夜だというのに、盛大に電話のコール音が聞こえ心臓が止まるかと思った。
面倒だが音源に手を伸ばすことにする。
一応まだ仕事中だからな。
『大佐。一般回線から通信が…』
「一般回線から…?誰だ?」
この間の女性は、軍に電話を掛けて来るような人ではなかったし…
『それが…伝えないで欲しいと…』
こんな時間に電話とは…非常識にも程がある。
というより、まるで私が残業をしているのを見計らったように掛けてくるとは…
上からの嫌がらせにしては、手が込みすぎている。
それに、嫌がらせが目的にしても、名前くらいは名乗るはずだ。
「…繋いでくれ」
そんな不審な人物からの用件を、交換手が即座に切らずに私に窺いを立てるということは…
多分、知り合いからなのだろう。
電話の回線が切り替わる音がして、微かな人の呼吸音と遠くに物音が聞こえた。
「…誰だ?」
息を潜めるようにして、相手の出方を窺う。
しかし、相手は何も言わない。
こうしている間にも時間は流れていく。
手元の資料に目を走らせつつ、根気強く相手が何かを言うのを待つ。
不意に何か閃くように、相手の顔が思い浮かんだ。
…恋の力か?
「報告かね?」
『───ッッ!?』
微かにだが相手が息を呑んだ様子が伝わってきた。
間違いない…これは…
「鋼の」
『……おう』
久方ぶりに聞く声には、変わったところは無いようなので安心した。
もちろん、そんなことは口に出さないが。
「今どこにいるんだ?」
『あ〜…ちょっと南の方…』
「曖昧だな…町の名前くらい教えてくれても…」
『…南の方としか言えねぇ…』
そんなに居場所が知られたくないのだろうか?
いや、それとも…町の名前が分からないのか?
「…まさか…山の中の村かい?」
『え?…そう…山の中だけど…?』
場所を教えない気はないのだろう。
素直に答えが返ってきた。
やはり、町の名前が分からないのだろうと結論付ける。
「…あそこか…地図には載っていない村だろう?」
『知ってんのか!?』
「もちろんさ。その村はぎりぎり東方司令部の管轄下だからね」
ぎりぎりというより、南方司令部が統治すべき場所だとは思うが…
山があるため線引きが難しく、気が付けば東方司令部の管轄下になっていた。
『なんだ…そうか…』
やはり地図にはない村だということで、少しは不安があったのだろう。
どこの管轄か分かって少しは安心したようだ。
「…その村には、古くからの伝承があるそうだね」
『え?』
「その村の伝承には、賢者の石によく似た赤い石の話が残されている」
代価を必要としない練成。
まるで御伽噺だ。
『いきなり何を…』
「しかも、ごく最近になって再びその伝承が注目された。つまり昔話としてではなく今現在、何者かが実際に赤い石を持っているかもしれない」
『な、何で知ってんだ?』
面白いくらいにうろたえる声に、自信満々に言ってみる。
「私を誰だと思っている?」
『大佐』
「いや…そうではなく…」
渡すべき人はいないというのに、未練がましく机の端に置きっ放しだった紙の束を手前に引っ張ってくる。
本来すべき仕事の書類が、その紙の束によってずれていった。
「今私の手元には、何があると思う?」
『…サボって溜めた書類』
…残業だと知っていて、電話を掛けてきたのか。
いい度胸じゃないか。
「…正解だ。それ以外にもう一つ…」
電話の向こうにも聞こえるように、資料を軽く弾く。
「君達に渡そうと思っていた、その村の資料があるのだよ…」
『へ?』
「どこかの誰かが挨拶もなしに旅立っていったからね…渡すに渡せなかったのさ」
嫌味交じりに言ってやれば、電話からは沈黙が返ってきた。
電話というものは相手の顔が見えない分、言葉には気を使わなければいけない。
もしかしたら、気まずさに電話を切られるかもしれない。
そんなことを思いながら、相手が先に言葉を放つのを待つ。
どこかで波の音が聞こえる気がした。
山の中だというのに、海の音が聞こえるのはおかしいとは思う。
それを訊ねてみようとして、口を開いた瞬間。
『ごめんなさい』
「は?」
思いもかけない言葉に、まさに開いた口が塞がらない。
『あ〜…一応、連絡はしようと思ってたんだけどさ…今度のは信憑性が高かったから…つい…焦っちまって…』
そういうことか…そういうことなら仕方ない。
彼らがどれだけ賢者の石を切望しているか、理解しているつもりだから。
そうは思っても本当にそう言うと、次からも“焦っていた”という理由で義務を怠るかもしれん。
「そうか…とりあえず今回は不問にしよう。次からは気をつけたまえ」
『分かった』
本当に分かったのだろうか…?
まあいい。
「ところで…どうだね?収穫の方は?」
『あんまり…今のところはこれと言って…』
「そうか…ああ、そうだ…」
沈んだ声を励ますというわけではないが
「いつか、君達が全てを取り戻したら…」
電話の向こうで、微かに息を呑むような音が聞こえた。
「海にでも行かないか?」
拒絶されても構わない。
ただ、言ってみたくなっただけだ。
『………いいな。それ』
波音だと思ったのは、電話のノイズだったことに気付いた。
明け方近く、浅い眠りの中で夢を見た。
全てを取り戻した兄弟と、浜辺に来ていた。
とても…楽しいひと時だった。
だが、それでも…これが夢だと気付いている自分がいる。
どこかで醒めている自分がいる。
その自分は、しきりに私に言い続ける。
そんな日は…来ない。
と。
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