いつからか、二人の間で徐々に増えていった会話の内容がある。
それは、お互いがお互いに相手を自軍に引き込もうとする、何とも都合のいい話だった。
「…もののふ…我が徳川に降らぬか?」
「……徳川に?」
「そうだ…おぬしなら…家康様も高く取り立てて下さるぞ?」
赤備えの甲冑さえも霞むほどの、凛々しい武者ぶりに槍捌き。
確かに少し複雑だろうが、味方となるのなら家康とて無下にはしまい。
「だがな…私はやはりお館様が…」
(出た)
結局はいつもこのパターン。
信玄公がどれだけ素晴らしいかを、淡々と熱のこもった声で語られる。
それにどれだけ、半蔵が家康の素晴らしさの熱弁で遮ろうと試みたことか。
仕方がないので、新たな質問をぶつけてみることにした。
ちなみにこれはくの一達から聞いた方法で、相手にとっては究極の二択だとか?
半蔵としては非常に不満ではあるが、それを使うのは“恋人”に対してだとか?
まぁ、それが使えると判断したので、少しくらい設定が違っていても半蔵は気にしないことにした。
幸村に言わせれば、その設定で間違ってはいないのだろうが。
「ならば…信玄公と拙者…どちらを選ぶ?」
そう、俗に言う「仕事と私、どっちが大事なの!?」というやつである。
「うっ…そ、それは…」
すぐさま「お館様!」とでも言うかと思っていた半蔵は、その反応に首を傾げた。
少し考える素振りを見せて首を振った後、急に半蔵を熱く見つめたかと思うと、また急に首を横に振る。
はっきり言って挙動不審以外の何ものでもない。
「…どうした?やはり答えられぬか?」
そう半蔵が口にした途端、慌てた様子で幸村は捲くし立てた。
「わ、私が仕えるのはお館様のみ…」
「そうか…」
納得したように半蔵が目を閉じると、更に慌てた幸村は声を大きくして言い募る。
「だっ、だが!!私が心底欲しいのはそなたのみ…」
「…ほう…」
これは予想外だ。
根本的に比較対照が違うのだ。
普通ならば、仕える主と恋い慕う者の間に板挟みになっても、譲歩するなり何なりして何とか乗り切れるものだ。
ただ、この二人はその板挟み状態から抜け出せず、譲歩はどちらかを諦めることでしか成立しない。
本人達は気付いていないかもしれないが、二人ともかなり頑固で、妥協というものを知らない。
お互いの立場を理解した上で、相手の全てを手に入れたがることは、性質の悪い以外の何物でもないだろう。
ふと妙案が浮かんだのか、半蔵は再び問い掛ける。
「家康様に忠節を尽くすのなら……拙者…おぬしのものになっても構わぬ…」
どうだ?と視線で問い掛ければ、幸村の顔が朱を注いだようになる。
それは普段の半蔵からは考えられない言葉だった。
自らの全てをかけてでも、この純情青年を味方側に引き込もうという、まさに体当たりの取引。
「しかし私は…家康殿を…その…あまり…」
だが、言いよどむ幸村の言いたいことは、何となく半蔵にも分かった。
詳しくは半蔵も調べなかったのだが、何やら契約不履行があったようで、真田家と徳川家はあまり仲がよろしくないようだ。
「それに…それでは、半蔵が私のことを好いてくれたわけではない…」
「…それは…」
「そなたが欲しいのは…家康殿に味方する武将なのだろう?」
やりきれない思いを全て押し隠すように苦笑した青年を見て、ようやく半蔵は自分がどれだけ酷いことを言ったのかを知った。
「…そうかもしれぬ……だが拙者…誰にでもそう言っているわけではない」
それが口下手な半蔵にとって精一杯の言い訳だった。
「……分かっている」
そのことを幸村も理解していたようで、少しだけ安心したように微笑んだ。
そして、そわそわと急に落ち着きをなくしたと思うと、おもむろに口を開く。
「そういう半蔵こそ…私と家康殿…どちらを…」
「我が光はただ一つ」
幸村の言葉を遮るようにして、半蔵は答える。
その答えを予測していたのか、一切表情を変えないまま幸村は呟いた。
「私の光もただ一つだ」
「そうか…やはり我らは…」
「そなただけだ。半蔵」
聞き間違いかと思って、幸村の顔を見つめた半蔵は、真摯な眼差しに射竦められた。
「私の光は、そなただ」
「意味が、分からぬ」
常日頃、半蔵が言っている“光”とは、天下をとる者のこと。
だから一瞬、幸村の言葉にうまく対応できなかった。
「私が求めているのは、天下ではない」
それは幸村も重々承知のことだったようで、足りない言葉を補う。
「私は、陰になっても構わない」
それは歴史の表舞台から消え失せるということ。
とっさにそう判断した半蔵は、その瞬間
「だめだ。おぬしは…光に生きればいい…」
我ながら矛盾していると思いつつも、それだけを口にした。
その矛盾を感じていないわけはないだろう幸村も、どこか嬉しそうに微笑んだ。
後日、半蔵はどこから情報が漏れてしまったのか、幸村とのことで内密に家康に呼び出された。
叱責されることを覚悟で赴いた半蔵に、声を荒げることも無く、ただ家康は少し寂しそうな表情をして半蔵に訊ねた。
「…真田の子倅と…添い遂げるか?」
「思いもよらぬこと」
そうはっきりと半蔵が答え顔を上げると、半蔵が見知っている幼少期のままの笑顔があった。
結局は、半蔵も気付いていた。
「拙者の全て、ただ家康様の御為に…」
主君に盲目的になっているのは、己の方なのだと。
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