気が付けばあっという間に2年生になっていた。
先輩からも後輩からも、普段の真面目な練習態度を認められ、主将には牛尾が選ばれた。
それに付随するように牛尾同様、勤勉な様子を見込まれ、副主将には蛇神が選ばれた。
それは、甲子園の終わった夏も去りゆく頃のことだった。
「───────か?」
声が聞こえた気がした牛尾は、自分以外の部室にいる人間に視線を向ける。
「蛇神君?」
「…いや…お主はどうも…自分一人で背負い込むようで…」
「君には言われたくないなぁ…」
ここ最近、どこかよそよそしい蛇神に、思い切って牛尾は尋ねてみた。
「僕のこと…信用できない?」
「否。我はお主ほど信頼に値する男を知らぬ」
決して嘘はつかないと信じている蛇神にそう言われ
「…ありがとう。すごく…嬉しい…」
本当に嬉しそうに、頬を染めて牛尾は微笑んだ。
だからそれ以上、蛇神は何も言えなくなった。
本来、以前の主将から次の主将である牛尾に、練習内容などの引継ぎが行われるはずだった。
「はぁ?引継ぎ?」
「はい。学校側に報告すべきこととか…」
「あ〜悪ぃ…俺、今忙しい時期なんだわ。顧問にでも聞いてくれる?」
「え…?あ、はい」
就職活動や進学などで忙しいのだろうと、素直に牛尾は顧問のもとへ向かった。
だが、主将と同じように眉間に皺を寄せた顧問は
「引継ぎ…かぁ…」
そう呟いてやや遠くを見つめた後
「俺な…もうちょっとで野球部を辞めさせられるんだよ」
その表現からして、成績不振を理由に顧問を解雇されたのだろう。
「で、ちょっとばたばたしててな…」
野球にあまり熱心でなかった顧問とは言え、流石に気分のいいものではない。
口数の減った牛尾に苦笑しながら、どこか申し訳なさそうに口を開いた。
「自分らで勝手にやってくれよ」
「……分かりました」
最期の最後までいい加減な人達に、牛尾は苛立ちに似たものを感じていた。
「…だってさ」
先程の話を掻い摘んで告げた牛尾は、柄にも無く自嘲を浮かべていた。
それを見てしまった蛇神も、苦い表情を隠しきれない。
「かようなことは我らには分からぬこと」
珍しく焦ったような声の蛇神の声に、相槌を打ちながら牛尾は耳を傾けている。
「上級生が教えるべき…」
「うん…でもね…今は僕が…主将なんだ…」
その表情は凛としていたけれど、直ぐに壊れてしまいそうな危ういものだった。
「僕が……なんとかしないと…」
思いつめたような表情の牛尾に、これ以上何を言っても逆効果だと思った蛇神は溜息をつく。
「分かった也。お主がそこまで言うのなら…我はもう何も言えぬ…」
「…うん。ごめんね」
俯いた蛇神に少しの罪悪感を覚えた牛尾は、いつものような苦笑を浮かべ、逃げるように背を向けた。
「牛尾…いつか…いつかでいい…」
しかし、蛇神が再び口を開いたため、牛尾は少しだけ体をひねって振り返る。
「頼ってくれないか?」
──頼ってくれぬか?
いつもとは少し違う言葉遣いに、牛尾は軽く目を見開く。
そして、それがいつかの自分の放った言葉だと、思い当たった。
ほんの僅か後悔に似た感情が、牛尾の胸に飛来して…
「…承知した」
すぐに霧散した。
珍しく朝練がなかった日のHR前、クラスが違うはずの牛尾が、蛇神の教室にひょっこり顔を出した。
「おはよう」
「お早う」
「これを見てくれないかい?」
いそいそと牛尾が取り出したのは、2,3枚ほどのA4サイズの紙だった。
「僕の考えた練習メニューなんだけど…」
「ふむ…」
早速それに目を通した蛇神は、所々で動きが止まる。
ついには普段閉じられている目を見開いたりと、かなり動揺している様子が窺える。
「どうかな?」
「………いいと思う。だが…この…トンボ素振り(連続)300回というのは…」
「ああ、それ?いいアイディアだと思わないかい?本当は500回にしようとも思ったんだけど…」
「…かようなことはお主しかできぬと思うが…?」
ぶっちゃけ、普通の人間にはほぼ不可能であろう。
「だめ…かな?」
「む……少し……無理、が、ある…気が…する、也」
しょんぼりと項垂れてしまった牛尾に、元来言葉で繕うことの得意ではない蛇神はどうにか当たり障りのない言葉を選ぶ。
「はっきりと出来ないと言ってやればいいのだ」
「あ、鹿目君。おはよう」
蛇神の後ろから急に現れたピンク頭に、牛尾は笑顔であいさつをする。
「おはよう。そんなことより、蛇神も蛇神なのだ」
「何だ?」
「そんなこと人外の牛尾にしか出来ないことだと言えば…」
「黙れ、鹿目」
「なっ!!蛇神ごときが僕にそんな口をきいていいと思って…」
「牛尾。このメニュー少々変更が必要也」
「へ?あ、うん。そっか…そうだよね…」
「いっそのこと全部変えるべきなのだ…」
お前らの頭の中を…
鹿目の言葉は、真剣にメニュー作りを始めた二人には、届かなかったようだ。
暫く、あーでもないこーでもないと話し合っている二人を見ていた鹿目は、実は側にいた三象を引っ張って二人の机へ近付く。
「全く…お前らだけでは心配なのだ。僕も手伝ってやる」
「がああ」
それが素直ではない鹿目の優しさだと知っている牛尾と蛇神は、こっそり微笑んだ。
「おッはようッ!!」
「おはよう。何やってんだ?」
四人で一つの机を取り囲むようにして話し合っていたら、獅子川と一ノ宮がやってきた。
「あ、二人ともおはよう。今ね、これからの練習メニューを作ってるんだ」
「へッえぇ…自ッ分らで作れるのか…」
「あ、じゃあ入れて欲しいメニューがあるんだが…」
牛尾の言葉に少し驚いたようだが、意外と順応性が高いのか一ノ宮はすぐに練習について詳しく告げる。
自分なりに普段から考えていたのだろう、その内容は詳細で、投手らしいメニューだった。
「成る程。ならばそれも入れよう」
「ふん。お前のメニューと僕のメニューは、全然違うのだ」
蛇神が書き足していく練習方法をちらりと見た鹿目は、そう言ってクスクスと笑い始める。
あまりいい感じの笑い方ではないので、気が長い方ではない一ノ宮はすぐに挑発に乗ってしまった。
「なんだと!」
「ふふん。やるか?」
「が、がああぁ…」
「ならば、投手の種類によって、若干変えるとしよう」
そんな周りの状況が見えているのかいないのか、蛇神はこともなげに言い放った。
「そうだね。じゃあ各ポジションの方でも、ちょっとずつ個人で変えていこうよ」
更に全くもってマイペースな牛尾の声に、流石の二人も闘志を失う。
「おッれは、アウトローなやつを!!」
「……あうとろおなやつ…」
そう口に出しながら、蛇神が書き足していく平仮名に、少し不安になったか獅子川が訊ねる。
「…蛇神…おッれの言ったこと…分かってんのか?」
「…いや…」
そうバツが悪そうに俯く蛇神に、思わず皆で笑い合った。
そうだ…ある程度、土台はあるのだ。
そこから皆で創り上げていくのも悪くない。
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