男も羨む程の体躯を持ちながら、どこか優雅な所作をする客人に、彼が『姫若子』と呼ばれていた所以を垣間見た。

「お初にお目にかかる。長曾我部元親にございます」

「毛利元就」

畏まった嗄れ声に対する簡潔な応えにも、人好きのしそうな笑みで返す。

(この男は、ただの阿呆なのか…?)

全く表情を動かさず元就がそんなことを思っていることなど、長曾我部の当主は、露とも思っていないのであろう。

手始めに四国を知ってもらおうと、他愛のないことを童の如くいきいきと話している。

青年の背後に控えている、当主とは正反対の色黒の男達も、誇らしげに胸を張ってその声に頷いたりしている。

彼らはよほど自国とその当主に愛着を持っているのだろう。

(悪くはないのだが…な…)

一瞬だけ素の感情がよぎるが、直ぐにそれを掻き消す。

同盟の申し込みがきた以上、無下にもできないので、元就は家臣に向けるような作り物の笑みで対応していた。





暫く見掛け上は穏やかに時間が過ぎていったが、急にそわそわし出したかと思うと

「こうしてかの高名な毛利公と話す機会など、そうそうありませんね」

などと興奮覚めやらない様子の青年に、つられるように元就は頷いた。

「実は某…折り入った話もしたいのですが…」

眉根を寄せてこちらを伺ってくる様子に、仕方なく

「それもご尤も…お前達は下がっておれ」

そう言い放った元就に家臣達がたじろぐが、彼は至って涼しい顔だ。

しかし、毛利家当主の言葉は絶対で、彼らは渋々立ち上がり礼をして去っていく。

なかには不信感からか、長曾我部の当主に鋭い一瞥をくれる者もいた。

だが、気付いていないのか当の本人は見向きもせず、元就を見ているだけだ。

「申し訳ありませぬ」

眼帯のせいで表情が隠れがちだが、それを差し引いても分かるほど済まなそうに告げる青年に

「…構わぬ」

安心させるために計算し尽した微かな笑みを向けてやれば、青年も胸をなで下ろしたようだ。

そして、その後すぐ元就は青年の言葉に耳を疑った。

「お前達も下がれ」

まだ正式に同盟を結んだわけではなく、これからのやり取り次第では、斬り捨てられるかもしれない。

どこか愚直に見えた家臣達も、それが分からないわけもなくざわめき出した。

ここは元就の居城であり、密かに忍を置いている元就が明らかに有利なのだ。

それなのに一人の供も付けず全て下がらせようとするのは、余程この麗人を気に入ったのか、ただの阿呆か。

(…余程の阿呆か)

元就はそう判断し、この男は扱い易そうだと内心ほくそ笑んだ。





人気が完全になくなった途端、それまで背筋を伸ばしていた男が何の断りもなく足を崩した。

微かに眉を顰めた元就に気付くと、ニヤリと笑ってその薄い唇を開く。

「腹ぁわって話そうぜ?毛利殿」

急に聞こえた声に、元就は思わず目の前の男を凝視した。

話し方もだが、それよりも穏やかな色を見せていた隻眼が、獲物を前にした猛獣のような瞳に豹変していたことに驚く。

(……こちらが本性か…)

もっとも元就はそのようなことをおくびにも出さなかったが。

「…貴公と腹を割って話すようなことなど…ないはずだが?」

「まあそう言うなって。それよりどうだ?この同盟…悪かぁねぇだろ?」

「…かもしれぬな」

孤立してまで中国を守ろうとするつもりはないし、それが不可能な流れになってきていることも気付いている。

手始めに島津とでも同盟を組もうと考えたところに、この男からの申し出があった。

自分から申し込むと不利になりかねず、出来れば避けたいとも思っていた時で“とりあえず会ってみた”というのが元就の本音だ。

下らない国の愚かな当主であれば、元就は躊躇いもなく突き放しただろう。

「同盟成立か?」

こんなに強引な同盟締結があるだろうか。

だが、幼い時分に捨てたと思っていた好奇心が元就を突き動かしたらしい。

「条件は?」

「送った文通り、相互不可侵と支援要請時の迅速な援軍派遣または物質的後援」

普通すぎて面白くねぇな、と嘯く男の苦笑は、どこか子供じみていた。

「左袒するとは限らぬが?」

反応を見るつもりでそう元就が訊ねれば、少し驚いた表情を浮かべたが、男はすぐに笑った。

先程までの大らかな海を思わせる笑みではなく、ゾッとするほどの艶すら纏った笑み。

「ま、そん時ゃそん時だ」

その空恐ろしいほど綺麗な笑みに、元就は血の気の引く思いをした。

(嘘だ…)

恐らく四国が滅亡する時には、智略の限りを尽くして中国を巻き込む気だろう。

鬼国の頭領は、土佐人の苛烈さを上手く操る戦術だけでなく、強かな情報戦をも得意とする。

噂でしかないと思っていたが、今それが真実として元就の目の前にあった。

「そうか…ならば、結んでやらぬこともない」

わざと高圧的に出たのは、笑み如きに怯んだと思われたくないからだ。

「そうか!ありがてぇ!!」

そんなことに頓着せず、本当に嬉しそうに笑う顔には、先程の物騒な気配は微塵もない。

(油断ならぬ)

第一印象を短時間でここまで変えてしまう人間も珍しいだろう。

徐々に元就が警戒し始めたのを感じ取ったのか、先手を打つように元親が口を開いた。

「お互いまだ信用しきってねぇんだ…信用させてこその同盟じゃねぇのか?」

「……いかにも」

「まだ俺ぁいてもいいんだろ?酒でも飲みながら…」

「酒は飲まぬ」

元親が全てを言い終わらないうちに放たれたどこか鋭さを纏った声に、隻眼が見開かれる。

「嫌いなのか?」

ただの問い掛けは、だがすぐに探るような視線へと変わり

「何故だ?」

嘘もはぐらかすことも許さないほどの強い瞳に、微かに元就は息を呑む。

信用させるためには本当のことを話さねばならないと、嫌々ながら元就は理由を口にした。

「…父と兄は酒に殺された」

「そう…か…」

それだけで分かったのか、それ以上は追及しない。

そしてその時よぎった表情は、鬼と呼ばれる者にしては優しすぎた。

「じゃあ茶か?」

「用意させよう」

「俺甘いもん好きだから」

「…用意させよう」

図々しい男だが、それを嫌味に感じさせない。

(得な男よ…)

柄にもなく元就にそんなことを思わせるほどに。





演技中にほとんど喋り尽くしてしまった元親と、端からあまり話す気のない元就では話が弾むはずもない。

話のネタがないままの、茶を手にした奇妙な睨み合いに終止符を打ったのは、意外にも元就だった。

「貴公のそれは…どういった理由なのだ?」

元就の指し示したのは、精悍な元親の顔を覆い隠す紫色の布。

「ああこれか…」

元親にとってそれはもう顔の一部になっているのか、まるで今気付いたかのような反応だった。

「…なんつーか…かっこいいだろ?」

「偽りを申して、ただですむとでも…?」

例え初対面といえども、相手の嘘を見抜くことなど、元就にとって造作もないことだった。

案の定、元親はバツの悪そうな表情を浮かべると、渋々といった体で口を開く。

「色が違うんだよ」

「…色?」

「もともとこっちの目も、珍しい色なんだけどよぉ…」

元親が“こっちの目”と呼んだ布に覆われていない目は、よく見ると海のような深い蒼をしていた。

あまりにも真剣に見詰めてくる鳶色に苦笑しつつ

「……実際に見た方が早ぇな…」

そう呟き、元就ににじり寄る。

急に近付いた端正な顔に思わず後退ろうとした元就の、細いがそれなりに筋肉を纏った腕を掴み

「鬼の目を見てみたいか?」

射抜くような視線で念押しのように尋ねれば、何のためらいもなく頷いた。

「じゃあ仕方ねぇなぁ…」

そう呟いて浮かべた苦笑いは、どこか悲しげでもあった。

「後悔しても、知らねぇぜ?」

挑発的に告げて、焦らすように外した布の下にあったのは、まさに血の色だった。

普段から外さないであろう布は、額から瞼の上を走り頬骨に至る大きな傷跡よりも、その色を隠すものだったのだとはっきり分かる。

今度は逆に元就がにじり寄り、元親が後退った。

「な、なんだぁ…?」

困惑気味の元親などどうでもいいと言わんばかりに、曝された紅を元就は覗き込んだ。

虹彩は肌の下を通る血の色と同じで、瞳孔は透き通って白っぽく見える。

普段晒されている右目の蒼と黒とは正反対だ。

「日輪のようだ…」

思わずといったように呟かれた言葉に元親が訝しげな表情を見せる。

「…我は日輪を信仰しておる」

それに気付いたらしく、素直に理由を説明してやると、遠慮なく更に近付いていく。

だがいくら素直に説明されても、納得出来るとは限らない。

畏怖の対象にこそなってきたが、憧れを含む目で見詰められるという初めてのことに、やや元親の頬に朱が差す。

「…貴公との同盟、思わぬ収獲であった」

どこかうっとりと呟かれた言葉に元親は瞠目し、照れくさそうに微笑んだ。

「こっちこそ、思い描いていたのとは違う智将の一面が見れて良かった」

「そうか?」

やや目を見開く様子は、どこか彼を幼く見せる。

「かわいいな…あんた」

「なっ…!?」

思いもかけない言葉に、羞恥心やら計算していなかったやらで、その白い面には朱が走っている。

「ほら…そういう顔」

先程までの何かを押し隠したような表情ではなく、人間らしく変わる表情を元親はお気に召したらしい。

「…そんなにおかしな顔か…?」

「そうじゃねぇよ。さっきまでの…人を見下した顔なんかより、ずっといい」

「気付いておったか…」

てっきり元就の腹の内など考えもしていないと侮っていたが、実はしっかり様子を窺っていたようだ。

「そういう性格なもんでね」

冗談めかして肩を竦める元親の表情は自嘲を多分に含んでいた。

「我もだ」

気付けば元就も無表情で呟いていた。

人の上に立つ者は、自然と周囲を窺う癖がつくようだ。

奇妙な連帯感に、二人とも穏やかな表情を浮かべていた。

「ま、これからよろしくな」

「…ああ」

ここまで気を許すつもりではなかった元就だが、それも悪くないと思い始めていた。