昔の話。

忘れてしまっても不思議ではないくらい、昔の話。

それでも忘れないのは、その声が、その表情が、その瞳が…

自分の弱さを貫いたから。

自分の狡さを見抜いたから。



そして…なにより…包み込んだから。







練習で…というよりも、上級生に押し付けられた雑用でくたくたになっていた牛尾は、部室のドアを開ける。

そして室内をざっと見回して、ここ最近仲良くなった友人を探していた。

「あれ?蛇神君は?」

あれだけ目立つ人物だ、絶対に誰かに目撃されているだろう。

自分のことを棚に上げて、そう思って側にいた同級生に尋ねると

「蛇神…?いや?見てねぇけど…」

着替えの手を止めないままながら、グランドから部室までの道程を思い出してくれているようだ。

「あ、俺見たぞ?」

横から話に入ってきた同級生に体ごと振り返ると、彼は周りに上級生がいないかを確認して

「…ついさっき…先輩に何か言われてたぜ…?」

それでも何かを恐れているかのように小声で告げる。

「先輩に…?」

あまり碌なことを言わない上級生に呼ばれたとなると、今頃何か無理難題でも押し付けられているのでは…

不安そうな表情になった牛尾に、同級生は苦笑して

「誰か蛇神がどこに行ったか知らないか?」

他のメンバーに声を掛けてくれた。

幸い、ここに残っているのは雑用を押し付けられた一年生ばかりだ。

皮肉なことに理不尽な上級生のお陰で、同学年の繋がりはかなり強くなった。

「蛇神なら…見たぜ?」

少し離れたロッカーから顔だけを覗かせて、着替え中らしいその少年は答える。

「確か…倉庫の方へ行っていたようだが…」

その先に待っている雑用に思い至ったのか、そう告げる表情は浮かない。

「そっか。ありがとう」

貴重な情報をくれた、いつもは眼鏡をかけている同級生に、牛尾は笑みを浮かべて礼を言った。







牛尾は一応、着替えを済ませ、部室の鍵を預かってから教えてもらった通り倉庫へ向かった。

そこには案の定と言うべきか、薄暗い倉庫の明かりのもとで、黙々とボールを磨く蛇神がいた。

「…蛇神君?」

「…牛尾か…」

振り返りもせずに蛇神は手を動かしている。

それは振り返らなくても、誰だか分かったからか…

それとも振り返るほどの余裕もないのか…

どちらにせよ、牛尾には判断できなかった。

「…手伝うよ」

鞄と部室の鍵を地べたに置き、少し躊躇ったが制服が汚れるのも構わず、蛇神同様に胡坐をかいて座る。

「いや…これは先輩から我が仰せつかったもの也」

生真面目に答える彼の前には、練習に使ったボール──それもほぼ上級生しか使っていない──が山積みになっていた。

上級生は相当、無茶な注文をしたようで、これを一人で磨かせるつもりだったようだ。

同級生だけでなく、上級生よりも突出した実力を持つだけに、彼らへの上級生の態度はどこか陰湿だ。

「…何言ってるんだい…?これ全部が今日中に終わると思っているかい?」

「…む」

流石に蛇神自身もこの茶色く見えるボールの山が、今日中に少しでももとの白さに戻せるとは思っていない。

「ほら…そこの布とって」

悩みこんでしまった蛇神を他所に、牛尾は手を出す。

暫くその手を凝視(?)していたらしい蛇神は、静かに布を牛尾の手に渡した。

「…何でも一人で抱え込まないでよ」

受け取りながら、呆れたように言う牛尾に

「…すまぬ」

作業の手を止めて真剣に蛇神は謝る。

あまりにも深刻な声で謝られてしまい、文句を言う気も失せた牛尾は苦笑いで

「…もういいよ。今度からは僕にも言ってね?」

「…うむ。善処しよう」

そう答えて苦笑いを浮かべた蛇神は、再び手元に集中する。

「ちょっとだけでもいいんだ…僕を…」

そこまで言って、牛尾は蛇神が顔を上げるのを待って

「頼ってくれないか?」

どこか切羽詰ったように、呟いた。

「…承知した」

蛇神は牛尾に少し困ったように微笑みかけながら、頷いた。











TOP   NEXT