踏みしめる大地は、炎に蹂躙されたままだ。

巻き添えを食ったのだろう、よく見ると人間だったものが横たわっている。







「あなたが羨ましい…」

一度も顔を見たこともない人間に話しかけるのは、不思議な感じがした。

あの日、利吉に渡された手紙を握り締め、数日前に全焼してしまった陣営の中を歩く。

もちろんと言うべきか、全焼させた犯人には何も告げずに。

最も飾りつけがされている場所へ近付いて行く。

きっとそこに、この城の城主がいたのだろう…と見当をつけて。

ただ、利吉の話によれば、その城主は無事に逃げ切ったらしい。

何とも言えない気分で、黒い塊に目を向けつつ、黙々と歩く。

ゆっくりと歩いたせいか、目的の場所までかなり時間を要した。



そして、そこには、あの殿の首が…





だが火力が強すぎたのか、誰かが持ち去ったのか…

殿の首らしきものはどこにもなかった。

首桶はあるのだが、肝心の頭がない。

別に首を持ち帰るのが目的ではない半助は、その場でもう一度手紙を開いた。

「あなたが…羨ましい…」

権力者としてではなく…

その容姿ではなく…

人間として、好かれていたのだから…







「誰だ…?」

後ろから急にかけられた子供の声に、慌てて振り返る。

こんな子供の気配にも気付けないほど、自分はぼんやりしていたのか。

「ここで、何をしておる…!?」

ぼろを纏ってはいるが、どうしても言動の端々に育ちのよさが窺える。

不審な人物を前に怯えているくせに、気丈にも睨み上げてきていた。

もしかすると…

「君は…首を探しに来たのかい?」

鎌をかけるような言い方をすれば、少年の表情がみるみる驚きに彩られていく。

「父を存じておるのか!?」

「…人づてにね」

この答え方は間違いではないだろう。

しばらく値踏みをするように、こちらを窺っていた子供は唐突に言葉を発した。

「…お主…我が力にならぬか?」

「は?」

「今はまだ童ゆえ…行動が起こせぬ。どうじゃ…そなた、わしの力にならぬか?」

子供の目は憎しみに満ちていたけれど…

「わしはいつか、父の仇をとる…」

子供ゆえに、澄みすぎていた。

「きっと…お父上は…そんなこと望んではいないよ?」

本当はそんなこと、自分に分かるはずもないけれど。

「何故だ!?」

「君は…君のお父上が、家臣や忍に…最後に何て命令したか…知っている?」

「……知らぬ。遊びに行って来いと言われ、母上と共に出かけている最中に…父は…」

悔しそうに唇を噛み締める。

ああ、この子は…守られたことに、まだ気付いていない。

「死ぬな。生きろ」

子供がきょとんとした表情で見上げる。

「そう…言ったそうだよ」

「……どういう…?」

「…自分の護衛を付けずに、家臣や忍…皆を逃がして一人で城に残っていたそうだ」

「───ッッ!何故!!」

「それは君のお父上にしか分からないよ…」

ただ…憶測ならできるよね…

そう付け足しのように呟くと、子供の肩から力が抜けた。







焼け跡の生々しく残る場所で、二人で腰を下ろして話した。

母と数人の侍女たちと、紅葉狩りに行っていた最中に、城が襲撃されたこと。

殿の半ば炭化しかけた首を持ち帰ったのは、この子供だということ。

生き残った者達も、殿の敵を討とうとしていること。

こっそりと建てた墓には、殿の好きな花が供えられていること。

母は出家をしようとしていること。







利吉の話によると、あの城の殿は半助とさほど年が離れていないように見えたそうだ。

だが歳若い父親なりに、子供をとても大切にしていたのだろう。

父親の話をする子供は、とても…とても幸せそうだったから。

尊大な物言いも、次第に子供特有の話し方に変わってきて、この子供を身近に感じた。







のんびりと夕日が落ちていくさまを二人で眺めていて、不意に気になった。

どうして今まで失念していたのだろう。

命を狙われていてもおかしくない子供が、一人でこんな所に来ていては危ないはずだ。

「……一人、かい?」

今更だが、辺りを警戒しつつ訊ねる。

「いえ…母上と楓と…途中まで一緒に…」

楓というのは、侍女か誰かだろう。

「だったら…こんなところにいないで、早くお帰り?」

君はまだ、独りにはなっていないんだから。

少年は躊躇いながら頷いた後、僅かに炭化した首桶を睨みつけるように見つめて唇をかんだ。

その大きな瞳に涙が溢れてくるが、少年はじっとそれを見つめていた。

遂に雫として頬を流れ落ち始めた頃に、少年は大きく息を吸い込んで、吐き出した。



「…いずれ…」



父の首があった場所を見つめて呟くそれは…

復讐を誓う言葉だったのか、再会を誓う言葉だったのか…

半助には、分からなかった。










きっと彼の人生は順風満帆にはいかないだろう。

だが、それでも、生き抜いていって欲しいと思う。

大切にされて、守られた命なのだから…

「気を付けて、帰るんだよ?」

護衛代わりに送って行こうとしたら、断られた。

城の…残された者達に、不審がられるだろうからと。

ここまで無事に来れたのだから、帰りも無事に帰れるだろうと。

「あなたも…お気をつけて」

逆にこちらが心配されてしまった。

それに年上に対する言葉遣いも、きちんと教わっていたようだ。

「…ありがとう」

きっと今の自分は締まりのない顔をしているだろう。

少年は少しだけ憂いを帯びたまま、それでも綺麗に微笑んだ。

走り去っていく背中を見つめたまま、夕日が落ちきるまでその場に立ち尽くす。

不意に聞こえた烏の鳴き声に、郷愁を誘われた。







だが、こうしている間にも明日の仕事が思い浮かんでくる。

明日は問題児三人に追試をして…

ああ、そろそろ抜き打ちテストでもやるか…

そういえば、山田先生が実技の方も遅れ始めたと…

だったら折角だし、利吉君に指導も頼んだ方が…





あなたが…羨ましい…



それでも、こんな私にも…居場所が…ある。



さあ…



かえろう…










その後、かの城の残党が、仇討ちを行ったとは…聞かない。










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