受話器を持つ手が震えている。

電話の交換手のお姉さんの声の代わりに、呼び出し音が何度か続いている。

今のうちに電話を切ってしまおうか…?

しかし、そんなことを思っていると急に声が聞こえた。

『…報告かね?』

どことなく不機嫌な声は、きっと自分に対する呆れと疲れているのが半々なのだろう。

何ヶ月も音信不通だったくせに、いきなり何の前触れも無く電話を掛ける俺と、ここ最近東部で頻発しているらしい事件。

大佐でなくても不機嫌になるだろう。

「まあ…そんなところ…」

『…ならば早く報告したまえ』

その言葉に、何を報告するのかをでっち上げていなかったことに気付く。

「い、今忙しいんだろ?また今度でいいよ」

『また今度…ね。そう言ってまた何ヶ月も忘れるのでは?』

「今度は忘れねぇから…」

ペンが紙をすべる音がして、溜息一つ。

『……忙しくなどない。今、最後の仕事が終わったところだ』

そんなの、嘘だ。

「いい…」

『鋼の?』

「今度また電話する!」

そう叫ぶように言って、受話器を下ろした。

耳障りな音を立ててしまって、宿の人に迷惑をかけただろう。

いや…それよりも…

疲れているだろうに、相手をしてくれようとした大佐に悪い。

仕事が終わったと言ったのも、多分嘘だろう。

避けるくせに、そういう優しさを見せられると混乱する。

電話にもたれかかるようにして、小さく溜息をつくと

「兄さん…?」

気遣うように声をかけられ、驚いて顔を上げる。

「アル…おまえ…いつから…」

「……ずっと…」

重い沈黙が降りる。

ずっとということは…全部聞かれていたということで…

「……そろそろ寝るか」

気まずさを誤魔化すように言うと、アルは何も言わずに頷いた。







寝ると言ったものの、なかなか睡魔がやって来ない。

アルに気付かれないように、溜息をついた。

「ねえ…兄さん?」

「……何だよ」

バレバレだったようだ。

「あまり、大佐を困らせちゃだめだよ?」

「分かってるよ」

俺だって、本当は困らせたくない。

出来るだけ手を煩わせたくないから、無茶してでも自分達だけで乗り切ろうとしている。

…まあそのせいで困らせることも多々あったんだが。

「でもね…我侭くらいなら、聞いてくれる人だと思うんだ」

「は?」

我侭を言ったら困らせるに決まってんだろーが。

大体あの男が、女の人以外に我侭を許すとでも?

「あ、今『我侭を言ったら困らせるに決まってんだろーが』って思った?」

図星。

弟よ、俺の思考パターンはそんなに分かりやすいか?

「大佐はね、きっと僕達のことを、誰よりも考えてくれてるよ」

「いや…女の人のことだけだろ」

やば…言い過ぎたか?

「う〜ん…そう言われると困るんだけど…」

アル…もうちょっとフォローしろよ。

「…だろ?お前は大佐をいいように考えすぎ」

「そうかな?」

「そう」

表情は見えないけれど、苦笑したのが分かった。

「でも、とても大事にされてる気がするよ?」

「あ〜…お前はな」

素直で気配り上手なアルは、どこに出したって恥ずかしくない自慢の弟だ。

だから、当然みんなに好かれる。

その『みんな』の中には、大佐も含まれているのだ。

「兄さんだって大事にされてると思うけどなぁ?」

胸が急に引き絞られるかのように痛んだ。

自分で「そんなことない」とは言いたくなかった。

「…株を上げたいらしいぜ?」

だから、程よく飼いならすつもりなんだろ?

大事にされていることを前提に、もっともらしい理由をつけてみる。

「それならさ。もっといい方法があるんじゃないかな?」

「もっといい方法?」

この弟は何を言い出すんだ?

「うん。大佐が自分の評価を上げたいならさ、僕らを旅に出すより手元に置いた方がいいんじゃない?」

「各地を旅させて、情報収集させるのが目的なんだろ?」

「でも、それならきちんとした軍人さんにやってもらったほうがいいよ」

「人件費がかかるだろうが」

「それでも、兄さんの“都合の悪いところは隠した報告”よりは軍人さんの報告の方が信用できるでしょ?」

「…うっ」

それは…確かにそうかもしれない。

実際、あの報告書を持って来させる目的が分からない。

本当にきちんと見ているか怪しいものだし。

「それよりも僕ら…まあ兄さんだけなんだけど、手元で使った方が…安全でしょ?」

「安全?」

「兄さんが大佐にどこまで報告してるのか知らないけど…僕ら…まあ兄さんだけなんだけど、結構暴れてない?」

それを言われると否定のしようがない。

「だからさ、目の届く所で自分の手伝いでもさせて…自慢した方が株が上がるんじゃないかな?」

「自慢?」

問い掛けると、アルは軽く咳払いをするような仕草をして

「焔の錬金術師、ロイ・マスタング大佐は、鋼の錬金術師も顎で使えるほど凄いんだぞ〜…って…」

「うわっ…ムカつく〜」

アルの高い声だと可愛いと感じるが、あの男がそんなことを言った日には是非とも殴り倒したい。

「僕らってさ…そのくらいしか大佐にとって利用価値がない気がするんだ」

急に小さくなった声に、必要以上に世話になりすぎていることを、アルも気に病んでいると察した。

「まあ…な」

弟も自分と同じようなことを考えていたことに、少し驚いた。

「それなのにこうして協力もしてくれるし…」

不意に思い至った考えを、アルにぶつけてみる。

「…手元に置きたくないんじゃねぇ?」

嫌われてるかもしんねぇし。

できるだけ声が沈まないように、無理矢理笑って言う。

「それはないよ。大佐は兄さんのこと気に入ってるもん」

寝耳に水。

「はぁ?」

「だって大佐、兄さんといると嬉しそうだよ?」

「…ここんとこ避けられてるぞ?」

誰にも言いたくなかったが、思わず言ってしまった。

「忙しいんじゃない?」

「いや。わざとだ」

なんだかむきになっている自分が、馬鹿みたいだ。

むきになっていることにアルも気付いたのか、苦笑しながら宥めにかかってきた。

「でも、できるだけ兄さんを危険から遠ざけようとしてくれてるし」

「自分の力でのし上がりたいんだろうよ…」

「使えるものは何でも使う人だと思うけど?」

この弟は意外なほどしっかりと大佐を見ているようだ。

それこそ…俺なんかよりも…

「そう…かもな…」

「今度は…ちゃんと話しなよ?」

「わかってるよ」

何だか結局、アルに宥められてしまったのが兄として切ない。

「じゃあ…寝るな?」

「うん。おやすみ」

アルの声に背を向けて、シーツに潜り込む。

「ねぇ兄さん…どうして…電話かけたの?」

不安になったなんて…言えるわけがない。

「そんなの…大佐の生存確認だよ」

冗談めかして言った言葉に、自分の本音があった。

「そう…」

この弟のことだ、気付かれたかもしれない。

「大佐は強いから…大丈夫だよ」

やはり気付かれていた。



弟よ、俺の思考パターンはそんなに分かりやすいか?









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