いつものように黙々と稽古を続ける幸村を、穴が開くほどくのいちは見つめていた。

本当は今すぐにでも声を掛けたくて堪らない、といった様子を隠さないくのいちの視線に、遂に幸村がその動きを止める。

視線だけで「何用か?」と問えば、待ってましたと言わんばかりに幸村に飛びついた。

「ゆ〜き〜む〜ら〜さまっvv」

「……何だ?そのような猫なで声を出して…」

あまりにも上機嫌な様子に、幸村もそういった後つられたようにやや笑う。

「にゃはん♪私にはもう分かっちゃったんですよ〜」

獲物を見つけた肉食獣(ただし小型)のような煌く目を見てしまった幸村は、無理だと知りつつ後ずさろうとした。

彼女がこういう目をする時は、自分にとってあまりいいことがないと、過去の経験から知っている。

自然と、幸村の表情が強張った。

「…なにが…だ?」

それでも律儀に問い掛けて先を促してやる辺り、幸村の性格が表れていると言えよう。

「むふふ…こんの色男〜」

うろたえた様子を見せた幸村の頬を、一度突付いたくのいちは、巻き付けていた腕を外す。

「なっ!?何をいきなり!?」

明らかにからかわれていると分かっていても、褒め言葉らしきものを言われて、平然としていられる幸村ではない。

「あのカタブツの幸村様が…夜陰に紛れて逢引きですか〜?」

ほんの悪戯心で訊ねただけで、くのいちにはそれを咎める気など毛頭ない。

ただ『普段から真面目で色事に無関心そうな主の、ようやく訪れたらしい春を、ちょっといじってやろう』程度の気持ちだった。

「…そなた…何故、それを知っている」

だが、急に殺気すら感じさせるほどの真剣な表情を浮かべた幸村に、ただ事ではないとくのいちは直感した。

もちろんそれを全く表情には出さず、いつも通りの軽い口調で誘導尋問にかけることにする辺り、やはり草の者と言ったところか。

「何でってぇ〜幸村様ったら、夜中に寝所にいないことがあるじゃないですか♪」

「……………そんなはずはない」

(その間が怪しいんですってば…)

そう言わない方が賢明と判断したくのいちは、冗談めかしたまま話を続けることにした。

「だって…この間、夜這いをかけに行ったのに〜いなかったんですけどぉ〜?」

「よばっ…!?」

一瞬にして真っ赤になった幸村に、色街にでも出掛けていると予測していたくのいちは首を傾げるしかない。

頻繁に女を買いに行く男が、たったこれしき(しかも明らかな冗談)の言葉で、ここまで初心な反応を見せるものだろうか。

「はっ!!い、いかん!!そなたはまだうら若きおなごで…!!」

「冗談ですよぉ」

本気で説教が始まりそうだったので、「3つしか違わないじゃないですか〜」という言葉を呑み込み、今のうちに弁明しておく。

若いくせに割と説教好きな主のいなし方を、くのいちはよく理解していた。

遊ばれたことには気付いていないのか、自分のうろたえ様が恥ずかしかったらしい幸村の顔は、明らかに赤く染まっていた。

「…じょ、冗談でも、そういうことは、言うな」

「は〜い★承知〜」

これで話は終了だと思っていたくのいちは、何の前触れも無く力いっぱい肩を掴まれ、驚いて主を見上げるしかない。

「それで…先程の話なんだが…」

真剣な幸村の顔が、息がかかるほど近くにあって、見苦しくない顔ではあるがくのいちは眉を顰めた。

(あちゃ〜ぶっちゃけ見飽きちゃったかも…)

最初の頃こそ仕える主の若さと顔立ちに、そりゃ驚きはしたものの…慣れと言うものは恐ろしい。

上田城でそのようなことを言ってしまえば、下働きの女性達の避難轟々であることは目に見えている。

次男で跡取りにはならないと今の所はっきり分かっているものの、それなりの身分の幸村を狙っている女性は、いないこともないの

だ。

(あたしは信幸様の方が好みかも…)

まぁ、絶対に妾にすらなれないと分かってはいるし、なる気など毛頭ないが。

幸村ばかり目立っているが、その兄信幸だって武芸に秀でているし整った顔立ちをしている。

(性格もねぇ〜…幸村様の場合、まだまだ青いってか?)

「…おい。くのいち。聞いているのか?」

「い〜え、ぜんっぜん。それより…近すぎゃしませんかい?」

その一言で、幸村は自分が何をしているか気付いたらしい。

弾かれた様にくのいちの細い肩から手を離した。

「うおっ!!す、すまぬ!!」

「いえ…いいんですけど〜…」

予想通りの主の純情っぷりに、ややげんなりしつつ話を振る。

「で?先程の話って何ですか?」

「あ、ああ…その…私が…夜に……抜け出していることなのだが…」

(うわぁ…結局、自分で白状しちゃった…)

先程まであんなに慣れない嘘をフル活用してまで、隠そうとしていたくせに。

「その…誰にも…」

「ああ。そういうことですか?もっちろん!誰にも言いませんよぉ♪」

誰かに話したいのは山々だが、主の普段の様子を見ていたら、にわかには誰もそんなこと信じられないだろう。

硬派で実直、一途で熱血の塊のような男が、夜毎“女”と逢瀬を重ねているなどと…

「それと…」

幸村は少しだけ言い淀むが、くのいちが先を促すように見上げれば

「そなたは…絶対についてくるな」

それは命令に似た口調だったけれど、その瞳はどこか縋りつくような色を滲ませていた。

それで、くのいちは何となく理解した…してしまった。

誰にも知られたくないほど、本気で、その恋を守ろうとしているのだと。

それに隠し事が下手な主のこと、時期が来れば話すだろうと思って、微笑を浮かべたくのいちは、全てを受け入れたように頷いた。







だが後に、この時深く追求しなかったことを、くのいちは、少しだけ、ほんの少しだけ、後悔することになる。










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