途中、何度か呼びかけられたが半助は止まらなかった。

急いで自分の部屋に駆け込み、床に落ちている手紙を見つけると、それを掴む。

手でちぎるのを思いとどまった所から、まだ冷静さを完全に無くしてはいないようだった。

だが、半助が手紙を開けるのに使用したのは懐にあったクナイだった。

無造作に手紙の封を開けようとして指を少し切った。

流れ出る血にまったく気付いていないのか、半助は震える指で中の紙を取り出す。

そこには、見覚えのある几帳面な字で『愛しています』と書かれていた。

少し血がにじんだ手紙を机の上に置く。

紙の大きさのわりには、書いてあることが少なすぎると思った半助はあぶり出しの可能性を思いついた。

棚から蝋燭を取り出して火をつける。

半助は利吉がよほどのロマンチストでない限り、内容はこれだけではないだろうと思っていた。

いや、あぶり出しで手紙をしたためること自体が、もう十分ロマンチストなのかもしれないが。

炎が燃え移らないように、慎重に手紙を熱する。

案の定、彼の文字が浮かび上がってきた。










敵の忍者が徐々に集まり始めている。

幾度となく重ねてきた、過去の戦で培ったカンがそう告げた。

自分一人なら気配を消してでも逃げられるが、殿と共ではそれはかなわないだろう。

利吉が一人、思案を廻らしていると

「どうした?」

こういった危機に直面する機会があまりなかった殿は、事態がまだ理解できていないようだ。

「いえ…とりあえず、こちらに移動いたしましょう」

できるだけ静かに、敵の目から逃れられるような場所を選んでいく。

いつもはこんなゆっくりとした速さで逃げるわけはない。

慣れないことをしなければならない不安もあるが、それでも今は殿を守ることが第一だった。

「敵が…近付いておるのか?」

さすがに逃げるようにして、足早に部屋と廊下を行き来すれば気付くだろう。

利吉はこの問いに答えることが、重要な意味を持つであろうことを知っていた。







『この度の合戦…負け戦としか言い様がありません。なぜなら、私達は殿に言われているのです。「死ぬな」「逃げろ」と。

かの城の一族の者にしか教えるはずのない通路を、我々は前もって教えられているのです。

そしてその通路が、実際に今も通れることも、どこに繋がっているかも、我々は熟知しているのです。

先生は今までにこのような仕事に携わったことはございますか?これでは我々忍が加勢する意味はありません。

これは私にとっても、もちろん今回共に戦う者達にとっても意外なことでした。

ですが、嬉しいことです。殿一人のお命で終わらせることができるのですから。

この城の殿は、大変人柄の良い方です。

短い間しか城に滞在していなかったのですが、城の中で殿のことを悪く言う者を一人として見たことがありません。

今まで仕えたどの城主よりも、城内の者にもまた城下の者にも好かれている方です。

でも…いえ、だからこそ。この世を生き抜くには、その肩の荷は重過ぎるのでしょう。

何人もの臣下が、殿と命運を共にする決心をしておりました。そして我々もいます。これで敵と数ではほぼ同数。

被害を全く出さないことは無理ですが、この城の者達は珍しいくらい、剛健な者達が揃っているのです。

戦えば、殿のお命を失わなくて済むかもしれないのです。自らの命を賭してでも守ろうとする者達が大勢いるのです。

私はこの国の勝利を信じております。それでも殿は繰り返すのです。「死ぬな」と。

…正直に言うと、私には理解できません。

今まで仕事で請け負った城の城主は、口を揃えて言うのです。「私を守れ」「お前達は死んででも私の盾になれ」と。

どうしてでしょう?この城主には、自殺願望でもあるのでしょうか?私には…理解できません。

ですが、死なないように逃げきれば、それで終わるのです。先生の元へ帰ることができるのです。



…ですが、もう…先生ならお気付きですよね?私がどうしようとしているのかを。

私は…理解を求めません。ただ、知っておいて下さい。私は、こういう人間だったと。



最後にお願いがあります。このことを、父や他先生方には先生からお伝え下さいませんか?

最後まで迷惑をかけ通しで申し訳ありません。

今まで本当にありがとうございました』





そして、やはり最後にも『愛しています』のひとことがあった。

しばらくその手紙を呆然と見つめていた半助は、そっと蝋燭の火を消した。










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