普段なら不埒な振る舞いに及ぼうとする男が、縋り付くように元就の背後から抱き付いている。
しかもずっとその状態なのだから、元就でなくとも不審に思うはずだ。
「…どうした?」
「なんでもねぇ…」
自分で思っていたよりも弱々しい声が出たのだろう。
元親はそれを誤魔化すように、回した腕に更に力を込めた。
「…そうか」
そう呟いたきりその不自然さを追及もせず、元就は元親の好きなようにさせていた。
意外と元就は元親に対して甘い。
元就の方が我侭な振る舞いに出ることが多かったが、何も言わない元親の求めるものを彼はよく知っていた。
土佐が凶作の時には、さり気なく米を送ってやったり。
風邪で弱っていた元親を、偶然訪れたふりをして見舞ったり。
元親が元就を衆道の対象として見始めた時には、己が身体すら差し出したり。
彼が無意識のうちに求めているものを、元就は嗅ぎ分ける力があったのかもしれない。
それは、愛に近い感情だったと言えるのだろう。
その代償とでも言うべきか、元就の棘のある言葉も自分勝手な行動も、元親は寛容すぎるほどに許容していた。
お互いがお互いに、依存していたのかもしれない。
問題は以前からあった。
毛利と同盟を結んだ元親は、すぐに親戚筋に当たる明智を通じて、織田と好を持った。
思えばそれは、罠だったのかもしれない。
しかし、気付いた時には既に遅く、元親は引き返せないところまで来ていた。
天下を呑み込むほどの強大な力を持った織田。
いつの間にか、その臣下のような扱いを受けていた長曾我部。
逆らえば破滅しか待っていないことを、誰もが気付いた。
世の情勢に疎いと思っていた家臣達も、織田に従うことを善しとした。
そして、織田から言い渡された“命令”は、長曾我部にとって厳しいもので、元親にとっては全てを失うに等しいもの。
毛利の、殲滅。
織田は知っていたのだ。
中国と四国が同盟を結んでいたことを。
そして、その同盟が上手く機能していることを。
兵力で劣る四国に残された方法は、奇襲しかないことを。
毛利と共に滅ぶか、裏切ってでも生き残るか。
絶望的な二択だった。
家臣達は家を残すことを最優先とした。
もちろん、長曾我部の当主も同じ意見だ。
例え、此度の戦果を織田が認めなかったとしても、自分達の武勇は見せ付けられる。
相手が誰であれ引けをとらないほどの自信を、元親も家臣達も持っていた。
しかし、己が立場を超えた感情が、元親の判断を鈍らせた。
その躊躇いのうちに、幾度か元就と会う機会があった。
自国の情勢を差し障りのない程度には教えあい、他愛のない会話を楽しんだ。
そしてある日、どうしても耐えられなくなった元親は、恋に近い想いを告げた。
その想いを元就は躊躇いながらも受け入れた。
その度に織田の“下知”が頭をよぎり、それも何度も告げようとした。
強く心にあったのは「共に、戦いたい」という思い。
けれど結局、彼が選んだのは…
戦場に翻る幟の家紋は、長曾我部と毛利のものだけだった。
そこには一本も織田の家紋は存在しない。
数多くの命を踏み躙り、その赤を当然の如く纏った鬼は、漸く目的の人物を探し当てる。
恐らくその人物も、遮る者を凪ぎ払いながら元親を探していたようで、同じような赤に染まっていた。
目が合った瞬間、周りの音さえ二人の間に意味をなさなくなる。
散った花びらを踏まないように歩く慎重さに似た足取りで、元就は元親に向かって歩き出した。
それをどこか呆然と見遣りながら、元就が避けて歩いているのは人だったものだと気付く。
あの柔らかなものを踏み潰す感覚は、鬼である元親も好むものではない。
こんなことに共通点を見出した元親は、早く元就の顔を間近で見たい思いに駆られて足を踏み出した。
手を伸ばせば届くほど近付いても、二人に殺気や狂気は見られない。
誰も見ていないが、見ている者がいたら、この異常さだけで狂えるかもしれない。
「貴様の嘘…なかなかのものであった」
淡々と告げられる言葉に、元親は息を呑んで漸く声を絞り出した。
「気付いていたのか…」
「当たり前だ。我を誰だと思っておる?」
ある程度、予測はしていた。
裏切って奇襲をかけたはずなのに、相手の準備が良すぎる。
いかに大国といえども、普段から軍備を強化しているわけではないはずだ。
だから、あまり考えたくなかったが、分かってしまった。
「いつから…?」
「貴様が我を抱いた日から」
躊躇わずに答える元就には、その行為も裏切りも咎める色はない。
そのことが逆に元親を不安にさせた。
謝りたかった。
謝ってすっきりしたかった。
「なぁ…元就…」
それを制するように元就は、この場に相応しくないほど柔らかい笑みで
「謝るなら…赦さぬぞ?」
迷いを断ち切るように、言い放った。
それは最後の最後で元親に見せた厳しさで…
「…ああ…分かった…」
そして元親もそれを甘受した。
意外と元親は、元就に対して甘い。
そして、逆も然り。
いつも甘えていたことに、漸く彼らは気付いたようだ。
最後に戦場に立っていた男は、泣いていた。
恋を、恋しがって。
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