特に娯楽があるわけでもないが、それでも村人達は思い思いの人生を生きている。
こんなにも穏やかに笑っていられるのは、ここが外界から隔絶されているからなのだろうか。
地図にも載らない…いや、載せないほどの徹底ぶり。
彼らの生きる支えは、この村に古くから伝わる守り神だった。
不意に先程訪問した、長老と呼ばれる老人の言葉が蘇る。
「この村の名は、神の名。神聖であるが故に…消されたのだ」
神というものを信じていない。
「この村の者は、死の間際にだけその名を口にすることが許される」
言霊と言うものを信じていない。
「そうすることで、残された者にも幸せがおとずれるのだ」
それでもその老人の笑顔は、寂しそうだった。
だから適当に相槌を打ってその場を去った。
だが、もし…
もし、彼が最期の瞬間に、何かを───あるいは誰かの名を───呼ぶとしたら…
それは何かは分からない。
ただ、分かるのは…
それは、神の名ではない。
そして、俺の名でもない。
もし叶うならば…
もし叶うのならば、本当の名でなくとも構わない。
彼が俺を俺だと認識している名を、呼んで欲しい。
助けを求めるのでもなく…
温もりを求めるのでもなく…
救いを求めるのでもなく…
声を求めるのでもなく…
死を求めるのでもなく…
ただ、その声でこの名を呼んで。
そうすれば、少しでもあなたの中に自分の存在を刻めたと思えるから。
死の間際に、あなたの側にいる人間に、自分の存在を知らしめることが出来るから。
誰かの記憶の中でだけでも、あなたと自分が共にいられるように…
…自分が子供であることは分かっている。
それでも…
子供みたいな独占欲に、吐き気がした。
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