その日は、僅かに雨が降っていた。



「我が死んだら…子供達のことを頼んでも良いか?」

「はぁ?何を縁起でもねぇこと…」

「どうだ?頼まれてくれぬか?」

「…まぁ…そこまで言うならなぁ…」

「……忘れるなよ?」

「ん?あ、ああ…」



その日も、僅かに雨が降っていた。







いつか、道がすれ違っていった。

中国と四国の戦いは日に日に激しさを増していく。

とはいっても戦を仕掛けたはずの中国が、終始押されっぱなしで、気付けば戦場は中国に移っていた。

地の利は向こうにあるはずだが、それに臆することもなく元親の兵士達はなだれ込んでいく。

それも当然なのだろう。

中国総大将の毛利の子供達は、全て元親に組し、それに伴い家臣達も四国勢に加わっている。

兵力の差は歴然としていて、誰の目にも無謀としか映らず、何の為に戦を仕掛けてきたのか見当もつかない。

それでも、寡兵でここまで粘れるのは、智将が健在だという証。

だからだろう、元親は侵略の手を緩めることなく、真剣に敵方の総大将と向き合っていた。







実際に合戦に参加はしていないものの、元就の三人の息子達は、戦場に来ていた。

彼らは迷っていた。

父に「長曾我部につけ」と言われた時、中国と四国が同盟を結んだとばかり思っていた。

だが蓋を開けてみれば、父と対立する構図が出来上がってしまい、幼い彼らの衝撃はただならない。

しかも、父の元に残っているのは祖父の代から仕えてきたという老兵ばかりらしい。

智略の尽くせぬ状況の今、兵力の乏しすぎる中国に勝ち目はない。





子供達でさえ、容易く結末が予測できた。

彼が、それに気付けぬはずはない。







そして、その当然の結末は、思ったよりも早くやってきた。



味方の総大将によって、父がぬかるんだ地に伏した瞬間、元春は飛び出していた。

「父上!!」

「…兄上…っっ!?」

それを止めようと隆景も飛び出す。

長曾我部に味方するとなった以上、今現在いくら実の父でも敵であることに変わりない。

もしかしたら、元就を切り伏せた勢いで兄も斬られるのではと、血相を変えて追いかける。

その二人に遅れた形となった隆元だが、本当は今すぐにでも父の側に駆け寄りたいのだろう。

しかし、三人の中で一番年嵩の少年は、分かっているのだ。

弟達の行動は、相応しくない、と。

それでもついていかない感情から、小さな掌を白くなるほどに握り締め、唇を噛み締めその光景を睨みすえている。

しかし背に感じた温もりを不審に思い、見上げた隆元の目に福留が写った。

沈痛な面持ちの彼は、そっと隆元の背を押している。

それに気付いた瞬間、泣きそうな顔で隆元も走り出した。





己の着物が汚れるのも構わず、膝をついた元春は父に泣き縋る。

「父上っ!!」

溢れる鮮血に小さな掌が染まっていくのを、どこか遠い出来事のように元就は見つめていた。

「…元、春…」

それでもその泣いている童が誰であるかは、分かる。

「隆景…隆元…」

そして、その後ろで呆然と立っている二人も、分かる。

愛しい、妻との、子供達なのだから。

「父上!!やはり私は納得できません!!今ここで仇を…っ!!」

「馬鹿者…」

黙ったまま立ち尽くしている元親を睨みつける次男を、いつもの調子で元就は窘める。

「言うたであろう…これからは…長曾我部殿を頼れ…と…」

「しかし…それでは…毛利は…中国は…どうなります…?」

青ざめた顔の割に、冷静な声の隆元が問い掛ける。

「なくなるであろうな…」

あれだけ中国と毛利に執着していた父らしからぬ言葉に、子供達は声を失う。

それだけでなく、今まで表情をぴくりとも動かさなかった元親も、瞠目していた。

「…しかしな…我も歳をとったか…考え方が変わってきた…」

苦笑する顔は、未だ30にも達しておらず、明らかに若い。

だが確かにその表情は、老成した者にしか浮かべられないものだった。

「お前達は、いつか出会うであろう“大切な者”を守れば良い…」

我には、どう足掻いても、出来なかったことを、成せばいい。

それこそ子供達は叫びそうなほど、驚いた。

利己的で感情論を表に出さないと思っていた父が、まさかこのようなことを言い出すとは。

その驚きの視線に、またもや苦笑いをしつつ、苦しくなってきた息のもと続ける。

「中国も、毛利も…お前達には、押し付けぬ…」

ようやっと上がった手で、まだ小さな子供達の頭を撫でてやる。



「全て、我が、連れて、逝く…」



そう言って微笑んだ顔は、あまりにも満足気で、子供達は息を詰めることしか出来なかった。

「…なぁ…元就…」

不意にやけに高い位置から声が降ってきた。

人前では終始一貫して『毛利殿』と呼び続けてきた元親の呼びかけに、子供たちの方が先に反応した。

「何、だ………元親…」

やや遅れて問い掛ける元就も、人前では長いと不満を持ちつつも『長曾我部殿』と呼んでいた。

だが、もう何も取り繕う必要がなくなったと判断したのだろう。

「悪ぃんだけど…なんつーかよぉ…その…俺の想いも…」



連れて逝ってくれねぇか…?



酷く苦しそうに告げられた頼みに、元就は微笑んだ。

「たまに、は…お前の、我侭を…きいてやる、のも…良いな…」

それは心底、嬉しそうな笑みだった。

「連れて…逝こう…」

「ありがとう」

恐らく笑おうとしたのだろう。

しかし上手く笑えず、片方の頬が引き攣っただけであった。

それすらも愛しいと思った元就は、渾身の想いを込めて

「戦なき世を…創れ…」

そう、囁いた。





力なく開かれたままの目は、微笑んでいるようにも見えた。







命の消える音に、鬼の咆哮が重なった。







まるで、その音を、取り戻そうとするかのように。







鬼の想いは、共に逝けなかったのかもしれない。