不思議な感じがした。
振り向けば、そこにいるのに…
どうして、こんなに…
一人なのだろう?
一度読んだことのある本の内容は、大抵覚えている。
だが、俺達の探している本は似たり寄ったりで、明らかに写しと分かる本まで借りてしまうことがある。
同じ内容の本を三冊ほど続けて読んでしまった日には、不貞寝をしたくなるくらい凹んでしまう。
タイトルとか装丁とかが違うだけで、内容は全く同じということだってあるのだ。
そもそも、禁忌とされているものについて、好き好んで書く錬金術師自体が少ない。
更に加えて、人体練成にまつわる書は、焼き捨てられてしまっていることも少なくない。
つまり、資料不足。
その少ない資料の中から、手がかりを見つけるしかない。
できるだけ無駄は省きたいので、弟が読んだ本をもう一度俺が読むなどといった事態は避けたい。
「なぁ、アル…この本って…」
見たことがあるようなタイトルと装丁に、自分の記憶だけではなく弟の記憶にも頼ろうと声をかける。
ベッドに腰掛けたままで、壁に背を預けた状態の弟を見遣る。
いつだってすぐに気付くはずのアルの反応がないので、不審に思って近付いてみる。
「…アル?」
しゃがみこんでアルの…顔を下から覗き込んでみる。
この鎧が家にあったときには、こんなにも間近で見たことなどなかった。
「……アル…?」
そうだ、この鎧は、あの部屋でいつも槍を持って立っていた。
子供の頃は、とても怖かった。
いつ鎧が動き出すかとか、喋りだしたらどうしよう…とか。
ただでさえ、あいつの書斎は不快だったのに、恐怖というものまで加味されていた。
さらには本を守る為だろう、いつもカーテンがひかれていた。
そのせいで書斎といえば、暗くて恐ろしい場所をイメージしてしまう。
それはともかく…
「アル…は…どこ、だ?」
いつも共にあった片割れは…どこだ?
その呟きの木霊すら消えた頃、ようやくアルが動き出した。
「あれ?……兄さん?」
「………起きてんなら返事してくれよ…」
安心したのか呆れたのか、脱力して床にへたり込んでしまった。
「……ごめんね。兄さん」
聡い弟は俺の不安を見抜いていたようだ。
慈しむように、それでも不器用に触れてくる手を掴む。
「あ、ごめん。嫌だった?」
掴まれた手を引き戻そうとする弟の手を引っ張るが、その感覚は弟には伝わらないらしく弟はゆっくりと離れていった。
首を振ってその言葉を否定し、もう一度その手を掴む。
今度は俺の意図が分かったのか、大人しく手を預けていた。
冷たい手を握り締めたまま、軽い調子で問い掛ける。
「なぁ…アル…」
「何?」
「元に戻ったら…何したい?」
絶対に叶えるつもりだけれど、今現在の状況では辛いだけであろう質問。
「え?う〜ん…そうだなぁ…」
「一番最初に…何がしたい?」
それでも、どうしても、聞いておきたかった。
「そうだな…えっとね…ばっちゃんのシチューが食べたい…あ、でも…思い切り走ってみたいなぁ…」
ああ…ばっちゃんのシチューは美味かったな…アルは俺より走るのが速かったな…
「そうだ…やっぱり…」
アルはぎこちなく動き、俺を抱き締めるように腕をまわす。
「アル?」
「昔みたいに…こうやって兄さんと…」
じゃれあっていた記憶が微かながら蘇る。
あの頃の体温も声も…忘れかけてはいるが。
「ああ…俺もだ」
アルの背中に必死に手を伸ばし、抱き締めるような格好をする。
しかし、それでもアルには俺のしていることは見えないことに気付いて、少し寂しくなった。
だから手の届く限りの場所を、軽く叩いて俺の手の位置を教える。
その行動の意味を悟ったようで、アルの中から小さく笑い声が聞こえた後…
「いてっ!!いてぇ!!アル!!ちょっ…力緩めろって!!」
力加減も考えず、思い切り抱き締められた。
「うわぁ!!ごめんなさいごめんなさいぃ!!」
鎧に抱き締められるというのは、なかなか出来ない体験だろう。
早い話が、金属にプレスされるといった感じだ。
息を整えていると、アルから爆弾発言が飛び出した。
「またやっちゃった…」
「待て…前にも誰かにやったのか…?」
殺す気だったのか…?
「じ、実は……大佐に…」
「はぁ…?…なんで…大佐なんかに…」
まず、抱きつくという行為に至るまでの経緯が思いつかない。
「ほら…前にあの…兄さんが倒れちゃった時あるでしょ…?」
「は?駅で倒れた時のか?」
それってかなり前のことじゃねぇ?
「そう!それそれ。でね?僕凄くパニックになっちゃって…でも、そんな僕にずっと声かけてくれてて…」
「…ずっと?」
「うん。兄さんが車で運ばれて、仮眠室で軍医さんに診察してもらってる間ずっと」
だったら…もしかして…俺の目が覚めるまでずっといたのか?
駅に行ったのが朝だから…半日近く…?
「はぁ…律儀だなぁ」
「それが嬉しくて…つい…」
「つい…ね」
ついつい殺されかけても、あの男なら笑って許すんだろうな…
「優しいよね…僕ますます大佐のこと好きになっちゃったよ」
「マテ」
「何?」
いや…待つのは俺だ。
アルはきっと普通の好意だと思っているはずだ。
そうだそうだ、そうでなきゃ色々まずいことになっちまう。
「いや…何でもねぇ」
待て!まずいことって何だよ俺!?
「そう?あ、あとね…」
話を逸らしてくれるのなら、ありがたく逸らしてもらおう。
「流石に軍人さんだね。兄さんみたいに叫んだりしなかったよ?」
あの大佐が身も蓋もなく騒ぐ姿は、確かに想像しがたい。
「へぇ…じゃあどうだったんだ?」
だからといって、何も言わなかったら潰されてしまうだろう。
「凄く押し殺した声で『アルフォンス君。抱き付いてくれるのは嬉しいが、もう少し力を緩めてくれ』って」
「はぁ…あの状況でよくもまぁ…」
あの男なら、本当に死に掛かっても笑ってるんじゃないか…?
「フェミニストだよね…」
「鈍いだけじゃねぇ…?」
まさかまだ、アルが女だって信じてんのか…?
早々に確かめる必要があるな。
「アル…今度また大佐に抱きついてみてくれ…」
それに何だか見てみたい。
「兄さん酷いなぁ…」
俺の意思──ただの興味本位とも言う──に気付いたアルは、呆れたように声で溜息をつく。
「ふん…たまにはギャフンと言わせて…」
そこまで言って、ようやく重大なことに気付いた。
「どうしたの兄さん?」
流石に気の利く弟でも、まさかそこまではしてくれていないだろう。
そもそも、軍の人間ではない弟の手を、そこまで煩わせるのは兄としてのプライドが許さない。
「大佐に出立の連絡すんの……忘れてた…」
声も出さず反応もしなかった弟だが、愕然としているのは雰囲気で分かった。
どうやら次回、あっちに帰った時にギャフンと言わされるのは自分かもしれない。
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