どういうわけか、普段よりも仕事が格段に少ない。
こういう時に気を紛らわすものがないと、碌でもないことばかり考えてしまう。
そういえば…今日はまだ鋼のと、弟君を見ていないな…
「中尉…鋼のとアルフォンス君は…?」
彼らの居場所なら、彼女に聞けば大抵すぐに分かる。
「例の資料室です。本を読むついでに、棚の整理などもしてくれているみたいですよ?」
「そうか…それは助かるな」
あまり人が利用しない為、乱雑なままで放置された棚を思い出し苦笑いがこぼれた。
彼女もあの資料室の棚のひどさ知っているので、仕事中では珍しい笑みを浮かべていた。
心の中で労いの言葉でもかけているのだろう。
もう少しその笑顔を鑑賞していたかったが、今のうちに出来る仕事なら早めに終わらせるに限る。
いつもは特に目的はないが、今はあの輝きが近くにあるのだから。
順調に仕事を再開した私に、中尉が訝しげに視線を向けて来るが構わない。
今夜は食事にでも誘ってみようか…
そうすれば、弟はついてこない可能性が高い…
自分の姑息さに苦笑いが浮かぶが、下を向いて書類を見つめることで耐えた。
不意に聞こえたノックの音に顔を上げれば、ドアの隙間からこちらを窺っている二人がいた。
「…何をしているんだ?」
「大佐…この本借りて行ってもいいか…?」
少しだけ広くなった隙間から見えた本は、かなり古そうなものだった。
「あの資料室にあったものなら、全て貸し出し許可は出ているが…」
まだ帰るには早い時間ではないか?
思ったままを訊ねれば、二人は気まずそうに顔を見合わせ
「何かもう…本を見たくないと言うか…」
「あの埃っぽい部屋にいたくねぇと言うか…」
なるほど。
さすがの二人も、あの資料室の酷さには辟易したということか。
「いいだろう。気をつけて帰りたまえ」
先程まで立てていたプランの全てを、頭の中から削除した。
何の痛みも伴わせずに。
「また明日、お邪魔してもいいですか?」
控えめなアルフォンス君の言葉に、とっておきの笑顔を向ける。
「構わないよ。おいで」
いつの頃からか、こんな風に作り笑いを平気で浮かべられるようになったのだろう。
想いを告げようとして、そのタイミングを外してしまったあの時。
再び自分を冷静にしようとしたが、やはりそれは叶わなかった。
どうしても、伝えようとしてしまう。
伝えられない想いを持て余して、それでも笑っていられるのは…
二人を笑顔で見送っていた中尉の顔が、仕事の顔に戻ったのをきっかけに訊ねる。
「君は…彼らが元に戻ることを望んでいるかね?」
「…はい」
最近、わけの分からないことを口走り始めた上司を、彼女はどう思っているのだろう。
しかし中尉は、それでも答えを返してくれる。
私も彼女のような女性を愛せたら…
そこまで考えて、自分がかなり精神的に参っていることに気付く。
(よりにもよって…中尉か…)
自分の好みは、気の強い人間だっただろうか…?
もとに戻って欲しい。
例え、昔のように…何も知らなかった時のように、笑えなくても。
だが…
いつまでも、ここにいて欲しいなどと…
失うのが怖いなどと…
「情けない」
「大佐が情けないのは、今に始まったことではありません」
いつも通りの毒舌に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
それはどこか自嘲気味なものになったようで、彼女の形のいい眉が一瞬だけ顰められた。
もう、取り繕えない想いを、笑みで誤魔化すのはやめよう。
どうせ、取り繕えはしないのだから。
どうすればいいのだろうな…?
愛しい君は、どうしたい?
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