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消えない光景がある。

もしかしたら姫と呼ばれていた時分に見た夢なのかもしれない。

それはあまりにも幻想的過ぎて…



父だったのだろうか。

厳しく窘めてくれるその人は。

母だったのだろうか。

誰よりも美しいその人は。



不器用な人。

全てなげうってでも、欲しいと思った人。

愛し、愛してくれた人。

絶対に、失いたくないと思った人。

…愛しい、人。







「よぉ…てめぇが毛利元就か」

元就は驚いたように目を見開くが、すぐに微かに寂しげに微笑んだ。

人を斬っている時でさえ能面のように動かなかった表情が、人間らしく動いたことに元親は訝しげな顔をした。

詭計智将やら冷酷無比やら、彼を伝え知る言葉からは、到底考えられないほどの表情。

その動きに、何故か元親の深い部分が鷲掴みにされたような、不快とも快ともとれない奇妙な感覚がよぎった。

「あんた…」

「さて、下らぬ話はここまでよ。これ以上声を聞いてしまえば…」

「おいっ…」

「“覚悟”が揺らぐ」

何に対する覚悟かは言わないまま、元親を制するように艶然と微笑み

「そうであろう?長曾我部」

言い馴れない様子で、その長い名を呼んだ。





数度刃を交わしていくうちに、徐々に元就が不利になっていく。

遂に勢いのついた碇槍が元就の細い体を易々と吹き飛ばしたが、元親の武器では余程のことがない限り即死することはない。

ただ僅かな時間、残りの生と向き合ってから、死に至る。

目立った外傷はないが、苦しげな呼吸を繰り返す元就が、もう立ち上がることはないと判断した元親は近付いていく。

そして、再び彼が見せた不可解な行動を問い質す。

「…毛利…お前…何で避けなかった?」

元親には元就は避けられたようにしか見えなかった。

あと少し飛び退けば、元親の槍先をかわすことだってできたはずだ。

それなのに元就は、後ろに飛ぼうとする体を、あえてその場に留めた。

「…想い…故…」

「想い…だと?」

「いつ、だって…お前、には、負ける」

理解できない言葉に眉を顰めている元親を見上げ、またあの寂しげな笑みを浮かべた元就は、苦しい呼吸の下でどうにか言葉を紡ぐ。

「…我、は…お前を…好いて、おる…のだと、思う…」

「は!?」

思いもかけない言葉に、元親の思考が止まった。

だが、元就は時間が無いのを知っているかのように、元親の反応などお構いなしに続ける。

「…だが、我…は、お前と、敵対する…こと、は…受け入れ、られ…た…」

一際大きな咳をしたかと思うと、その口から純粋な赤が溢れる。

無意識のうちに膝をついて顔を寄せた元親が、元就の口元を拭おうと伸ばした手を制するように笑みを向けて

「かわ、いそう…に……お前、は…受け入れられなかった、のだな………元親…」

名を呼ばれた元親の脳裏に、あの光景が蘇った。





幻想的だった。

小さな子供が泣いていた。

元就によく似た、けれどとても感情の起伏の激しい子供。

離れたくないと、一緒に居たいと、この手を握って離さない。

悲しくなって、自分も泣いた。

一頻り泣いて目を開くと、普段は隠している左目での景色も入る。

そこには困ったような表情で見上げてくる、元就がいた。

表情が凍りついたように動かなくなってしまった彼の、精一杯の強い感情。

離れたくないと、一緒に居たいと、その手を握って放さない。

困ったように笑いながらも、彼は強い瞳でそっと離れていった。

大きな大人が泣いていた。

幻想的だった。



けれど…現だった。





目の前の死にかけの男が、急にリアルな感覚をもって元親の真実となる。

そして彼が息を止めてしまうということが、未だかつてないほどの恐怖をもたらした。

もう、二度と会えなくなると、理解できるから。

「…もと、なり……?」

呼ばれた名に驚いたようだが、すぐに嬉しそうな表情を見せる。

血の温もりで、凍りついた表情が溶けたのだと、埒もないことを思った。

「元親」

お互いに馴染んだ名を呼んだ元就は

「もう…思い、出すな…」

気遣わしげにそう告げて、動かなくなった。





投げ出された手をとることも出来ずに、呆然とした元親は思い出していた。



相食まねばならない辛さから逃れるために、忘れたのだ。

正気を保っていては戦えないから。

何と残酷なことをしたのだろう。

睦みあった穏やかな日々でさえ、忘れたのだ。

それはとても愛しい時間だったのに。

何と残酷なことを。

そしてそんな元親を責めることなく、元就は赦したのだ。

また、忘れてしまえと。

何と残酷な。

こんなにも、愛しいのに。

こんなにも、恋しいのに。



こんなにも、覚えていたいのに。







「「アニキー!!」」

遠くから聞こえる声に、現実に引き戻された元親は顔を上げる。

近付いてくる手下達が、倒れている元就に気付き悲しそうに顔を歪めた。

「アニキ…」

「海に流してやりますか…?」

実は長曾我部の手下達は、元親の想いを知っていたのだ。

あまり隠し事の上手くない元親が、しきりに元就を褒めていたせいだろう。

だが、当の本人は逆に不思議そうに

「は?こいつぁ敵の総大将だろうが?普通に首実検するぞ」

「え?」

「どうした?いつもやってることだろ?」

「え…でもアニキ…」

「何だ?こいつが別嬪なんで首取るのが勿体無いってか?」

じゃあ首化粧は俺自らやってやるよ。

快活なまでに軽口を叩いた元親は

「何なんだろうなこいつ…こんなに穏やかな死に顔っつーのも滅多に無いぜ?」

心底、不思議そうに元就の顔を覗き込む。

「じゃあ、後は頼むな」

いつもの調子で悠々と立ち去る元親の背を見送ってから、二人はどちらともなく元就の抜け殻に手を合わせる。



元親の迷いに気付いていながら、ここまで来てしまったことに。

元就を忘れざるを得ない状況を、再び作り上げてしまったことに。

自責の念を抱きながら。