『あなたの髪はとても綺麗ね…』

『触ってもいいんですか?……まぁ…日差しが当たっていたせいかしら?暖かいわ…』

『…ふふっ…もっと触らせてよ…』

『私もロイみたいな髪だったらよかったなぁ…ほら私って茶色いしウェーブかかってるでしょ?だから…』

『た、大佐の髪…さらさらしてて…きれいです』

『あら?思ったより柔らかいのね…指の間をすり抜けて…クス…まるであなたみたい…』

『ロイの髪って…シルクみたいね』



今まで幾度と無く言われてきたような言葉を、たった一人の子供に言われただけでこんな風に胸が高鳴るとは…

そろそろ自分も焼きが回ったようだ。

しかしそれにしても…

「褒めるならもっと色気のある褒め方をしてくれ…」

過去の女性達と彼を比べるものではないと分かってはいる。

だが、どうしても彼女達の飾り立てた言葉の方が、思いを伝えようとしてくれている気がしてならないのだ。

彼が言ったのはたった一言…『綺麗』だけだ。

「でもまあ…君の言葉に一番クルというのも…どうかと思うがね…」

そこまで彼に侵食されている自分に、もう苦笑いしかできない。





これ以上、考えていれば仕事に支障が出ると気付かせてくれたのは、目の前にあるうず高く積まれた書類。

彼が倒れたのは昨日だったから、きっともうすでに彼らは駅を出た頃だろう。

目的のために、彼らだって頑張っているのだ。

仕方なく慣れない万年筆を手に取り、書類に目を走らせる。

しかし今日はやけに廊下が騒がしく、なかなか集中できない。

こんな時、彼の集中力は羨ましくなる。

しかもどうやら、その騒々しさはこの部屋に近付いてきているようだ。

…何か事件でもあったのか?

自分でも緊張したのが分かった。

しかし…

ドアを蹴破らんばかりの勢いで、鎧の弟を伴って入ってくるなり、鋼の二つ名を有する彼は叫んだ。

「手帳が見たい!」

「ににににに兄さん!?」

「ほら」

「たたたたた大佐!?」

アルフォンス君は突然のことに上手く対応できていないようだ。

鋼のに渡したのは、彼の手に余るほどの大きさの、革張りの手帳。

「…いいのか?」

「見たいと言ったのは君だろう?」

いないと思っていた人間がいて、驚くよりも嬉しさが先立った。

「そう…だけどさ…」

「見ないなら、返してもらおう」

鋼のの手から、手帳を取り返そうとすると、慌てて手帳を後ろ手に隠し

「見る!」

そう叫ぶように言って、私から随分と離れた所で手帳を開いた。

何もそこまで警戒しなくても…

先程までは慌てふためいていたはずのアルフォンス君も、ちゃっかり小さな背中の上から覗き込んでいる。

やれやれ…二人揃って勉強熱心なことだ。

暫く文字を追っていた二人の目が、こちらに向けられる。

「…なんだよ…これ…」

「手帳だろう?」

「…女性の名前で暗号化してるんじゃなかったんですか?」

まったく…どこでそんな話を聞いてくるのやら。

「まあ…研究手帳はね」

「は…?じゃあ…これって…」

その時、丁度ドアの外に人の気配がした。

「失礼します。大佐、休憩時間は終わりです」

ノックと共に有無を言わせぬ勢いで突入してきた中尉は、鋼のの手にある手帳を見て微かに眉を顰める。

これは、小言の前触れだな。

「一応、機密事項もないとは言い切れません。エドワード君とアルフォンス君なら大丈夫でしょうが…あまり軽々しく人に渡さない方がよろしいかと…」

さすがにその手帳を持っているのがエルリック兄弟だけに、彼女の言い方はいつもより柔らかい。

「何、私の仕事に興味を持ってくれたみたいでね。嬉しいじゃないか、こんなに部下に愛されているとは…」

「待て。ってことは、これは仕事の手帳なんだな?」

「そうだ。ああ中尉、大丈夫だ。見られて困るような事は書いていない」

「それなら構いませんが…」

もう何を言っても無駄だと、彼女に諦められてしまったようだ。

「見せろ」

「何を?」

「研究手帳」

「…君ねぇ…同じ錬金術師なんだから、少しは遠慮したまえ…」

「同じ国家錬金術師なんだから、少しくらい知識欲を満たしてくれよ」

まったく…ああ言えばこう言う…

最初に会った時のイメージとは全く違うな。

ま…最初の時のように彼が大人しかったら、ここまで私は執着しなかっただろうがね。

「等価交換」

明らかにエルリック兄弟が怯んだのが分かった。

そして、中尉が呆れたとでもいうようにため息をついているのも見えた。

「私は大事な研究手帳を君達に見せよう。で?その見返りは?」

二人の顔を交互に見ると、二人とも頭を抱えている。

その様子は、片割れは鎧のはずなのにどこか似ていて、この二人が兄弟だと改めて感じさせられた。

「あ〜…」

「う〜ん…」

暫く悩んでいるうちに、私の方は仕事を進ませる。

何だってこんなに悩んでいるんだ?

必要以上に仕事がはかどってしまうではないか。

「だめだ…」

「…だね」

意見は纏まったようで、二人して顔を見合わせて頷きあっている。

何だ?私に対するあてつけか?

「俺達は大佐に差し出せるもんなんてないんだ」

サインしていたペン先が、ガリッと音を立てた気がした。

む…いかんいかん…またペンを折ってしまうところだった…

「…それは私とでは等価交換の価値などない…と?」

声が幾分、低くなってしまったが、笑顔を浮かべることには成功した。

「えっ?ち、違います!!その…僕達…」

アルフォンス君がそう言いながら兄を見ると、視線を受けた鋼のは、弟に向かって力強く頷いて

「大佐…俺らは…何も持っていないんだ…」

その言葉に気付いた。

彼らが何ものにも囚われないよう、全てを捨ててきたことに。

「俺達は…あんたに差し出せるものが…ない」

きっと彼らが差し出せるものがあるとすれば…鋼のの体と魂、弟の魂…だけなのだろう。

しかしそれはこの兄弟にとって…もとの体に戻ろうとする彼らにとって…この上なく大事なものなのだ。

二人でもとに戻る。

だから、どうしても手放せない…

だが…もちろん、私が望んでいるのはそんなものではない。

「労力も?」

「「え?」」

「俗に言う『体で払ってもらう』というやつだ」

「働け…ってことですか?」

その言葉に卑猥なことを思い浮かべたのは自分だけのようで、アルフォンス君は素直に捉えたようだ。

もちろん私だって下心は…ない…と思う。

「…そうだ」

「働けって言われても…何すればいいか…」

鋼のはものすごく悩んでいるようで、中尉に縋るような目を向けた。

「あ、じゃあ…僕は…『肩たたき』で…」

それは母の日のプレゼント…しかも買う物が思い浮かばなかった時の、最終手段では…?

だが子供らしい可愛い物言いと、こちらを窺うような雰囲気に、笑顔で頷いた。

アルフォンス君がほっとしたように肩の力を抜いた。

鎧なのに行動がはっきりしていて、本当に中が空洞かどうか疑ってしまいそうだ。

「あ〜じゃあ俺は…」

中尉にも名案が思い浮かばなかったようで、二人して悩んでいる。

しまった…中尉も巻き込んでしまった…

「そうだな…」

ふと彼に頼みたかったことがあったのを思い出した。

「これを…」

机の引き出しから取り出したのは、折れた万年筆。

「気に入っていたのだがね…ついつい力が入りすぎて折ってしまったのだよ…」

自分でも情けない話だが、鋼のが倒れたと聞いた瞬間…ついつい力が入りすぎたのだ。

その後、予定外の視察をでっち上げて駅まで行ったことは、腹心の部下の中でもほんの数人しか知らない。

「へ?そんなことでいいのか?」

「そんなことと言ってもね…私はこういうのは苦手なのだよ…」

直そうと思えば直せるだろうが、出来ることなら綺麗に直したい。

彼の力ならもとのように戻せるだろうと、期待して待っていたのだ。

「それでいいなら…」

鋼のがいつものように手を合わせようとした瞬間、アルフォンス君がその手を止めた。

不思議に思って見上げると、非常に言いにくそうに

「た、大佐…兄さんがやったら…その…」

「何か問題でも?」

まさか鋼のはそういう練成は苦手だったのか?

だが、そんな予想を裏切ってアルフォンス君は思いもかけないことを言い始める。

「その…兄さんのセンスは…ちょっと変わってて…」

「オイコラ!俺のセンスは悪いって言いたいのかよ!?」

「だっ、だって兄さん!!無駄な装飾ばかりに力入れるんだもん!!」

「何だと!?無駄とは何だ無駄とは!!」

「兄さんのディテールは普通の人には理解しがたいんだよ!?」

ひでぇ…い、いや…アルフォンス君もなかなか言うようだ。

「…そんなに…彼のセンスは……酷いのかね?」

「大佐まで何言ってんだよ!?」

鋼のの非難の言葉を聞き流し、こういう場合では特に信用の置けるアルフォンス君に訊ねる。

「弟の僕から言うのもちょっと気が引けるんですけど……どうしようもないです…あれは」

「気が引けるとか言う割りには随分な言いようじゃねぇか!!」

確かに…

「そうか…では…」

アルフォンス君に頼む…?

ふむ…それも悪くないだろう。

国家資格を持っていないが、アルフォンス君の錬金術はなかなかに見事なものだった。

だが…

「面白そうだ。鋼の…君に頼もう」

どうしても、彼の手で直して欲しかった。

どうやら最近、思考が子供じみてきているような気がするが。

「君の好きなようにしたまえ」

「…おう」

アルフォンス君の言葉を聞いてなお頼んだことに、分かりやすいくらい彼が驚いていた。

「た、大佐…?」

うろたえるアルフォンス君を安心させる為に、理由をこじつける。

「なに…どれほど酷いセンスかを見てみたくてね」

「なるほど!」

「お前ら…後で覚えとけよ…」

今まさに攻撃するかのように、彼は両手を力強く合わせる。

独特の練成法で、元に戻されたものは…

「これは…」

思わず手にとってみる。

「大佐のいっつも使ってたのって…こんなんだっただろ?」

少し木目や長さが変わってはいたが、大体において変わりない。

「ああ…凄いな…元通りだ」

「…まともだ…」

アルフォンス君も私の手元にある万年筆を見つめている。

「まあ…等価交換だからな…」

そっぽを向いた彼は、明らかに照れているが、それを指摘するとまた不機嫌になってしまうので余計なことは言わない。

「ありがとう…」

ありったけの気持ちを込めて告げる。

「ふん。俺だってこのくらいできる」

「だったら普段からそうしてよ…」

「うるさい!」

このままだと不毛な兄弟喧嘩が始まりそうだったので、早々に止めることにする。

「ほら…手帳だ…」

実はエルリック兄弟には優しい笑みを浮かべている中尉が、私にだけは冷たい目を向けていることに気付いたのだ。

「後できちんと返してくれよ?」

彼らが時間内に解読できるかどうかは分からないが、まあこれも一つの力試しと思うとしよう。

彼らと…私の…ね。

この兄弟が解読できるか、この私の暗号が解読されてしまうか…見ものだな。

「もちろん!」

「ありがとうございます!」

そのまま図書館に駆けて行ってしまいそうな二人に、声をかける。

「アルフォンス君は今度、肩たたきを頼むよ?」

「あ、はい!!」

いい返事だ。

「鋼のは、また何か壊した時に直してくれたまえ」

「壊すなよ!!」

ごもっとも。

嵐のようにやってきては去っていった、少年達が閉めたドアの軋みが消えた頃。

思わず笑いが口元に浮かぶ。

それに対して中尉は何も言わずに、書類を積み上げた。

「…可愛いものだな」

書類はできるだけ視界に入れないようにして言うと

「ええ」

少しだけ微笑んだ中尉が、同意を示した。

「さて…私も仕事に精を出すかな…」

「そうして頂けると幸いです」

きっと私のところで止まってしまった書類のしわ寄せが、部下達にいっているのだろう。

さあ仕事だと今まで使っていた万年筆を机にしまい、彼が直してくれた万年筆を使うことにする。

ほぼ無意識の行動に、中尉がふいに呟いた。

「凄いですね…エドワード君」

「ん?ああ…やはりあの子は天才かもな…」

「いえ…そうではなく…」

中尉は苦笑いのような笑みを浮かべる。

私の前だけで、このような笑い方をするのは珍しい。

「たまにしか訪れないのに、大佐のお気に入りの万年筆を覚えていたことです」

そう言われて気付いた。



そういえば…どうして彼が、この万年筆を覚えていたのだろう?









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