
「…別に、信仰しているというほどのものでは…」
「じゃあ何だよ?」
あれだけ執着していて、信仰していないとは俄かに信じられない。
「…兄は生まれた時から人の上に立つ者だった」
お前もそうであろう?
その問い掛けに、元親は頷くしかなかった。
「だが、我は違う」
父と兄とその子の死によって、中国を統べる者になった。
「そういう人間は、時に傲慢になる」
今まで見上げていた者が、急に見下ろす側になる。
もっとも元就の慎重な性格では、そのようなことは無かったのだが。
「だから、日輪を己の上に位置づけることで、己を律するのだ」
「でもよぉ…日輪じゃなくても、普通の神とか仏とかでもいいんじゃね?」
「…かもしれぬ。しかし、農民の頼りとするものは?」
「成る程」
戦にはどうしても農民の力が必要で、彼らの生活の基盤には天気が関わっている。
彼らを纏め上げるにも、太陽は都合がよくかつ目に見えるものだという安心感のようなものもある。
「分かり易い方がいいもんなぁ…」
しみじみと呟く元親が、自分の言葉から的確に意図を読み取ったことを知り、知らず元就の頬が緩んでいた。
「それに人智の及ばぬことであれば、諦めもつくだろう?」
「かもな」
珍しく何の含みもない純粋な笑みに見とれ、その返事は虚ろになる。
「我が死ぬ時は、日輪の業によるかもしれぬ」
どこか自嘲混じりの笑みは、それでも美しいと元親に思わせた。
数週間後、水攻めという方法で、彼の城が落ちたことを知らされた。
総大将の生存は、ありえない。
「はぁ!?城を水に沈めるなんざ…狂ってんじゃねぇのか!?」
『どうして自分を頼ってくれなかったのか』という理不尽な怒りと共に吐き捨てる。
そして何より、実は同盟を結んでいなかった為、いざとなっても兵を動かせなかったであろう自分に腹が立った。
結果として、どうせ助けられなかったのだから、頼られない方が良かったのかもしれない。
もしかしたらそれが、元就の最後の優しさだったのだろうか。
「そ、それが…ここ数日の雨によって川が増水し、容易に沈んだ模様です」
“雨”という単語に、ゾッとした。
(ああ…彼を…見捨てたのか…)
「日輪よ…」
「は…?」
急に呟かれた言葉は、普段の元親が口に出すような単語ではなかった為、家臣が訝しげな表情を浮かべる。
「…いや…なんでもねぇ…」
手を軽く振って誤魔化すと、それ以上家臣は追及してこなかった。
それどころか、どこか晴れ晴れとした表情で口を開く。
「それにしても安堵致しましたな、殿」
「…は?」
「これで毛利の脅威は払われましたぞ!!」
嬉しそうな家臣達に曖昧な笑みを返す。
(違ぇよ…)
他国に攻め入る気のなかった毛利のお陰で、四国も東からの脅威に晒されずに済んでいたのだ。
大国である中国に攻め入ろうなどと、大抵の者は思いもしない。
言い方は悪いが、四国にとって中国は盾のようなものだった。
やはり島で生まれ育った者が多いだけに、瀬戸内海を越えた情勢にやや疎い者が多いようだ。
頻繁に元就と文のやり取りをしていた元親でさえ、上方の隆盛が僅かに分かる程度。
(…狭い…な…)
家臣や自分の視野か、それともこの日の本のことかは本人にしか分からない。
しかし今、そのことを言えば、必ず士気は落ちてしまうだろう。
一国の主として、そのくらいは弁えている。
どこか浮かれた雰囲気の家臣達に苦笑を見せ、一言も口にしないまま、元親は立ち上がった。
海の向こうから攻め入ってくるであろう者達に、素直に従い家を存続させるか…
想い人を討たれた無念を晴らす為、積み重ねてきたもの全てを投げ打ってでも戦い散るか…
(答えなんざ…とうに出てんだよ…)
彼だとしたら、どうするのかは、見当もつかないが。
(よほどてめぇは日輪に気に入られていたんだな)
祈らなかったはずがないのだ。
彼が日輪に、雨を止ませるように、祈らなかったはずはない。
それでも豪雨を与えたのは、徐々に元親に傾いていく元就の気持ちに気付いていたからなのか。
人の持ち得る“嫉妬”という感情を、天も持ち得ると感じるのは尋常ではないのかもしれない。
しかし、それでも…祈りは届かず…
彼の、破滅の日、日輪はひっそりと隠れていた。
そうそれは、例えるならまさに天罰。
(でも仕方ねぇだろ?だってあいつは…俺のモンだぜ?)
自惚れではないと思うことが、既に自惚れている証拠なのだろうか。
(俺が…仇をとらねぇとなぁ…?)
中国に攻め入った軍勢への報復、ではなく…
(日輪への復讐…)
昏く昏く、底なしの闇のような瞳を細めて…
鬼が、哂う。
(それが、せめてもの手向けなんだよ…元就…)
彼の、破滅の日、日輪は高々と哂っていた。
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