寝るのが怖い。


∵夢を見るのが怖い。


∵悪夢を見るのが怖い。


睡眠から逃れられるわけもないのに、足掻く。


∴…倒れる。







申し訳程度に造られた窓。

きっちりと閉められたカーテンが、僅かな日光でさえも遮ろうとしている。

それでも完全に遮れない光が、今はまだ日中であることを教えていた。

背中に当たる硬い木の感触。

首筋に絡みつく自分の髪に、いつの間にか髪がほどかれていることに気付く。

左の手に触れるシーツは、きちんと糊がきいていて。

きっとそれなりに清潔な…白とかそんな色であろうことは予測できた。

「起きたようだね?」

だが不意にかけられた声は予測の範疇には皆無だった。

窓とは反対方向に目を向ければ、細められた黒い瞳と視線がかち合う。

「全く…自己管理がなっていないな」

この部屋には椅子がなかったのか、大佐は俺の横たわっているベッドに腰をかけている。

「うるせぇ…」

いつものような軽口に、自分も自然と言葉が出た。

ただ、かすれ気味で酷く勢いがないと自覚しなければならなかったが。

とりあえず見下ろされているみたいな体勢が嫌なので、上半身だけ起こす。

周りを見回して、いつか使わせてもらったことのある仮眠室だと気付いた。

「いきなり倒れたと聞いてね…驚いたよ」

「倒れ…た?」

いまいちぴんと来ないので、首を傾げているとため息のように

「駅で…」

その単語に、先程の倒れた時の感覚が蘇る。

遠ざかっていく周りの雑踏と弟の声に『あの時』のような恐怖を感じた。

ネガティブな思考に入りかけるのを、きつく瞼を閉じることでやり過ごす。

「倒れている君なんて…初めて見たよ」

しかし、この言葉に驚いて再び目を開く。

自分が倒れているところを見られたとは、夢にも思っていなかった。

「…わざわざ見に来たのかよ…」

忙しい最中、どうして自分が倒れたところを見れるのか?

素直に聞けない自分は、憎まれ口で疑問を投げかけることしか出来ない。

それに気付いているのか…きっと気付かれているのだろう…いつも大佐は的確に答えを返してくる。

「たまたまだ。視察の途中でね…」

「げ〜タイミング悪ぃ…」

「ほぅ。誰のお陰でここまで来れたと思っているんだね?」

一瞬、大佐に抱きかかえられている自分の映像が、頭をよぎった。

「えっ…まさか大佐がここまで…?」

微かな期待が胸をよぎったが

「まさか」

大佐は驚いたような顔をして、胸を張って言い切った。

「車の運転と力仕事は、ハボックと決まっている」

自分の甘い幻想が打ち砕かれたことよりも、この男の部下の扱いの方に溜息が出た。

「部下をこき使うなよ…」

「部下をこき使えるのが、上官の特権だ」

ここまで運んでくれたハボック少尉に申し訳ないと思うと同時に、体よく使われている少尉が少し哀れに思えた。

いや…今はこの男の部下全員に対して「お疲れ様」と言ってやりたい気分だ。

「後で礼を言わねぇと…」

またイーストシティで足止めをくらってしまったようだ。

出来るだけ早く立ち去ろうと思っていたのに…

…この男の側から。

「そうだな。土嚢のように運んでくれたからな」

「土嚢のように…?」

おいおい…一体どれだけ雑に扱ってんだよ。

今度はベッドに頭から叩きつけられる自分の映像が思い浮かんだ。

あ…でも、さすがにそれくらいしたら俺だって目が覚める。

思ったよりは雑に扱われていなかったようだ。

…あるいは自分が熟睡していただけか…

「ああ…確か『機械鎧つけてる割には軽いな』と言っていたな…」

軽い=身長が低い。

「ほぉ…しっっっかりお礼をさせてもらおうかな」

こんな反応なんてお見通しだったのか、それとも最初から怒らせるのが目的でそう言ったのか、大佐の反応は素っ気無い。

「ほどほどにしておいてくれよ?」

「止めろよ」

「何故私が?」

ひでぇ…本当に少尉って報われねぇ…

大佐に虐げられている少尉が、泣いているような気がした。

…今回はそれに免じて、後半のお礼は無しということにしよう。

「なんだ。もう終わりか?」

やっぱり最初から怒らせる気だったらしい。

分かってしまえば、あっさりとその思惑に乗るのは、俺のプライドが許さない。

「そういえば…ずっとここにいたわけ?」

自分の予測が正しければ、まだ昼頃でこの男は勤務時間のはずだ。

嫌味交じりに話を切り出した後で、妙に心拍数が上がった気がした。

「ああ…」

そう頷いたきり大佐は何も言わない。

何気なく大佐を見ると、優しい笑みを浮かべていた。

今まであまり目にした事のない笑みに、やけに緊張した。

「あ、あのさ…髪をほどいたのって…」

どうにか気付かれたくなくて、無理にでも話を切り出す。

それでも気になっていたことを訊ねられたのだから、自分はそのことをよほど気にしていたとみえる。

「もちろん君の弟だ」

その答えを残念に思ったと同時に、大佐に触れて欲しいと思っていた自分に気付き混乱した。

そんな混乱など気付いているのかいないのか、大佐はさも今気付いたと言わんばかりに呟く。

「綺麗な髪だな…」

この男に褒められるのは悪い気はしない。

ただ少しくすぐったい感じはするが。

悪い気はしない…確かにしないが…

「…それさ…曹長にも言われたけど…男に言う台詞か…?」

「…曹長に?…そうか…だが、綺麗なものを綺麗と言って問題は無かろう?」

どうしてそんなことを今更?と今にも言いそうな表情で首を傾げる。

はっきり言って20代後半の男に相応しいとは思えない仕草に、脱力感を覚える。

「…はぁ……あ!だったらさ…」

ちょっとした意趣返しと、ほんの少しの本音を混ぜて

「大佐の髪も綺麗じゃん?」

最近よく思うようになったことだが、黒い髪も結構いいかもしれない。

将来、黒い髪の女の人しか目に入らなかったら、大佐のせいにしよう。

「…確かに男に言う台詞ではなかったようだね」

ちょっと眉を顰めて神妙そうな顔をしているが、口元は笑いを堪えている。

どうやらこの言葉はお気に召したようだ。

「さて、君の目も覚めたことだし…仕事に戻るとするか」

大佐はまだ笑いの残る声で、仮眠室のドアに視線を向けている。

カーテン越しの窓に視線をやれば、まだ充分に日は高いことを示している。

不意に二人きりの空間に疑問を持ち、更には大佐がここにいることがとてつもなく場違いな事のような気がした。

「…よかったのか?こんなとこで油を売ってても…?」

「なに…大丈夫だ。今は休憩時間ということになっている」

「……貴重な休憩が勿体ねぇだろ?こんな…」

大佐が忙しいのは、誰だって知っている。

そんな時に、俺みたいなのと話していて…いいのだろうか?

「構わんよ」

立ち上がる時のベッドの軋みで聞き取りにくかったが、確かに大佐はそう言った。

すぐに許されているのだろう、と理解した。

きっとそれは、俺が子供だから。

実は子供には優しい人だと、この間のエリシアちゃんの誕生パーティーで嫌というほど見せ付けられた。

彼の『子供』の範疇には、俺もアルも含まれているに違いない。

だから、我侭も許されている。







悔しくて唇を噛み締めているうちに、大佐はドアのところまで行っていたようだ。

「髪を結んだままで寝ると…」

部屋を出て行く際に、大佐は一度だけ振り返って

「髪が邪魔になると…アルフォンス君は知っていたよ?」

含みのある言い方に、顔を上げるとまた違う性質の笑みと出会った。

昨日の夜のように、全て見透かされているようで居心地が悪い。

「…分かってるよ」

例え感覚が無くとも、アルは人のことを思いやれる。

俺が思っているほどアルは、感覚が無いことを嘆いてはいない。

ましてやそのことに対して自分自身を卑下したりしていない。

…赤の他人に言われなくても、分かっている。

「…ゆっくり、休みなさい」

最後に大佐が見せた真摯な表情に、目を奪われた。

だからドアが閉じた後も、しばらく名残を追いかけるようにドアを見つめ続けていた。









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